6月14日、国際ボクシング殿堂の殿堂入り表彰式に出席
国際ボクシング殿堂の殿堂入り表彰式が6月14日(日本時間15日)、米ニューヨーク州カナストータで行われ、日本人男子の世界王者として歴代最多の13度連続防衛記録を持つ具志堅用高氏(59)が出席した。
国際ボクシング殿堂入り表彰式でスピーチ
表彰式のスピーチでは「HELLO!」の第一声で約500人のファンが詰まった会場をどっと沸かせ、その心をつかんだ。たどたどしい英語で感謝の言葉とともに「I WILL NEVER FORGET THIS WONDERFULDAY(この素晴らしい日を絶対に忘れません)」と心を込めて話すと、再び大きな歓声と拍手が起こった。
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式典スピーチでの一問一答
Q.表彰式に臨んだ感想は。
「やっぱり感動するものがある。名前を呼ばれた時は『ああ、表彰されたな』という感じ。こういうワクワク、ドキドキは何度経験してもいい。」
Q.ボクサーになってよかったという思いは。
「選手は皆、ボクシング人生の中で苦しい思いを経験している。それを乗り越えて頑張った分、喜びがある。本当にボクシングをやってよかったと思う。」
Q.記念指輪の重みは。
「すごいなと思う。恩師や郷土の先輩がいてボクシングをスタートした。東京に出てプロの世界に入って、協栄ジムの金平会長をはじめ、皆がしっかり輪になってやったから、今日がある。」
Q.日本のボクシング界の後輩へ。
「ここに来てほしい。ここに来て、ボクシングの素晴らしさが分かる。日本では印象に残るファイトを続けてほしい。素晴らしいボクサーでいなくてはここには来られない。」
「やっぱり感動するものがある。名前を呼ばれた時は『ああ、表彰されたな』という感じ。こういうワクワク、ドキドキは何度経験してもいい。」
Q.ボクサーになってよかったという思いは。
「選手は皆、ボクシング人生の中で苦しい思いを経験している。それを乗り越えて頑張った分、喜びがある。本当にボクシングをやってよかったと思う。」
Q.記念指輪の重みは。
「すごいなと思う。恩師や郷土の先輩がいてボクシングをスタートした。東京に出てプロの世界に入って、協栄ジムの金平会長をはじめ、皆がしっかり輪になってやったから、今日がある。」
Q.日本のボクシング界の後輩へ。
「ここに来てほしい。ここに来て、ボクシングの素晴らしさが分かる。日本では印象に残るファイトを続けてほしい。素晴らしいボクサーでいなくてはここには来られない。」
国際ボクシング殿堂とは?
ボクシング界に多大な功績を残した人物を称えるために、1990年に創設。
米ニューヨーク州カナストータに本部を置く。
ムハマド・アリ氏、シュガー・レイ・レナード氏、マイク・タイソン氏ら過去の名ボクサーの他、映画「ロッキー」の主演俳優シルベスター・スタローンも名を連ねる。
日本人では1995年にファイティング原田、2008年にボクシング評論家のジョー小泉、2009年に帝拳ジムの本田明彦会長が殿堂入りを果たしている。
今回は具志堅用高と世界フライ級王者のまま23歳で交通事故死した故大場政夫が新たに殿堂入りになり計6人となった。
米ニューヨーク州カナストータに本部を置く。
ムハマド・アリ氏、シュガー・レイ・レナード氏、マイク・タイソン氏ら過去の名ボクサーの他、映画「ロッキー」の主演俳優シルベスター・スタローンも名を連ねる。
日本人では1995年にファイティング原田、2008年にボクシング評論家のジョー小泉、2009年に帝拳ジムの本田明彦会長が殿堂入りを果たしている。
今回は具志堅用高と世界フライ級王者のまま23歳で交通事故死した故大場政夫が新たに殿堂入りになり計6人となった。
6/10、殿堂入り式典参加のため成田空港を出発
元世界ライトフライ級王者の具志堅用高(59)が6月10日に成田空港で、国際ボクシング殿堂入り式典が行われる米国へ出発した。
「引退して30年が過ぎて、おそらく(殿堂入りは)ないと思っていた。本当にうれしい。偉大なチャンピオンが集まるので、一人でも多くの人と会って写真を撮りたい。」とコメントを残して旅立った。
「引退して30年が過ぎて、おそらく(殿堂入りは)ないと思っていた。本当にうれしい。偉大なチャンピオンが集まるので、一人でも多くの人と会って写真を撮りたい。」とコメントを残して旅立った。
via img.47news.jp
殿堂入りに本人も家族や恩師も大喜び
2014年12月4日、国際ボクシング殿堂は殿堂入りする選手、関係者を発表。
具志堅にはゴルフ場でのテレビ番組の収録中にこの吉報が届いた。
「(この日発表されると)聞いてはいましたけど、ビックリしましたよ。凄い賞なんでしょ?」と戸惑っていたが、記憶の片隅にあったファイティング原田の表彰シーンを思い起こし「まさか自分がねぇ。世界を獲った気分ですよ。ボクシングをしてて、よかったぁ」と感激していた。
沖縄県石垣島で具志堅用高記念館を運営する姉の宮里圭子さんは「13回の防衛は努力あってこそだったが、当時は家族も心配して見ていた。殿堂入りは誰もができることではない名誉なこと。あらためて世界に認められたようでうれしい。また宝が増えた。全国のファンのために展示したい。(用高に)お願いしようと思う」とマスコミの取材にコメントした。
興南高で具志堅氏を指導し、ボクサーとしての礎を共に築き上げた金城眞吉さん(現東洋大総監督)は「たいしたもんだ。おめでとうの一言。普通のボクサーにとっては夢のまた夢のような話」と興奮気味に快挙をたたえた。
具志堅にはゴルフ場でのテレビ番組の収録中にこの吉報が届いた。
「(この日発表されると)聞いてはいましたけど、ビックリしましたよ。凄い賞なんでしょ?」と戸惑っていたが、記憶の片隅にあったファイティング原田の表彰シーンを思い起こし「まさか自分がねぇ。世界を獲った気分ですよ。ボクシングをしてて、よかったぁ」と感激していた。
沖縄県石垣島で具志堅用高記念館を運営する姉の宮里圭子さんは「13回の防衛は努力あってこそだったが、当時は家族も心配して見ていた。殿堂入りは誰もができることではない名誉なこと。あらためて世界に認められたようでうれしい。また宝が増えた。全国のファンのために展示したい。(用高に)お願いしようと思う」とマスコミの取材にコメントした。
興南高で具志堅氏を指導し、ボクサーとしての礎を共に築き上げた金城眞吉さん(現東洋大総監督)は「たいしたもんだ。おめでとうの一言。普通のボクサーにとっては夢のまた夢のような話」と興奮気味に快挙をたたえた。
世界王座13連続防衛の日本記録をもつ具志堅用高
具志堅用高(ぐしけん ようこう)
沖縄県石垣市生まれ。現役時代の愛称は「カンムリワシ」。
興南高でボクシングを始め、3年時に総体、国体で優勝。74年に協栄ジムからプロデビュー。76年10月にグスマン(ドミニカ共和国)を7回KOで破ってWBA世界ライトフライ級王者になる。以降6連続KOを含む13度の防衛を果たし、81年に引退。現在は白井・具志堅ジムの会長を務める一方でタレントとしても活躍している。
興南高でボクシングを始め、3年時に総体、国体で優勝。74年に協栄ジムからプロデビュー。76年10月にグスマン(ドミニカ共和国)を7回KOで破ってWBA世界ライトフライ級王者になる。以降6連続KOを含む13度の防衛を果たし、81年に引退。現在は白井・具志堅ジムの会長を務める一方でタレントとしても活躍している。
愛称「カンムリワシ」の由来
カンムリワシは具志堅の出身である石垣島にも生息。
1976年10月10日、世界タイトル奪取に成功した試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話した。さらに鋭い目、非常なまでに相手を打ちのめすキレのある攻撃は、まさにカンムリワシのようだと「カンムリワシ」の愛称で呼ばれるようになった。
1976年10月10日、世界タイトル奪取に成功した試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話した。さらに鋭い目、非常なまでに相手を打ちのめすキレのある攻撃は、まさにカンムリワシのようだと「カンムリワシ」の愛称で呼ばれるようになった。
現在はバラエティ番組で大活躍
陽気でお茶目なキャラクターがお茶の間にウケ、多くのテレビ番組に出演。スポーツ選手出身のタレントの先駆者的存在であり、「ちょっちゅね~」の決め台詞で、時に芸人を食うほどの存在感を見せつけている。
【動画】具志堅用高KO集
具志堅用高 本当は凄かった!伝説のKO集! - YouTube
via www.youtube.com
蘇るカンムリワシ伝説 具志堅KO集 - YouTube
via www.youtube.com
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