1980年代のアイドルプレーヤーたち
オースチンは若すぎた身体の酷使が原因で、慢性的な背中の故障を抱えるようになっていた。1983年にはオースチンは限られた試合数しかこなせなくなり、21歳の誕生日を迎える前に競技生活が不可能な状態に陥ったことから、いつしか“燃え尽き症候群”の最初の教訓として語られるようになった。
リサ・ボンダー
80年代には日本で大人気、ビデオやCMなどメディアにも引っ張りだこだったようです。25~26歳で引退、子供を出産しています。プレーヤーとしての実績は特筆するようなものはありませんでしたが日本で80年代からのテニスファンには馴染みの深い選手です。
26歳の時に、48歳年上の74歳の大富豪カーク・カーコリアンと結婚して28日後に予定通り(?)に離婚。これには、リサ・ボンダーが身ごもった娘さんを認知するためということで、双方が合意の上での結婚&離婚だったらしい。
カーリン・バセット Carling Bassett (1987) - YouTube
カーリン・バセット(1967年10月9日 - )は、カナダ・トロント出身の元女子プロテニス選手。1984年の全米オープンで女子シングルスのベスト4に入り、当地の女子テニス選手として4大大会の最高成績を出した選手である。シングルス自己最高ランキングは8位(1985年3月)。
マヌエラ・マレーバ
1967年2月14日(48歳)
身長:173cm
27歳のマレーバ・フラニエールは世界ランキング9位で現役を引退し、女子の世界ランキングトップ10のポジションのままで現役を引退した4人目の選手となった。
シュティフィ・グラフ
身長:175cm
プロ入りは1982年、13歳でのこと。しかしローティーンの頃は燃え尽き症候群などを危惧した父親が出場大会を制限していた。それでも85年、16歳には世界6位となっている。その後1988年に4大大会を全て制覇、オリンピック金メダルも合わせてゴールデンスラムを達成。と言うよりグランドスラム達成に加えて金メダルだったことからメディアが作った言葉である。
キャリアで4大大会の優勝は22回、世界ランキングの通算在位期間は歴代1位など輝かしい成績を残した伝説的なプレーヤーです。
現役引退後の2001年10月22日にアンドレ・アガシと結婚。2児がいる。2004年7月11日に国際テニス殿堂入りを果たした。また、1998年12月に設立した基金「チルドレン・フォー・トゥモロー」(Children for Tomorrow)を通して、慈善活動にも積極的に携わっている。
ガブリエラ・サバティーニ
身長:175cm
アルゼンチンの選手。85年に14歳でデビューした。96年に26歳と言う若さで引退しますが、ランキングは最高3位、全米優勝など素晴らしい戦績を残しました。
ボールに回転を多くかけた、重いトップスピン(順回転)のグラウンド・ストロークを得意にした選手だった。シングルス自己最高ランキングは3位。WTAツアーでシングルス27勝、ダブルス13勝を挙げた。
美貌と親しみやすい人柄で幅広い人気を持ち、「ガビー」(Gaby)の愛称で呼ばれていた。
1990年代のアイドルプレーヤー 不遇の時代……
80年代デビューのグラフやサバティーニが世界ランクの上位で活躍し、90年半ば頃から新星が現れ始めました。
マルチナ・ヒンギス
身長:170cm
94年に14歳でデビュー。16歳で世界ランキング1位になりました。4大大会は全仏以外は全てタイトルを獲得し、若くして成功しました。シングルスタイトルは99年までに獲得しており、それは20歳前という早熟さです。
2002年全米オープンの4回戦でモニカ・セレシュに完敗した後、同年10月の「ポルシェ・テニス・グランプリ」2回戦敗退を最後にツアーから離れ、2003年の全豪オープンの時期に新聞を通じて引退表明を行った。
アンナ・クルニコワ
身長:173cm
95年デビュー、早熟の天才として期待されていましたがシングルスのタイトルは取れずに2003年を最後に大会出場は途絶えました。
その代わりダブルスは世界ランク1位、4大大会優勝も達成しています。
ルックスだけなら歴代でもトップクラスでモデルとしての活動もしています。
インターネット・ブラウザの検索希望数ではマイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズをさえ上回った時期があった。2001年初頭には彼女の人気につけこんで「クルニコワ・ウイルス」(ファイル名「AnnaKournikova.jpg」のコンピュータウイルス)がインターネット上に流されたほどである。
後述のとおりプロでの実働期間はわずか6年、その間に4大大会2勝、ランキング1位という素晴らしい記録を打ち立てています。