現役引退後のコマネチ
1981年に彼女はアメリカ合衆国に遠征した。同行したカロリーコーチ夫妻、振付師はこのとき亡命してしまった。
帰国後彼女の行動は厳しく監視されるようになり1984年のロサンゼルスオリンピックに派遣された時も同様であった。その後モスクワやキューバに行く場合などのほんのわずかなケースを除き出国が許可されることはなかった。
なお1984年にはロサンゼルスオリンピック直前には彼女のドキュメンタリードラマNadiaが放映された。
1984年から1989年まで彼女はルーマニア体操協会のコーチとしてジュニア選手の育成にあたった。1989年11月ルーマニア革命の直前にハンガリー、オーストリア経由でアメリカに亡命した。
ニコラエ・チャウシェスク大統領の独裁政権下で、大統領の次男ニク・チャウシェスクが一方的に愛人関係を持とうとするのを拒むこともできず、そのことに堪えきれなくなったためという報道もなされた。
アメリカに到着した際には厚化粧と安っぽい服装で登場した彼女に対してネガティブな報道もされた。
彼女はエアロビクスやフィットネス、ウェディングドレス、騎手のアンダーウェアの広告などに出演した。
その後1976年のアメリカンカップで知り合ったバート・コナー(ロサンゼルスオリンピック男子体操金メダリスト)と再会しオクラホマ州に引っ越した。
1994年11月12日彼女の33歳の誕生日に彼女らは婚約した。そして亡命以来初めてルーマニアに戻った2人は1996年4月27日にブカレストで結婚した。
結婚式は生中継されてレセプションは大統領府で行われた。民主化したルーマニアに「犯罪者」と呼ばれることさえ覚悟しながらも、コマネチは帰国した。国民は温かく彼女を迎え入れた。
2001年6月29日にアメリカの国籍を取得、ルーマニア国籍も放棄しなかったため二重国籍となった。
2006年6月3日、オクラホマシティで帝王切開手術により男児を出産した。
現在オクラホマ州で世界7ヶ国から来た体操競技選手の指導にあたっている。彼女が指導した選手には北京オリンピックのゆかで金メダルを獲得したサンドラ・イズバサや2007年の世界選手権に出場したDaniela Druncea、ウクライナのYana Demyanchukなどの指導を行っている。
2003年12月自叙伝であるLetters To A Young Gymnast(『若きアスリートへの手紙』)が発行され長年ファンから受け取った手紙の返事の形式で出版された。
2004年のアテネオリンピックの大会期間中、アディダスが彼女の10点満点のCMを流している。