日本中の女子がみんな好きだったと言っても過言ではなかった
光GENJI
大ブレークはしたものの、大きな打ち上げ花火のように
パっと咲いて、シュっと消えてしまったのはナゼか?
なつかしのシングル曲と共に、歴史、内情、原因などを考察していきましょう
光GENJI
大ブレークはしたものの、大きな打ち上げ花火のように
パっと咲いて、シュっと消えてしまったのはナゼか?
なつかしのシングル曲と共に、歴史、内情、原因などを考察していきましょう
デビュー当時の光GENJI
光GENJIデビューは1987年。
この年代近辺のジャニーズ事務所のデビュー順は
1983年 THE GOOD-BYE
↓
1985年 少年隊
↓
1987年 光GENJI
↓
1988年 男闘呼組
↓
1990年 忍者(少年忍者)
デビューシングルは
1987年8月19日に発売された『STAR LIGHT』
この年代近辺のジャニーズ事務所のデビュー順は
1983年 THE GOOD-BYE
↓
1985年 少年隊
↓
1987年 光GENJI
↓
1988年 男闘呼組
↓
1990年 忍者(少年忍者)
デビューシングルは
1987年8月19日に発売された『STAR LIGHT』
STAR LIGHT(PV) - 光GENJI - YouTube
via www.youtube.com
同じ週に発売されたおニャン子クラブのラストシングル「ウェディングドレス」を抑えオリコンシングルチャート初登場1位を獲得した光GENJIのデビュー曲である。同チャートでデビューシングルが初登場1位を獲得するのはジャニーズ事務所所属者としては近藤真彦、少年隊以来3組目の快挙だった。
シングルの売上(出荷)枚数は公称で85万枚。
Aメロ、Bメロ、サビをCHAGE、Cメロを飛鳥涼がそれぞれ作曲。
黄金期
ここからしばらくは光GENJIの一人勝ち状態が続く。
1987年11月 ガラスの十代 68.1万(公称95万枚)
1988年3月 パラダイス銀河 87.4万枚(公称100万枚)
1988年6月 Diamondハリケーン 67.1万枚(公称90万枚)
とりたててファンではなかった人でも
上記3枚のタイトルやメロディはどこかで聞いたことはあるでしょう。
それはそのはず、
1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の『ミュージックステーション』にレギュラー出演していたので露出度はどのアイドルよりも高かったのです。
1987年11月 ガラスの十代 68.1万(公称95万枚)
1988年3月 パラダイス銀河 87.4万枚(公称100万枚)
1988年6月 Diamondハリケーン 67.1万枚(公称90万枚)
とりたててファンではなかった人でも
上記3枚のタイトルやメロディはどこかで聞いたことはあるでしょう。
それはそのはず、
1988年から1992年までの5年間、テレビ朝日の『ミュージックステーション』にレギュラー出演していたので露出度はどのアイドルよりも高かったのです。
ガラスの十代 - YouTube
via www.youtube.com
光GENJI パラダイス銀河 - YouTube
via www.youtube.com
Diamondハリケーン
via www.youtube.com
ちなみに1988年のオリコン月間シングルチャート第1位は以下の通り
1月 ガラスの十代(光GENJI)
2月 AL-MAUJ (アルマージ)(中森明菜)
3月・4月 パラダイス銀河(光GENJI)
5月 C-Girl(浅香唯)
6月 TATTOO(中森明菜)
7月 Diamondハリケーン(光GENJI)
8月 ANGEL(氷室京介)
9月 DAYBREAK(男闘呼組) 1
0月 剣の舞(光GENJI)
11月・12月 とんぼ(長渕剛)
1月 ガラスの十代(光GENJI)
2月 AL-MAUJ (アルマージ)(中森明菜)
3月・4月 パラダイス銀河(光GENJI)
5月 C-Girl(浅香唯)
6月 TATTOO(中森明菜)
7月 Diamondハリケーン(光GENJI)
8月 ANGEL(氷室京介)
9月 DAYBREAK(男闘呼組) 1
0月 剣の舞(光GENJI)
11月・12月 とんぼ(長渕剛)
これを見ただけでもこの年光GENJIが日本を席巻していたかがわかります。
逆に言うと代表曲はこの年に集中していたんです。
逆に言うと代表曲はこの年に集中していたんです。
衰退期
黄金期以降のシングルは以下の通り
1988年10月 剣の舞
1989年3月 地球をさがして
1989年7月 太陽がいっぱい
1990年2月 荒野のメガロポリス
1990年5月 Little Birthday
1990年8月 CO CO RO
1990年11月 笑ってよ
さて、上記の中でサビや振り付けなどどれだけ覚えている曲がありますか?
きっと、黄金期の楽曲ほどの印象や記憶はないと思います。
レコード売り上げ枚数にも衰退期の影がよくわかります。
剣の舞 【60.8万】
地球をさがして 【47.2万】
太陽がいっぱい 【69.3万】
荒野のメガロポリス 【26.4万】
Little Birthday 【23.6万】
COCORO 【20.6万】
笑ってよ【19.2万】
これ以降は売り上げ低下が止まらず
ついに93年に入ると10万枚を下回ります。
1989年オリコン月間シングルチャート第1位は以下の通り
1月 恋一夜(工藤静香)
2月 激愛(長渕剛)
3月・4月 涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜(Wink)
5月 嵐の素顔(工藤静香)
6月 Diamonds(プリンセス・プリンセス)
7月 世界でいちばん熱い夏(プリンセス・プリンセス)
8月 太陽がいっぱい(光GENJI)
9月・10月 黄砂に吹かれて(工藤静香)
11月 One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜(Wink)
12月 白いクリスマス(JUN SKY WALKER(S))
1988年10月 剣の舞
1989年3月 地球をさがして
1989年7月 太陽がいっぱい
1990年2月 荒野のメガロポリス
1990年5月 Little Birthday
1990年8月 CO CO RO
1990年11月 笑ってよ
さて、上記の中でサビや振り付けなどどれだけ覚えている曲がありますか?
きっと、黄金期の楽曲ほどの印象や記憶はないと思います。
レコード売り上げ枚数にも衰退期の影がよくわかります。
剣の舞 【60.8万】
地球をさがして 【47.2万】
太陽がいっぱい 【69.3万】
荒野のメガロポリス 【26.4万】
Little Birthday 【23.6万】
COCORO 【20.6万】
笑ってよ【19.2万】
これ以降は売り上げ低下が止まらず
ついに93年に入ると10万枚を下回ります。
1989年オリコン月間シングルチャート第1位は以下の通り
1月 恋一夜(工藤静香)
2月 激愛(長渕剛)
3月・4月 涙をみせないで 〜Boys Don't Cry〜(Wink)
5月 嵐の素顔(工藤静香)
6月 Diamonds(プリンセス・プリンセス)
7月 世界でいちばん熱い夏(プリンセス・プリンセス)
8月 太陽がいっぱい(光GENJI)
9月・10月 黄砂に吹かれて(工藤静香)
11月 One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜(Wink)
12月 白いクリスマス(JUN SKY WALKER(S))
アイドルからバラエティに時代がシフト
光GENJI衰退の要因はいくつかあると思いますが
一番大きな要因の1つは「露出度の低下」があると思います。
時代の流れとともにテレビ界では歌番組が次々と姿を消していきます
1986年ザ・トップテン終了
1988年ザ・ベストテン終了
1990年夜のヒットスタジオ終了
さらに後の怪物アイドルグループ"SMAP"の台頭も要因の1つ。
一番大きな要因の1つは「露出度の低下」があると思います。
時代の流れとともにテレビ界では歌番組が次々と姿を消していきます
1986年ザ・トップテン終了
1988年ザ・ベストテン終了
1990年夜のヒットスタジオ終了
さらに後の怪物アイドルグループ"SMAP"の台頭も要因の1つ。
1988年4月、SMAP結成。
1991年1月1日に日本武道館で最初のコンサートを行い、
同年9月9日、「Can't Stop!! -LOVING-」でCDデビュー。
同時に、当時のアイドルが活動の主流としていた音楽番組が次々と減り
「アイドル氷河期」と呼ばれる時代に入ってから、バラエティなどに進出していった。
まさしくSMAP台頭時期と光GENJI衰退の時期が
ピタリと重なります。
またこの時期以降、ジャニーズ事務所のアイドル達は
アイドルという枠を超え、バラエティを中心にテレビに露出。
結果、現在でも活躍しているグループが多く存在します。
~SMAP以降のデビュー年表~
1991年 SMAP
1994年 TOKIO
1995年 V6
1997年 KinKi Kids
1999年 嵐
ピタリと重なります。
またこの時期以降、ジャニーズ事務所のアイドル達は
アイドルという枠を超え、バラエティを中心にテレビに露出。
結果、現在でも活躍しているグループが多く存在します。
~SMAP以降のデビュー年表~
1991年 SMAP
1994年 TOKIO
1995年 V6
1997年 KinKi Kids
1999年 嵐
I.O 2020/1/19 09:59
光GENJIが解散してから今年で没後25年。
彼らが解散する前年夏に、大沢樹生さん・佐藤寛之さんが脱退し、光GENJIは5人体制となり光GENJI SUPER5として再スタートを切りましたが、ピーク時に比べると人気も徐々に落ち込むのに加えメンバーの不仲説が囁かれ、95年夏のコンサートを最後に彼らは解散しました。グループ無き後・現在もジャニーズに所属しているのは、最年長の内海光司さんと最年少の佐藤アツヒロさんの二人だけで、諸星和己さんは解散後に事務所から独立し、今のジュニアは元光GENJIの諸星さんを知ってるメンバーは消して多くは無く、諸星さん自身も後輩の冠番組(嵐・関ジャニ他)のオファーを断り、現在の彼はNYに在住しメディアに出るのは年間数回程度となってます。