トヨタ・セリカGT-Four RC
WRCへの参戦は1992年からであった。空冷式インタークーラーとツインエントリーセラミックタービンを搭載した標準のGT-Fourに対し、GT-Four RCは冷却性能が車両の姿勢に左右されにくい[要出典]水冷式インタークーラーと、耐久性を重視して金属製のタービンブレードを使用したターボチャージャーが搭載された。ワイドボディ化によりタイヤ選択の幅が広がり、ブレーキサイズの拡大により制動力が向上し、1993年にはトヨタには初めてとなるWRCメイクス・ドライバーズのダブルタイトルをもたらした。
Celica GT4 Rally Footage - ST165 - ST185 - Raw Sound! - YouTube
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1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったST205型だが、直前になっても車両の開発状況が思わしくなかった。特にスーパーストラットサスによるハンドリングチューンは難航し、結局ラリー・オーストラリアでのデビューとなる。しかし、重い車体と決まらないハンドリングにチームとドライバーは悩まされ続け、WRCの勝利は1995年のツール・ド・コルスのみ。これらの状況に加え、同年に行われたレギュレーション変更によるターボリストリクター規制の厳格化が、ラリー・カタルーニャでの違反発覚につながった。結果、この年のポイント剥奪およびWRCへの1年間の出場禁止処分がFIAによって下された。
トヨタ セリカ GT-Four WRC ヒルクライム エンジン音 - YouTube
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トヨタ・セリカ5代目(T180型)&6代目(T200型)を懐かしんでみる。 | Middle Edge(ミドルエッジ)
トヨタセリカ、80~90年代のスポーツカーブームで人気を博しましたね。5代目、6代目で大きく印象の異なるセリカでしたが、私はどちらのモデルも好きでした。
三菱 ランサーエボリューション
1993年
ラリー・モンテカルロからWRCに参戦した「エボI」は、当初苦戦を強いられたものの、毎年のように改良を重ねたエボリューションモデルを投入して進化を重ねた結果、トップレベルの競争力を発揮していく。
1995年
スウェディッシュラリーにてケネス・エリクソンがドライブする「エボII」でランエボシリーズ初のWRC総合優勝を飾る。
1996年
三菱独自の電子制御アクティブディファレンシャルシステムの熟成により、急速に戦闘力が高まりつつあった「エボIII」にてトミ・マキネンが5度の優勝を飾り、年間ドライバーズチャンピオンを獲得し快進撃が始まる。
その後フルモデルチェンジを行い、シーケンシャルシフトなどを導入した「エボIV」、WRカーに対抗すべくトレッド幅を拡大し戦闘力を高めた「エボV」、「エボV」をさらに熟成した「エボVI」を駆ったトミ・マキネンにより1996年-1999年にWRCドライバーズタイトルを4連覇、1998年にはトミ・マキネンとリチャード・バーンズのコンビで悲願のWRCマニュファクチャラーズタイトルを獲得した(1998年はグループNもランエボが優勝を納めているのでWRC完全制覇を成し遂げた)。
しかし、WRCは1997年にグループAより改造範囲の広いワールドラリーカー(WRカー)規定が導入され、各社がWRカー規定に移行する中、三菱は「市販車をベースにWRCに参戦する」という当初からの目的もあり、グループA規定にこだわりを見せていたが、改造範囲がより幅広いWRカーが競争力を獲得すると次第にグループAの枠内では対抗しきれなくなっていってしまう。(実際はエボV投入時に、ライバルチームの同意を得た上でグループAでは本来禁止のリアホイールハウスの改造が施されており、純粋なグループAカーとは言い難い状態になっていた。)
Mitsubishi Lancer Evolution Ⅳ in 1997 World Rally Championship - YouTube
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ランサーエボリューション ヒストリー - YouTube
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ランエボ最終モデルの予約受付開始!最新情報と歴代ランエボを画像で振り返る。 | Middle Edge(ミドルエッジ)
「ランエボ」の愛称で親しまれた三菱自動車のスポーツセダン「ランサーエボリューション」の最後モデルとなる特別仕様車「ランサーエボリューション ファイナルエディション」の先行予約受付を開始した。