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「初対面のときに、それまでいろんな仲間から変わってる奴だと散々聞いてたが、普段は礼儀正しくて大人しかった。でもステージの上では破壊的で、跳ぶわ、ピアノの上に寝るわでびっくりしました」と、サクソフォンを担当した関誠一郎は「服装は派手だけど、普通の人で、気さくな感じだ」
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この様に、もっと個性が強くて、変り者で、誰とも口を利かないタイプのイメージが有りましたが、とってもフレンドリーで親しみやすい人だったことが分ります。
尾崎が死んだ原因・・・
それは当時のファンにはとてもショッキングな事件でした・・・
スターの真っただ中、尾崎は突然亡くなってしまったのです・・・・
スターの真っただ中、尾崎は突然亡くなってしまったのです・・・・
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1992年(平成4年)4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。
今では、日本版ジェームスディーンと木村拓也が言ったように、もうすっかり伝説化してしまった尾崎豊。亡くなった当時は、彼の死因について、いろいろな人やいろいろなテレビが、たくさんの考察をしていた。なぜ、あれほどたくさんの考察が必要だったのだろう。結局、尾崎豊のことをほとんど知らない人たちが、にわか仕立ての知識を持って、尾崎豊のことを論じていただけなんだろう。ほんとうにあきれ返るような話もたくさんあった。
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尾崎の性格からいっても、もう一度同じ過ちをするとはまったく考えられない。とすると、尾崎の死因で、覚醒剤というものは当てはまらないはず。警察の発表は、解剖結果はあくまでも「肺水腫」というものだった。だから、噂されていた覚醒剤という文字は、亡くなった当時は一度も、警察発表からは出てこなかった。あくまでも、死因は「肺水腫」であって、覚醒剤ではないのである。
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警察は、もちろん、薬物反応を調べていただろうし、その結果を隠したりなんかはしないだろう。さらに、言葉を重ねるなら、警察は、薬物反応が出たとしたら、こんなことを隠すことはまず考えられない。再発をおそれるために、かなりの詳細な調査や発表をするであろう。マスコミに流して、覚醒剤撲滅キャンペーンをはじめるきっかけにもできるので、隠す必要は全くなかった。でも、覚醒剤じゃなかった。死因は、あくまでも「肺水腫」だったのである。
当時の気持ち
当時は尾崎に憧れてジージャン・ジーパン・白Tなどファッションをまねてました。
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圧倒的に10代からの指示が高かった、尾崎豊。当時の少年少女は、自分たちの気持ちを大人相手に代弁してくれてる、また自分たちの気持ちを一番理解してくれる存在だと心から思っていた・・・
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あんな大人にはなりたくないと思ってたあの頃・・・だが今は40代の大人、果たしてあの頃の気持ちが残ってるだろうか・・・?子供や、若者の気持ちを理解できる大人になってるだろうか?と考えるこの頃。