秋山豊寛
via img01.hamazo.tv
1986年のチャレンジャー号爆発事故で毛利の飛行が遅れたために、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より宇宙船ソユーズTM-11搭乗の秋山が、初めて宇宙へ行った日本人宇宙飛行士となり、同時に世界で初めて宇宙に行ったジャーナリスト(TBSのいう“宇宙特派員”)ともなった。
毛利衛
1992年(平成4年)9月12日から9月20日までスペースシャトルエンデバーにペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗
2000年(平成12年)2月12日から2月23日には、2度目の宇宙飛行に参加。ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者)として、レーダーによる地球の地形の精密な観測 (SRTM) を行った。
向井千秋
日本人女性初の宇宙飛行士。学位は、博士(医学)(慶応義塾大学、1988年)。1994年にスペースシャトル・コロンビア号、1998年にスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗した。
若田光一
1996年(平成8年)
「冷戦下で拡大、発展してきた有人宇宙活動ですが、今や米ロが協力することによって、より平和な時代を築くことに貢献している。世界で紛争が絶えない今、その意味は大きいし、宇宙への挑戦の魅力ではないかと思います。」
これまでにアメリカ航空宇宙局のスペースシャトルやロシア連邦宇宙局のソユーズに搭乗して4度宇宙飛行ミッションを行った。
土井隆雄
これまでに2回、スペースシャトル搭乗ミッションを行った。天文家。東京都南多摩郡(現・町田市)出身。
野口聡一
2005年(平成17年)
「宇宙での生活で最初に驚くのは、動くものは止まって見えて、止まっているものは動くことかな。なぞかけみたいですけど、このふたつは大きいと思います」
「挑戦者がいて危険や失敗の末に成功して、新しい世界が開けた」
「未知の領域を知りたいというのは生物の本能で、宇宙開発もその途上にあるものだと思います」
「挑戦者がいて危険や失敗の末に成功して、新しい世界が開けた」
「未知の領域を知りたいというのは生物の本能で、宇宙開発もその途上にあるものだと思います」
彼の初飛行はSTS-107コロンビア号の事故後、NASA・スペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した時である。2009年12月20日にソユーズTMA-17に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヶ月間滞在。2010年6月2日地球に帰還した。