ジョン・マッケンロー  怒る悪童 氷の男との戦い
2021年9月10日 更新

ジョン・マッケンロー 怒る悪童 氷の男との戦い

悪童ジョン・マッケンロー、「怒り」や「憤り」は情熱の証。「You Cannot Be Serious!(冗談だろ、マジメにやれ!)」と審判に叫ぶことができる彼は、一般的にガマンを美徳とし得意とする日本人にはできないことをやってしまい、やってのけるのであーる。 悪童ジョン・マッケンロー、「怒り」や「憤り」は情熱の証。「You Cannot Be Serious!(冗談だろ、マジメにやれ!)」と審判に叫ぶことができる彼は、一般的にガマンを美徳とし得意とする日本人にはできないことをやってしまい、やってのけるのであーる。

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生粋のニューヨーカー

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ジョン・マッケンロー(John McEnroe)が生まれたのは、1959年2月16日、父親がアメリカ空軍にいた関係でまだ西ドイツだったヴィースバーデン。
しかし9ヵ月後にはアメリカに帰国し、ニューヨーク市のクイーンズ地区のマンションで育った。
父親は軍を退役後、昼間、フルタイムで働いた後、夜、ロースクールに通い、数年後、弁護士となった。
小学生の頃、マッケンローは優等生だった。
教師に
「ベストを尽くしたのを認め快く敗北を受け入れることを学ばなければいけない」
と日誌に書かれるほど、かなり負けず嫌いで気性が激しかった。
8歳でテニスクラブに入り、初めてラケットを握った。
最初はコーチに話しかけられると母親の後ろに隠れてしまうような内気な少年だったが、競争心を刺激されメキメキと上達。
休日は朝からランチ持参で家を出て、1日中、クラブに入り浸った。
普通、10~12歳の頃は、ネット越しに単調にボールを打ち続けるだけだが、マッケンローは、まだ150cm(最終的には175cm)だった体で、コーナー、ギリギリをつくなどコートをいっぱいに使ってプレーを楽しだ。
テニスクラブのヘッドコーチで、かつてオーストラリアの名選手だったハリー・ホップマンは、非常に厳しい指導で知られていたが、ジョン・マッケンローに対しては、その才能と気質を大いに理解し、しっかり手綱を握りつつ、コートで自由に感情を爆発させることを容認していた。
「ジョンは教えやすい生徒ではないが、彼がニューヨーカーであることを考慮しなくてはならない」
マッケンローの何事にも囚われることのない自由なプレースタイルと「悪童」と呼ばれるほど強い自己主張はニューヨークで育ったということが大きいのかもしれない。
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アメリカの北東、北はカナダ、東は大西洋に面するニューヨーク州。
ニューヨーク市は、その最南端、ハドソン川の河口部にあって、大陸と離島によって構成されている。
「自由の女神」は、その中の1つ、リバティアイランドという小さな島に建っている。
歴史的にアメリカは移民に寛容で、ニューヨークはその玄関口だった。
民族と文化の多様性が非常に高い街となり
「人種のるつぼ(Melting Pot)」
という言葉もニューヨークで生まれた。
現在でも市内の人口の約4割がアメリカ以外の国で生まれた人で、170近くの言語が話され、多種多様な人々が暮らしている。
だから古い村社会的な偏見や差別、生活しづらさは皆無で、日々、さまざまな文化や伝統が融合し新しい文化が生まれている。
競争は厳しいが、基本的に実力主義の街で、その人のバックグラウンドや年齢、資格、学歴などはあまり関係ない。
だからチャンスを求めたり、厳しい競争の中で自分の能力と可能性を試すためにさまざまな人が集まってくる。
自由の女神は、アメリカ独立100周年(1886年)を祝って独立を支援したフランスから贈られたものだが、130年以上たった現在でもアメリカへ渡ってくる人々を出迎え、自由、民主主義、アメリカンドリームのシンボルであり続けている。

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ニューヨーク市は、北緯40度(日本の青森県)に位置し、夏は40℃を超え、冬は氷点下になる。
アメリカ最大にして、イギリスのロンドンと並んで、世界最高水準の都市で、多くの交通機関が24時間運行し「眠らない街」といわれる反面、自動車依存が低く、エネルギー効率の高いエコ都市でもある。
アメリカは、世界主要国の中で経済格差がワースト1位。
世界で最もビリオネア(10億ドル以上の資産を持っている人)が多く住むニューヨークの経済的不平等は、そのアメリカでもトップクラス。
アメリカのCDC(疾病予防管理センター)が行った、生活の満足度や幸福度についての調査でワースト1位。
華やかなイメージの裏で、大勢の人々がストレスと不満を感じている。
そんなアメリカで1番不幸な街は、
「ゴッサム(愚か者の町)」
というニックネームも持っていて、映画「バットマン」や「シン・シティ」では、ニューヨークがモデルと思われる街が登場し、凶悪で卑劣な権力者やマフィア、犯罪者と正義のヒーローが対決するストーリーになっている。
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ニューヨーク市は、マンハッタン、ブルックリン、ブロンクス、クイーンズ、スタテンアイランドという5つの区に分かれている。
しかし一般にニューヨークといえば、自由の女神とマンハッタン(Manhattan)!
海と川に挟まれた南北に細長いマンハッタン島は、アメリカ人にとっても外国人にとっても夢の場所で、毎年4000万人以上の観光客が訪れる。
超高層ビルが建ち並ぶ姿は、ヨーロッパの低層建築とは違う、いかにもアメリカらしい力強さと美しさを併せ持つ。
国連本部、
ウォール街、
連邦準備銀行、
ニューヨーク証券取引所、
キングコングが登ったエンパイア・ステート・ビル、
911テロで標的となったワールドトレードセンター、
世界の交差点、タイムズスクエア、
巨大クリスマスツリーの点灯式とトップ・オブ・ザ・ロック展望台が有名なビル群、ロックフェラー・センター、
ホテル、グランド ハイアット ニューヨーク、
「モビルスーツ、ガンダム」ではなく、大規模なスポーツイベントや音楽イベントが開かれるMSG、マディソン・スクエア・ガーデン
40以上のミュージカル劇場が集まり、ミュージカルの代名詞ともなっているブロードウェイ街、
とても1日ではみて回れない規模を誇り「メット(Met)」という愛称で親しまれているメトロポリタン美術館、
音楽の聖地、カーネギーホール、
アメリカ最大の舞台芸術センター、リンカーンセンター
長さ4km、アメリカで最も来訪者の多い公園、セントラル・パーク・・・などなど、さまざまな政治、経済、芸術、文化の建物や団体、数々の大企業や学校がひしめき合い、音楽、ファッション、エンターテインメント、ショッピングなど娯楽も充実している。
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マッケンローが育った1980年代、ブルックリン(Brooklyn)は、ユダヤ系、ラテン系、ロシア系、イタリア系、ポーランド系、中東系、カリブ、アフリカンアメリカ系、アイルランド系、ギリシャ系、中国系などさまざまな民族が住んでいた。
犯罪が多発するエリアもあり、マッケンローより7歳下のマイク・タイソン(MikeTyson)が育った場所は、黒人男性の平均寿命は25歳というエリアで、アメリカ最悪の「ゲットー(Ghetto)」と呼ばれていた。
その後、マンハッタンの地価高騰に伴い、賃料が安いブルックリンに多くの人々が住むようになると再開発が進んだ。
19世紀に建てられ、外国から到着したコーヒーや砂糖、毛皮などの保管していた倉庫が、外観をそのまま残して店舗やレストランに変化。
天井にはむき出しの配管、レンガやコンクリートの壁や床、廃材利用の家具・・・・・
素朴で飾らない、でもおしゃれ。
そんな「ブルックリンスタイル」は世界から注目された。
ブロンクス(Bronx)は、ニューヨーク市最北部に位置する区。
大リーグの「ニューヨーク・ヤンキース」のヤンキー・スタジアムがあり、試合があるたびに大盛り上がりをみせる。
古きよきニューヨークの雰囲気を残す店が多く、アル・カポネが生きていたとき「ギャングの街」といわれていた名残で危険なエリアも残っている。
ラップやヒップホップが誕生した地でもある。
マッケンローの実家があったクイーンズ(Queens)は、マンハッタンの東に位置し、マンハッタンよりも家賃や物価が安く、安全でのどかなベッドタウン。
ラガーディア空港、ジョン・F・ケネディ国際空港、大リーグ、ニューヨーク・メッツのシティ・フィールドスタジアム、そして毎年、テニスの全米オープンが行われるフラッシング・メドウズ・コロナ・パークもある。
スタテンアイランド(Staten Island)は、マンハッタンの南に位置する島で、ニューヨーク市で最も郊外にある。
ブルックリンとはヴェラザノ・ナローズ・ブリッジで、マンハッタンとはスタテンアイランド・フェリーで結ばれている。
無料のスタテンアイランド・フェリーは、自由の女神、エリス島、そしてマンハッタンの最高の眺めを楽しむことができる人気スポットとなっている。

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14歳なるとマッケンローは、マンハッタンのトリニティースクールに通い始めた。
トリニューヨーク市マンハッタン地区の高級住宅街アッパーウェストにあり、幼稚園から12年生まで幼小中高一貫校で、約1000人の学生が在籍し、6人の学生に対して教師1人という割合で行き届いた教育が特長で、9年生から12年生までの1年間の学費は34535ドル(約325万円)と高額。
卒業生の多くが、アイビー・リーグ、マサチューセッツ工科大学、スタンフォード大学へ進学している。
マッケンローは、クイーンズの家から、この学校まで片道90分かけて通学し、ニューヨークの空気にふれた。
いろいろな人と文化が入り混じった街では、最低限のマナーさえ守れば、周囲を気にしたり空気を読む必要はなかった。
電車の中で大声でしゃべったり電話してもOK。
授業中、先生の喋ってる途中、トイレに立ってもOK。
道やエスカレーターで横並びになって後ろが詰まっても、立ちッパでOK。
それが当たり前。
イライラするヤツがいても気にしない。
すごく礼儀知らずだが、すごく楽。
大事なのは周りより自分。
マッケンローは、そんな街でティーンエイジャーとしてキャンパスライフをエンジョイしつつ、テニスに打ち込んだ。
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高校3年生になると奨学金でトップレベルの大学へ進むことを目指し、1977年5月の全仏オープンの混合ダブルスに、幼い頃からのテニス仲間であるメアリー・カリロ(プロテニスプレーヤー、膝の故障で引退後、スポーツ・キャスター)と出場。
決勝でイワン・モリナ(コロンビア)&フロレンツァ・ミハイ(ルーマニア)組を、7-6、6-3で破って優勝し、初の4大大会タイトルを獲得。
続く6月のウィンブルドン(全英オープン)では、シングルスで予選から出場し、準決勝で世界ランキング1位のジミー・コナーズに敗れた。
ウィンブルドンは、大会6週間前から参加申し込みが始まり、全参加希望者の中からランキングの上位104名と主催者推薦の8名、計112名が予選なしで本戦に出場できる。
さらにこの選考からもれた選手の中から、ランキング上位120名と主催者推薦の8名、計128名による予選が行われ、予選で3勝した16選手が本戦トーナメントに進出。
決勝トーナメントは、128名で行われ、7回勝たなくては優勝できない。
もし予選から出場して優勝するなら10回勝たなくてはならない。
18歳のマッケンローは準決勝で敗退したが、「予選からベスト4進出」は史上初の快挙だった。
ただ勝ち進むだけでなく、審判のたてつき怒鳴るシーンもあり、無名の高校生は観客は強い印象を与えた。
「ジュニアよりはるか上のプロと試合をして勝ち進みながら、私は考えていました。
自分が想像していたほど相手が強くなかったのか、あるいは思っていた以上に自分が強かったのかもしれない。
結局、どちらも正しいとわかりました」
(ジョン・マッケンロー)
1977年、高校を卒業後、マッケンローはテニスで奨学金を受け、カリフォルニア州にあるスタンフォード大学に進んだ。
スタンフォード大学は、世界最高クラスの私立大学で、オックスフォード大学、ハーバード大学、カリフォルニア工科大学、マサチューセッツ工科大学と共に世界屈指の名門校の1つとされている。
マッケンローは、1978年春の全米学生選手権で優勝。
「大学進学」という親との約束を果たし、1年間在籍し、学生チャンピオンになった後、プロに転向した。

弱肉強食のプロテニス

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プロテニスでは、過去1年間(52週間)の成績がポイントに換算され、その累計によって世界ランキングが決まり、毎週、更新され、発表されている。
ポイントは、誰に勝ったなどは関係なく、その試合の格の大きさと勝敗で決まる。
選手は、とにかく試合に勝って、ポイントが稼ぎ、ランキングを上げていくことを目指す。
その頂点は、「グランドスラム」と呼ばれる4大大会。

・全豪オープン(毎年1月、オーストラリア、メルボルン)
・全仏オープン(毎年5月末、パリ、赤い土のクレー(土)コートが印象的)
・全英オープン(毎年6月末、「Wimbledon(ウィンブルドン)」とも呼ばれる)
・全米オープン(毎年8月末、ニューヨーク郊外で開催)

これらの大会のコートに立つことは、テニス選手の憧れで、優勝者には、「世界最強」の称号が与えられる。
1つのグランドスラムタイトルを獲得するだけでも大変なことなのに、すべての4大大会で優勝すると
「キャリアグランドスラム」
さらに1年の間に4大大会で優勝すれば
「年間グランドスラム」
と呼ばれ、偉業の達成者となる。
シュテフィ・グラフ、アンドレ・アガシ、ラファエル・ナダル、セリーナ・ウィリアムズは、「年間グランドスラム」を達成した上、オリンピックで金メダルを獲得し
「ゴールデンスラム」
を達成した。
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頂点である4大大会の少し下に、「グランプリ」や「チャレンジャー」と呼ばれる大会がある。
世界ランキング100位くらいの選手が、その対象となり、各地で試合するために「世界ツアー」をまわる。
賞金も高額で、正真正銘のプロテニス選手といえる。
さらにその下には、ランキング下位グループや、プロ志願のジュニア上がりの若手、アマチュアなどが対象となる「フューチャーズ」「サテライト」という大会がある。
サテライトとは、「衛星」とか「本体から離れて存在するもの」という意味。
世界中からエントリーでき、どの大会に出るかは自由だが、交通費や宿泊費は自分持ちなので、できるだけ近くで行われるトーナメントに申し込むことが多い。
サテライトは地方で行われることが多く、移動距離が長い場合、バスや電車の他、仲間とレンタカーをシェアして移動する場合もある。
現地に着くとルームシェアすることもあるが、その場合、ランキングが下の選手が床に寝ることになる。
試合によっては、観客が1人もおらず、ボールボーイがいないからボールは自分でとりにいき、ラインズマンもいないので自分たちでジャッジする。
サテライトツアーを回る間、選手は、練習を休んでも、夜遅くまで遊んでも何をやろうと自由。
自主性がすべてで、勝ってランキングを上げる選手もいれば、負けてラケットを投げ出してしまう選手もいる。

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