ジャンプ放送局とは
週間少年ジャンプを裏で支えた立役者
各コーナーをテレビ番組に見立て、テレビ番組や芸能、友人に関すること、スポーツ、ゲーム、ジャンプ連載の漫画など、多岐に渡るテーマで投稿ハガキを募集し、構成担当(放送局長)のさくまあきらによって選ばれたハガキが誌面に掲載されるという形を取っている。また当時の漫画誌の投稿コーナーには無かった「半年を1レースとし、掲載されるごとにコーナーに応じて得点が加算され、1レースを通じての総合得点を競う」という形態をとった。レースで競い合うことなどから、投稿者を「投稿戦士」「戦士」と呼称している。
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via oreryu.eco.to
単に投稿されたものを載せるだけというものではなく、ポイントを加算していくレース制にしたことにより、強者たちの熱く熾烈なバトルが展開されていったのでありました。
主なスタッフ
さくまあきら(放送局長:構成担当)
開始当初から構成を担当。連載途中からイラスト上、頭の上に葉っぱ付きのリンゴのヘタが付くようになった。熱狂的な横浜ベイスターズファンとして知られる。元々は『月刊OUT』で読者コーナーの構成をするなど、ライターとして活動していた。現在は『桃太郎伝説』、『桃太郎電鉄シリーズ』(以下「桃太郎シリーズ」)のゲームデザイナーとしての顔が一般に知られている。
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土居孝幸(イラスト担当)
通称「どいん」。開始当初からイラストを担当。桃太郎シリーズでのキャラクターデザインも手がける。斉藤由貴の大ファンと公言していた。「スケベ」「独身」「冷たい男」というキャラ付けがなされていたが実は彼女がいた(結婚はしていない)。公表しなかったのは、女性にモテない独身男としていじられるキャラだったためイメージが崩れるのを避けるためだったと後に語った。作中では阪神タイガースのファンとして描かれていた。なお、VTR10では「VTR20までに嫁さんの顔が見たいよなぁ〜」の読者からのネタが投稿され、VTR20ではそのネタが投稿されていたことをネタに「結局、見ることはできませんでしたね」と別の投稿者からされ、最終巻・VTR24でも「今度会うときは嫁さんの顔が見たいよなぁ〜」と、さらに別の投稿者からダメ押しのネタにされている。
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青木澄江(レイアウト担当)
初代レイアウト担当。本人がスキンダイビングを趣味にしていたのでイラスト上では「ビキニにゴーグル」という姿。当時ヒットした一風堂の楽曲「すみれ September Love」のパロディで「すみえ 三段腹 デブ」というネタが載ったことがきっかけとなって「三段腹」「デブ」というキャラ付けがされ、好き放題ネタにされた。コミックスのカバーを取った時、表紙の真ん中に描かれている人物である。実際の容姿はイラストとは異なり、個性的、且つ妙齢の美女との噂。有名ファッション雑誌のレイアウトなども手がけているが「どの編集部に行ってもJBSの話をされて恥ずかしい」とのこと。1984年を以ってJBSを脱退。なお、単行本のカバー下にある表紙にはVTR1から最終巻であるVTR24まで彼女がイラストで登場している。「永久欠番扱いであり、決して版下を差し替えるのが面倒だったわけではない」とのこと。
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榎本一夫(レイアウト担当)
通称「えのん」。青木に代わって1985年からレイアウト担当として加入したが、当初は名前がクレジットされたのみで初登場は猫乃都が卒業時。雑誌デザイン会社「バナナグローブスタジオ」代表取締役社長。
スタッフ表記では「榎本32歳」のようにその時の年齢が入った[2] 。40歳を迎えてからは「榎本ナタデココ」を名乗ったこともある。イラスト上では、いつも裸に腰巻きやふんどし姿(しかも登場当初は「えの〜ん」としか声を発しない不気味キャラ)で「でか頭」「尻出し」「ビンボー」キャラで投稿者からもいじられることが多く、本人もそれを楽しんでいた。また、キャラクターとしては当時ひょうきん族で島崎俊郎が扮していた「アダモステ」がモチーフとなっている。
本職はグラフィックデザインを手掛けるデザイナー、経営者、代表取締役、会社社長の顔を持つ。ドラゴンクエスト(初代)のロゴデザインをしたことでも知られている。故に実際は貧乏と無縁の生活をしているが、そのことは一切公表しなかった(コミックス限定の企画で榎本の会社を訪問しており、その内情は前述の通り)。またイラストレーターとしても堀井雄二による月刊OUT誌上のコーナー「ゆう坊のでたとこまかせ」のイラストを担当するなどしてきた。桃太郎シリーズの「貧乏神」のモデルになったことで有名。15巻では実際に尻出しの写真が掲載されている。当時のヤクルトスワローズのファンとしても描かれていた。
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スタッフ表記では「榎本32歳」のようにその時の年齢が入った[2] 。40歳を迎えてからは「榎本ナタデココ」を名乗ったこともある。イラスト上では、いつも裸に腰巻きやふんどし姿(しかも登場当初は「えの〜ん」としか声を発しない不気味キャラ)で「でか頭」「尻出し」「ビンボー」キャラで投稿者からもいじられることが多く、本人もそれを楽しんでいた。また、キャラクターとしては当時ひょうきん族で島崎俊郎が扮していた「アダモステ」がモチーフとなっている。
本職はグラフィックデザインを手掛けるデザイナー、経営者、代表取締役、会社社長の顔を持つ。ドラゴンクエスト(初代)のロゴデザインをしたことでも知られている。故に実際は貧乏と無縁の生活をしているが、そのことは一切公表しなかった(コミックス限定の企画で榎本の会社を訪問しており、その内情は前述の通り)。またイラストレーターとしても堀井雄二による月刊OUT誌上のコーナー「ゆう坊のでたとこまかせ」のイラストを担当するなどしてきた。桃太郎シリーズの「貧乏神」のモデルになったことで有名。15巻では実際に尻出しの写真が掲載されている。当時のヤクルトスワローズのファンとしても描かれていた。
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横山智佐(アシスタント)
1987年、高校3年末期に「ちさ姫」としてスタッフに加入、後に愛称が「ちさタロー」と変わる。イラスト上でも当初マスコットアイドル的キャラだったものの、1〜2年後には「貧乳」ネタが出始めそのキャラが定着することに。15巻では水着姿を披露したが「直角な線分」と揶揄され、しまいには「ちさタロー定規」というネタまで掲載されてしまう。さらに語尾に「〜チチ」「チチショー(ちきしょうと乳小のもじり)」「くやチチ(くやしい)」などの「ちさ語」まで使うようになった。あまりのイジられぶりに、家族が本気で心配したという逸話もある。
加入当初、駆け出しの声優であり、女子高生だった自分がJBSにおいて、どのような役割・ポジションを担っているのか掴めず、テキパキと仕事をこなす周囲に取り残されたような気持ちになったこともあった、と後に語っている。徐々に仕事を与えられたが、さくまの徹底した厳しい仕事ぶりに幾たびも涙を流したという。後に「仕事をすることの責任と自信を勉強させてもらった」とも語っている。
ダジャレを口にすることが多い、大ボケキャラとしても定着していた。また、読売ジャイアンツ、特に桑田真澄投手の大ファンとしても描かれていた。なお、JBSデビュー時には既に声優事務所に所属しており、「ちさタローの声優だより」「ちさタローの悪食大好き!」というスミコーナーがあった。ちなみに当時、他誌でJBSの仕事を紹介するときは「コラム連載」扱いとなっていた。JBS時代から長らく独身であったが、2009年に結婚した。現在も声優、女優として活躍している。
コミックス巻末のマンガ「これがジャンプ放送局だ!!」のいたずら書きなどでは独自のイラストキャラクターを多数披露。中には「ばびょ〜ん」「うるりらー」など、投稿ネタに発展したケースもある。
連載中にオーストラリアに語学留学していた時期があり、その際は彼女抜きで連載が続けられた(のちに仕事のときだけ一時帰国するようになった)。4人の中ではもっともキャラデザインの変遷が激しく、初登場時の黒髪ロングヘアー+黒ぶち眼鏡から、黒髪ロング(眼鏡なし)、黒髪ショート、茶髪ポニーテールなどと、その当時の横山のヘアスタイルに合わせてキャラデザインがその都度変えられていた。
過去の企画では、コミックスにおいて子供の頃の写真で彼女の過去を振り返るヒストリーや、読者サービスとして希望者から送られた往復葉書に自身の直筆サインを書く企画・本誌とコミックスにおいて彼女の写真集企画として「ちさの散歩道」が掲載されている。
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加入当初、駆け出しの声優であり、女子高生だった自分がJBSにおいて、どのような役割・ポジションを担っているのか掴めず、テキパキと仕事をこなす周囲に取り残されたような気持ちになったこともあった、と後に語っている。徐々に仕事を与えられたが、さくまの徹底した厳しい仕事ぶりに幾たびも涙を流したという。後に「仕事をすることの責任と自信を勉強させてもらった」とも語っている。
ダジャレを口にすることが多い、大ボケキャラとしても定着していた。また、読売ジャイアンツ、特に桑田真澄投手の大ファンとしても描かれていた。なお、JBSデビュー時には既に声優事務所に所属しており、「ちさタローの声優だより」「ちさタローの悪食大好き!」というスミコーナーがあった。ちなみに当時、他誌でJBSの仕事を紹介するときは「コラム連載」扱いとなっていた。JBS時代から長らく独身であったが、2009年に結婚した。現在も声優、女優として活躍している。
コミックス巻末のマンガ「これがジャンプ放送局だ!!」のいたずら書きなどでは独自のイラストキャラクターを多数披露。中には「ばびょ〜ん」「うるりらー」など、投稿ネタに発展したケースもある。
連載中にオーストラリアに語学留学していた時期があり、その際は彼女抜きで連載が続けられた(のちに仕事のときだけ一時帰国するようになった)。4人の中ではもっともキャラデザインの変遷が激しく、初登場時の黒髪ロングヘアー+黒ぶち眼鏡から、黒髪ロング(眼鏡なし)、黒髪ショート、茶髪ポニーテールなどと、その当時の横山のヘアスタイルに合わせてキャラデザインがその都度変えられていた。
過去の企画では、コミックスにおいて子供の頃の写真で彼女の過去を振り返るヒストリーや、読者サービスとして希望者から送られた往復葉書に自身の直筆サインを書く企画・本誌とコミックスにおいて彼女の写真集企画として「ちさの散歩道」が掲載されている。
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鈴木みそ(アシスタント)
初期のころのアシスタント。1984年の一時期(1期4代目レース)、スケジュールの都合で一時離脱したさくまあきらに代わり構成担当をしたこともあった。現在は漫画家として活動、週刊ファミ通で『あんたっちゃぶる』『おとなのしくみ』などを発表。
猫乃都(アシスタント)
1985年に青木澄江と入れ替わる形でレイアウト見習いとして参加するも、加入時わずか16歳であったためマスコット扱いとなる。イラスト上では、ロッカー風ファッションで「〜だぜ!」が口癖。1年後、榎本一夫と入れ替わりに去る。映画監督山本晋也の娘であるが、ここでは公表しなかった。後にドラゴンクエスト4コママンガ劇場や児嶋都名義でホラー漫画を描く。
中西日出海(協力)
編集作業で投稿ハガキをコーナーごとに仕分けする作業に携わる、細身で垂れ目、八重歯の生えた男性。(読者のネタを別にすれば)本誌には全く登場せず、コミックスの巻末マンガ「これがジャンプ放送局だ!!」にのみ登場する。JBS開局から最終巻までずっといた(ただし1巻のスタッフ紹介ではクレジットされていない)のだが、経歴などは一切明かされていなかった。その後さくまのホームページの日記にて、さくまの中学時代の同級生で、後に長年にわたりさくまのマネージャーを務めていたことが明かされている(さくまが脳内出血で入院してからは榎本の会社に勤めている)[1]。
マンガでも数えるほどしか台詞を発さず、他の局員達ともほとんど絡まず、黙々とハガキを仕分けする。その動きは年々速くなっていったそうで、付けられる効果音は「サッ、サッ、サッ」から「しゅたたたた」とパワーアップし、さらに残像で千手観音のごとく手が何本にも見えるという描き方をされていた。局員達との旅行などにも付き合うが、やはり台詞は発さずメンバーの横でただ微笑むのみ。ただし焼肉などではハガキの代わりに肉で「しゅたたたた」の動きを披露するのが持ちネタ。
ショッカーO野(協力)
さくまの会社出身ということもあって、一時期編集作業を手伝っていた。先述の中西の仕事の補佐で、投稿ハガキをコーナーごとに分ける。さらに「字の読めないハガキ」「住所氏名が書いてないハガキ」などを振り落とす作業もこのときに行われていた。他には力仕事などの雑用も手がける。現在は専門学校講師、ライブのMCなど様々な顔を持つ。桃太郎シリーズにも実名で出演、作品中のイベントに顔を出している。先述の横山をさくまたちに紹介したのも彼だという。
菊池晃弘(協力)
先述のショッカーと入れ替わりで編集アシスタントを務める。現在は漫画家・イラストレーターとして『Vジャンプ』などで活躍。加入後しばらくして投稿者出身のどんちゃん(後述)もアシスタントになり、彼とは後年『ジャンプ魂』で共に読者コーナーを手がけることになる。
マシリト(初代担当編集者)
JBSでは担当に付いた編集者もキャラクター化され、本誌やコミックスで活躍した。鳥山明の担当編集者としても知られる、現・集英社専務取締役の鳥嶋和彦。縦長の顔、薄い眉毛、細い目、尖ったあご、などの特徴ある顔立ちが似顔絵でも誇張付きで再現されている。その姿はほとんどDr.スランプのドクターマシリトそのままだった。榎本が登場する以前の放屁ネタの持ち主で、「映画の試写会などに行って、公開前の作品のストーリーをバラしてしまう」「誰彼構わずヘッドロックをかます」などの困ったちゃんキャラとして描かれていた。担当期間はコミックスの1-2巻だが、その後も脇役でたびたび登場している。桃太郎シリーズの「天邪鬼」のモデル。
ゲゲゲのハセガワ(長谷川)(二代目担当編集者)
コミックス3-7巻の間の担当。なぜかゲゲゲの鬼太郎のような横縞ストライプのちゃんちゃんこを着ている。「エグゾセミサイル」「マイナーハセガワ(飲み物などの注文のときに複雑なものを頼む癖がある)」などのあだ名がある。担当開始時は20歳だったらしい。先輩のマシリトなどに押される「いじられキャラ」で、「かんべんしてくださいよ〜」が口癖。4巻の巻末漫画は彼がメインの話だった。JBSと平行で新沢基栄の担当でもあった。
パラ坊オーハシ(大橋)(三代目担当編集者)
]コミックス8-9巻の間の担当。パラ坊とはパラボラアンテナのもじりで、大きな耳を揶揄したものらしい。イラストでも耳を誇張した姿で描かれ、さらにネズミのごとく前歯が二本出っ歯になっており、顔立ちはとんねるずの木梨憲武にも似ている。「あのですね」が口癖。JBSと平行で車田正美の担当でもあった。ドラゴンボールのキャラクターマジュニアが彼に似ているとの投稿もなされたことがある。10巻の写真ページにも登場、横山とのツーショット写真を披露した。
ウータン大塚(四代目担当編集者)
コミックス10-17巻の間の担当で、担当編集者であった期間が歴代で最長。本名は大塚久永、通称は「攻めの大塚」。大きな口を誇張して描かれており、ウータンとはオランウータンのもじり。8巻あたりから本誌ではイラスト上、局員達が特定のテーマに沿った扮装(時代劇、ファンタジー、F1レースなど)をするのだが、彼以降の編集者キャラはその扮装をして、本誌で局員達と積極的に絡むようになった。その際に「〜だぞよー」という語尾を使うこともある。15巻の巻末マンガで一コマだけペン入れしたらしい。「桃太郎電鉄シリーズ」の「静岡のおもちゃ工場長」のモデル。
レトロのへーちゃん(瓶子)(五代目担当編集者)
コミックス18-19巻の間の担当。18巻冒頭の写真ページで早くも「入社二年目には見えない風貌」と言われている。イラストもかなり似ており、髭を生やし、眼鏡をかけた唯一の担当編集者でもある。イラストの時期によって髭はある時とないときがある。もみあげが長い。「桃太郎電鉄シリーズ」の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。ジャンプ放送局終了後WJで始まった漫画『幕張』にて「鬼瓶」の名で登場。
イエローカード関谷(六代目担当編集者)
コミックス20-21巻の間の担当。極端な縦長逆三角形の顔をしている。その名の通り、サッカーの審判よろしく局員の行動に「イエローカード」や「レッドカード」で突っ込みを入れる。年齢が横山より年下であることを突っ込まれ、「セッキー」と呼ばれていた。巨人の元木大介にも似ているらしい。『桃太郎電鉄シリーズ』の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。
サンバ大上(七代目担当編集者)
コミックス22-24巻の間の担当。JBSの終幕を見届けた、最後の担当。名前の読みは「おおがみ」ではなく「おおうえ」。上記の瓶子と同期入社で、ジャンプ編集部に来る前は『週刊プレイボーイ』に配属されていた。鼻筋が長い縦長の顔で、土居のイラストが本当に自分にそっくりで感動したらしい。浅草サンバカーニバルに毎年出場しているらしく、初登場シーズンの本誌イラストでは上半身裸に腰ミノ、コステイロ(羽根飾りの背負子)、太鼓というサンバ風の扮装をしていた。
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初期のころのアシスタント。1984年の一時期(1期4代目レース)、スケジュールの都合で一時離脱したさくまあきらに代わり構成担当をしたこともあった。現在は漫画家として活動、週刊ファミ通で『あんたっちゃぶる』『おとなのしくみ』などを発表。
猫乃都(アシスタント)
1985年に青木澄江と入れ替わる形でレイアウト見習いとして参加するも、加入時わずか16歳であったためマスコット扱いとなる。イラスト上では、ロッカー風ファッションで「〜だぜ!」が口癖。1年後、榎本一夫と入れ替わりに去る。映画監督山本晋也の娘であるが、ここでは公表しなかった。後にドラゴンクエスト4コママンガ劇場や児嶋都名義でホラー漫画を描く。
中西日出海(協力)
編集作業で投稿ハガキをコーナーごとに仕分けする作業に携わる、細身で垂れ目、八重歯の生えた男性。(読者のネタを別にすれば)本誌には全く登場せず、コミックスの巻末マンガ「これがジャンプ放送局だ!!」にのみ登場する。JBS開局から最終巻までずっといた(ただし1巻のスタッフ紹介ではクレジットされていない)のだが、経歴などは一切明かされていなかった。その後さくまのホームページの日記にて、さくまの中学時代の同級生で、後に長年にわたりさくまのマネージャーを務めていたことが明かされている(さくまが脳内出血で入院してからは榎本の会社に勤めている)[1]。
マンガでも数えるほどしか台詞を発さず、他の局員達ともほとんど絡まず、黙々とハガキを仕分けする。その動きは年々速くなっていったそうで、付けられる効果音は「サッ、サッ、サッ」から「しゅたたたた」とパワーアップし、さらに残像で千手観音のごとく手が何本にも見えるという描き方をされていた。局員達との旅行などにも付き合うが、やはり台詞は発さずメンバーの横でただ微笑むのみ。ただし焼肉などではハガキの代わりに肉で「しゅたたたた」の動きを披露するのが持ちネタ。
ショッカーO野(協力)
さくまの会社出身ということもあって、一時期編集作業を手伝っていた。先述の中西の仕事の補佐で、投稿ハガキをコーナーごとに分ける。さらに「字の読めないハガキ」「住所氏名が書いてないハガキ」などを振り落とす作業もこのときに行われていた。他には力仕事などの雑用も手がける。現在は専門学校講師、ライブのMCなど様々な顔を持つ。桃太郎シリーズにも実名で出演、作品中のイベントに顔を出している。先述の横山をさくまたちに紹介したのも彼だという。
菊池晃弘(協力)
先述のショッカーと入れ替わりで編集アシスタントを務める。現在は漫画家・イラストレーターとして『Vジャンプ』などで活躍。加入後しばらくして投稿者出身のどんちゃん(後述)もアシスタントになり、彼とは後年『ジャンプ魂』で共に読者コーナーを手がけることになる。
マシリト(初代担当編集者)
JBSでは担当に付いた編集者もキャラクター化され、本誌やコミックスで活躍した。鳥山明の担当編集者としても知られる、現・集英社専務取締役の鳥嶋和彦。縦長の顔、薄い眉毛、細い目、尖ったあご、などの特徴ある顔立ちが似顔絵でも誇張付きで再現されている。その姿はほとんどDr.スランプのドクターマシリトそのままだった。榎本が登場する以前の放屁ネタの持ち主で、「映画の試写会などに行って、公開前の作品のストーリーをバラしてしまう」「誰彼構わずヘッドロックをかます」などの困ったちゃんキャラとして描かれていた。担当期間はコミックスの1-2巻だが、その後も脇役でたびたび登場している。桃太郎シリーズの「天邪鬼」のモデル。
ゲゲゲのハセガワ(長谷川)(二代目担当編集者)
コミックス3-7巻の間の担当。なぜかゲゲゲの鬼太郎のような横縞ストライプのちゃんちゃんこを着ている。「エグゾセミサイル」「マイナーハセガワ(飲み物などの注文のときに複雑なものを頼む癖がある)」などのあだ名がある。担当開始時は20歳だったらしい。先輩のマシリトなどに押される「いじられキャラ」で、「かんべんしてくださいよ〜」が口癖。4巻の巻末漫画は彼がメインの話だった。JBSと平行で新沢基栄の担当でもあった。
パラ坊オーハシ(大橋)(三代目担当編集者)
]コミックス8-9巻の間の担当。パラ坊とはパラボラアンテナのもじりで、大きな耳を揶揄したものらしい。イラストでも耳を誇張した姿で描かれ、さらにネズミのごとく前歯が二本出っ歯になっており、顔立ちはとんねるずの木梨憲武にも似ている。「あのですね」が口癖。JBSと平行で車田正美の担当でもあった。ドラゴンボールのキャラクターマジュニアが彼に似ているとの投稿もなされたことがある。10巻の写真ページにも登場、横山とのツーショット写真を披露した。
ウータン大塚(四代目担当編集者)
コミックス10-17巻の間の担当で、担当編集者であった期間が歴代で最長。本名は大塚久永、通称は「攻めの大塚」。大きな口を誇張して描かれており、ウータンとはオランウータンのもじり。8巻あたりから本誌ではイラスト上、局員達が特定のテーマに沿った扮装(時代劇、ファンタジー、F1レースなど)をするのだが、彼以降の編集者キャラはその扮装をして、本誌で局員達と積極的に絡むようになった。その際に「〜だぞよー」という語尾を使うこともある。15巻の巻末マンガで一コマだけペン入れしたらしい。「桃太郎電鉄シリーズ」の「静岡のおもちゃ工場長」のモデル。
レトロのへーちゃん(瓶子)(五代目担当編集者)
コミックス18-19巻の間の担当。18巻冒頭の写真ページで早くも「入社二年目には見えない風貌」と言われている。イラストもかなり似ており、髭を生やし、眼鏡をかけた唯一の担当編集者でもある。イラストの時期によって髭はある時とないときがある。もみあげが長い。「桃太郎電鉄シリーズ」の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。ジャンプ放送局終了後WJで始まった漫画『幕張』にて「鬼瓶」の名で登場。
イエローカード関谷(六代目担当編集者)
コミックス20-21巻の間の担当。極端な縦長逆三角形の顔をしている。その名の通り、サッカーの審判よろしく局員の行動に「イエローカード」や「レッドカード」で突っ込みを入れる。年齢が横山より年下であることを突っ込まれ、「セッキー」と呼ばれていた。巨人の元木大介にも似ているらしい。『桃太郎電鉄シリーズ』の「大阪のお笑い劇場」のキャラのモデル。
サンバ大上(七代目担当編集者)
コミックス22-24巻の間の担当。JBSの終幕を見届けた、最後の担当。名前の読みは「おおがみ」ではなく「おおうえ」。上記の瓶子と同期入社で、ジャンプ編集部に来る前は『週刊プレイボーイ』に配属されていた。鼻筋が長い縦長の顔で、土居のイラストが本当に自分にそっくりで感動したらしい。浅草サンバカーニバルに毎年出場しているらしく、初登場シーズンの本誌イラストでは上半身裸に腰ミノ、コステイロ(羽根飾りの背負子)、太鼓というサンバ風の扮装をしていた。
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どんなネタが投稿されてたの?
実に数多くのコーナーが存在しましたが、そのごく一部を見てみましょう。
奇特人間大賞
身の回りにいる変な人間を特集するコーナー。開局当初は「○○な奇特なお方」というスタイルが主流を占めていたが、徐々に「○○な奇特なN」とイニシャルトークになっていった。看板番組の一つであり、放送終了までトップクラスの人気が続いた。なお、「奇特」とは「大いに感心すべき」という意味が正しく、「変な」という意味で使うのは誤用である。しかし、世間一般にこの誤用が浸透し、使用されている背景には「奇特人間大賞」の影響が大きいのではないかと、2012年7月10日付の日本経済新聞の記事に取り上げられた
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TVいちゃもんいっちゃうもん(いちゃもんTV)
さまざまなテレビ番組、テレビCMにクレームや突っ込みを入れるコーナー。後に「いちゃもんテレビ」という番組名に改題(コミックス11巻より)。JBSで最も長寿だった番組で、最終レースの最終週の最後に載った番組だった。基本的ネタは「やい!」「おい!」「こら!」というように怒鳴り口調で書く。以下のあらゆるコーナーに派生する。
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NG大賞
開局当初のタイトルは「恐怖のNG」。字が汚いハガキや漢字を間違えているハガキを晒すコーナー(掲載されると減点)だったが、いつの間にかなんでもありのフリーコーナーになっていた。本誌では年に1回「NG大賞スペシャル」と題し、JBSの全てのページを使って100枚以上の作品を一挙に掲載していた。
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via www.chukai.ne.jp
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