内村航平を“史上最高”とナディア・コマネチが絶賛!
リオデジャネイロオリンピック(リオ五輪)の体操男子個人総合で連覇を達成した内村航平。一時はオレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)にリードを許しながら最後の鉄棒で大逆転し、2大会連続の金メダルは1968年、72年の加藤沢男以来、44年ぶりの快挙となった。
そんな内村航平に対して、リオ五輪の公式サイトで伝説の体操選手であるナディア・コマネチが最大級の賛辞を贈っている。
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コマネチは1976年に14歳でルーマニア代表として出場したモントリオール五輪で、段違い平行棒の演技が世界初の10点満点を出したほか、個人総合と種目別で3つの金メダルを獲得、“白い妖精”とも称された。
五輪公式サイトによると、コマネチは、内村が2012年のロンドン五輪で個人総合金メダルに輝いた際は「最強というには時期尚早」としていたという。今大会で史上4人目の連覇を成し遂げた後は「議論は終わった」と語り、「ウチムラは史上最高」と絶賛したそうだ。
五輪公式サイトによると、コマネチは、内村が2012年のロンドン五輪で個人総合金メダルに輝いた際は「最強というには時期尚早」としていたという。今大会で史上4人目の連覇を成し遂げた後は「議論は終わった」と語り、「ウチムラは史上最高」と絶賛したそうだ。
ウチムラは史上最高です。彼があれほど長く成し遂げたことを見なさい。8年間にわたって五輪と世界選手権で負けなかった。これは彼の財産です。
さらに、ウクライナ代表のオレグ・ベルニャエフに0.099点差で逆転勝利した決勝を「五輪の体操史上最高の争い」と振り返り、次のように語っている。
5~6人の選手が金メダルを獲れる可能性がありました。だから、ウチムラは最後の鉄棒でリスクを取る必要があったのです。そのプレッシャーの中、披露した演技は、本当に本当に素晴らしいものでした。彼がマットに着地した際に、少しでも体がグラつけば、金メダルを逃していました。そして、その時はいまだに彼が史上最高かどうか議論していたことでしょう。
“白い妖精”と称えられた元体操女王の目から見ても、内村の演技は文句のつけようがなかったようだ。
ナディア・コマネチとは?
via i.huffpost.com
ナディア・コマネチは1976年モントリオールオリンピックの時、団体演技規定の段違い平行棒の演技で世界初の10点満点を出した。この他にも自由の平均台、段違い平行棒など計7回の10点満点を出し、個人総合と種目別で3つの金メダル、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した。
純白のレオタードが似合う可憐な容姿や見事な技が観衆を魅了し、「白い妖精」と呼ばれた。
純白のレオタードが似合う可憐な容姿や見事な技が観衆を魅了し、「白い妖精」と呼ばれた。
モントリオール後も期待されたコマネチの演技!その後の彼女は? - Middle Edge(ミドルエッジ)
モントリオールで開催された第21回オリンピック大会は、アパルトヘイトに抗議するアフリカ22ヵ国のボイコットなど、波乱含みのスタートでした。しかし暗い雰囲気を一変させたのは、ルーマニアの14歳の体操選手ナディア・コマネチが段違い平行棒で史上初の10.00を出した時でした。コマネチはその後も逢わせて7回の満点を記録し、3個の金メダルを獲得しました。
ビートたけしのギャグ「コマネチ」は彼女に由来する
1980年代前半に大流行した、芸人・ビートたけしを代表する一発ギャグ「コマネチ」は、1970~80年代にかけて活躍したルーマニアの体操選手ナディア・エレーナ・コマネチのハイレグ姿に由来している。
お互いに有名人であるため、双方存在は知っていたが、2011年に初対面を果たす。
お互いに有名人であるため、双方存在は知っていたが、2011年に初対面を果たす。
たけしが「このギャグで有名になった」と言うと、コマネチは「分け前の半分はもらわないと」と返し、ノリノリであった。
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