具志堅用高が国際ボクシング殿堂入り。表彰式では英語でスピーチ
2016年11月25日 更新

具志堅用高が国際ボクシング殿堂入り。表彰式では英語でスピーチ

ボクシング世界王座13連続防衛の日本記録を持ち、いまやタレントとしても大活躍の具志堅用高が国際ボクシング殿堂入りの式典に参加した。

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6月14日、国際ボクシング殿堂の殿堂入り表彰式に出席

国際ボクシング殿堂の殿堂入り表彰式が6月14日(日本時間15日)、米ニューヨーク州カナストータで行われ、日本人男子の世界王者として歴代最多の13度連続防衛記録を持つ具志堅用高氏(59)が出席した。
国際ボクシング殿堂入り表彰式でスピーチ

国際ボクシング殿堂入り表彰式でスピーチ

表彰式のスピーチでは「HELLO!」の第一声で約500人のファンが詰まった会場をどっと沸かせ、その心をつかんだ。たどたどしい英語で感謝の言葉とともに「I WILL NEVER FORGET THIS WONDERFULDAY(この素晴らしい日を絶対に忘れません)」と心を込めて話すと、再び大きな歓声と拍手が起こった。
殿堂近くの市街地で行われたパレード

殿堂近くの市街地で行われたパレード

式典の前に行われたパレードでは、長男、長女、孫とともにオープンカーに乗り、沿道から起こった「ヨーコーコール」に笑顔で拳(こぶし)を突き上げた。

式典スピーチでの一問一答

Q.表彰式に臨んだ感想は。
「やっぱり感動するものがある。名前を呼ばれた時は『ああ、表彰されたな』という感じ。こういうワクワク、ドキドキは何度経験してもいい。」

Q.ボクサーになってよかったという思いは。
「選手は皆、ボクシング人生の中で苦しい思いを経験している。それを乗り越えて頑張った分、喜びがある。本当にボクシングをやってよかったと思う。」

Q.記念指輪の重みは。
「すごいなと思う。恩師や郷土の先輩がいてボクシングをスタートした。東京に出てプロの世界に入って、協栄ジムの金平会長をはじめ、皆がしっかり輪になってやったから、今日がある。」

Q.日本のボクシング界の後輩へ。
「ここに来てほしい。ここに来て、ボクシングの素晴らしさが分かる。日本では印象に残るファイトを続けてほしい。素晴らしいボクサーでいなくてはここには来られない。」

国際ボクシング殿堂とは?

ボクシング界に多大な功績を残した人物を称えるために、1990年に創設。
米ニューヨーク州カナストータに本部を置く。
ムハマド・アリ氏、シュガー・レイ・レナード氏、マイク・タイソン氏ら過去の名ボクサーの他、映画「ロッキー」の主演俳優シルベスター・スタローンも名を連ねる。

日本人では1995年にファイティング原田、2008年にボクシング評論家のジョー小泉、2009年に帝拳ジムの本田明彦会長が殿堂入りを果たしている。
今回は具志堅用高と世界フライ級王者のまま23歳で交通事故死した故大場政夫が新たに殿堂入りになり計6人となった。
6/10、殿堂入り式典参加のため成田空港を出発

6/10、殿堂入り式典参加のため成田空港を出発

元世界ライトフライ級王者の具志堅用高(59)が6月10日に成田空港で、国際ボクシング殿堂入り式典が行われる米国へ出発した。
「引退して30年が過ぎて、おそらく(殿堂入りは)ないと思っていた。本当にうれしい。偉大なチャンピオンが集まるので、一人でも多くの人と会って写真を撮りたい。」とコメントを残して旅立った。

殿堂入りに本人も家族や恩師も大喜び

2014年12月4日、国際ボクシング殿堂は殿堂入りする選手、関係者を発表。

具志堅にはゴルフ場でのテレビ番組の収録中にこの吉報が届いた。
「(この日発表されると)聞いてはいましたけど、ビックリしましたよ。凄い賞なんでしょ?」と戸惑っていたが、記憶の片隅にあったファイティング原田の表彰シーンを思い起こし「まさか自分がねぇ。世界を獲った気分ですよ。ボクシングをしてて、よかったぁ」と感激していた。

沖縄県石垣島で具志堅用高記念館を運営する姉の宮里圭子さんは「13回の防衛は努力あってこそだったが、当時は家族も心配して見ていた。殿堂入りは誰もができることではない名誉なこと。あらためて世界に認められたようでうれしい。また宝が増えた。全国のファンのために展示したい。(用高に)お願いしようと思う」とマスコミの取材にコメントした。

興南高で具志堅氏を指導し、ボクサーとしての礎を共に築き上げた金城眞吉さん(現東洋大総監督)は「たいしたもんだ。おめでとうの一言。普通のボクサーにとっては夢のまた夢のような話」と興奮気味に快挙をたたえた。

世界王座13連続防衛の日本記録をもつ具志堅用高

具志堅用高(ぐしけん ようこう)

具志堅用高(ぐしけん ようこう)

沖縄県石垣市生まれ。現役時代の愛称は「カンムリワシ」。
興南高でボクシングを始め、3年時に総体、国体で優勝。74年に協栄ジムからプロデビュー。76年10月にグスマン(ドミニカ共和国)を7回KOで破ってWBA世界ライトフライ級王者になる。以降6連続KOを含む13度の防衛を果たし、81年に引退。現在は白井・具志堅ジムの会長を務める一方でタレントとしても活躍している。
愛称「カンムリワシ」の由来

愛称「カンムリワシ」の由来

カンムリワシは具志堅の出身である石垣島にも生息。
1976年10月10日、世界タイトル奪取に成功した試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話した。さらに鋭い目、非常なまでに相手を打ちのめすキレのある攻撃は、まさにカンムリワシのようだと「カンムリワシ」の愛称で呼ばれるようになった。
現在はバラエティ番組で大活躍

現在はバラエティ番組で大活躍

陽気でお茶目なキャラクターがお茶の間にウケ、多くのテレビ番組に出演。スポーツ選手出身のタレントの先駆者的存在であり、「ちょっちゅね~」の決め台詞で、時に芸人を食うほどの存在感を見せつけている。

【動画】具志堅用高KO集

具志堅用高 本当は凄かった!伝説のKO集! - YouTube

蘇るカンムリワシ伝説 具志堅KO集 - YouTube

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