ひょうきん懺悔室
神様が裁定する
オレたちひょうきん族(懺悔室~エンディング) - YouTube
でも、神様役の人はずっとグレート義太夫だとばっかり思ってました…。
懺悔の神様はグレート義太夫じゃない!神様役はぶっちー武者というお方!
ブッチー武者(ブッチーむしゃ)
1977年に演出家のはかま満緒が講師を務めるNHK『お笑いオンステージ コメディー研究会』のオーディションに合格し、あわせてレオナルド熊に師事する。
レオナルド熊がラッキーパンチを解散した後「コント・レオナルド」と命名しブッチー武者を相方にした。関西テレビ『花王名人劇場』にも2度ほど出演している。しかし武者はボケをやりたいのが夢でコンビを解消した。
その後水島びんとコンビを組み「アッパー8」を結成。1982年、日本テレビ『お笑いスター誕生!!』では5週連続で合格し銀賞を獲得した(6週目で3度不合格の後、最終的に6週目まで合格)。
翌年の1983年10月からフジテレビ『オレたちひょうきん族』の人気コーナー「ひょうきん懺悔室」がスタートし、そこの懺悔の神様としてブレイクした。ちなみに当時からカツラと付け髭をしており、実際の姿は別人のように見える。
(出典:wikipedia)
グレート義太夫( グレートぎだゆう)
大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動しているうちに、プロミュージシャンを目指すようになる。バンド『雷神』を組み、アマチュアとして活動していた。
『ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、その際ドラムが特技であることを披瀝し当時のたけしのバックバンド『シークレット・ポリス』に加入することになった。しかし実際には先にレギュラーメンバーのドラマーがいたため、パーカッションとして参加。その後たけし軍団が8人編成から10人編成へ移行する際、井手らっきょとともにたけし軍団に正式加入。ただし特徴のあるキャラクターからか、実際には10人編成の時期より以前に、『オレたちひょうきん族』や一連のバラエティ黄金期の番組に既に出演していた。
名前の由来は、当時プロレスで“毒霧”を吹く謎のレスラーザ・グレート・カブキを揶揄して、風貌が太った体型でだらりとした長髪であったことも共通していたため、“歌舞伎”を“義太夫”と洒落て命名された。
(出典:wikipedia)
勘違いしている人は結構多い
「俺達ひょうきん族」は中期以降の世代だ。
でも凄く好きで見ていたので、記憶ははっきりと残っている。
特に「ひょうきんざんげ室」は大好きだった。
そのざんげ室のコーナーで、水をかけていた神様役の人。
20年近くの間ずっと勘違いしていた事がわかった。
俺は・・・ずっと・・・
グレート義太夫だと思っていたんだ orz
「ブッチー武者」さんだったなんて・・・
ひょうきん族のざんげの神様をやっていたのは誰だったでしょうか?
嫁は「佐藤蛾次郎」「グレート義太夫」と言っていますが、違うのは分かっても、誰なのか分かりません。どなたか教えてくれませんか。
グレート義太夫本人も飽き飽きするほど聞かれてきたっぽい…
何だかよく言われるんだけど、もう説明するのも飽きてきた(笑)20数年前の事だし、子供の頃の事だから記憶も曖昧なんだろうけど、自信たっぷりに言われると「イラッ」とするね。まあ、ここに書き込みしてくれてる人の中には、いないと思うんだけどさ(笑)
(出典:グレート義太夫オフィシャルブログ「糖尿ちょっとチョコ喰う」)
「ひょうきん懺悔室」には意外な人達も出演
懺悔室に送り込まれる対象は拡大して行き、レギュラーが出演した全番組、プライベート、営業(後述の出張懺悔室)、当時のフジテレビ系番組出演者全員、フジネットワーク局員、果てはフジテレビ乗り付けのタクシー運転手、間違えてテレビ朝日にスタッフ用の弁当を届けた仕出し店の配達員、収録中の客にまで広がり、当時フジテレビアナウンサーだった逸見政孝や編成局長であった日枝久(現・会長)が送り込まれた回もあった。もちろん神父や神様も、NGを出せば容赦なく懺悔室の対象となった。
その結果!