20世紀の熾烈な家庭用ゲーム機戦争を振り返ろう。
2016年5月20日 更新

20世紀の熾烈な家庭用ゲーム機戦争を振り返ろう。

カセットビジョンに始まりファミコンの天下、そしてプレステで終わった20世紀の家庭用ゲーム機戦争。その間セガ、NECといった有力どころも存在し、実に凌ぎを削る競争が続いていました。そんな家庭用ゲーム機戦争を振り返ってみます。

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1990年前後

メガドライブ

メガドライブ

1988年、セガはアーケードゲームの主流の16bitCPUだったMC68000搭載のメガドライブ (MD) で対抗。

引用:wikipedia
CD-ROM2

CD-ROM2

同年12月、NECホームエレクトロニクスは、世界初のCD-ROM周辺機器CD-ROM2を発売。

1989年にはAV出力を備えたモデルPCエンジンコアグラフィックス、上位機器PCエンジンスーパーグラフィックスを発売した。

引用:wikipedia
スーパーファミコン

スーパーファミコン

任天堂はスーパーファミコン (SFC) を発表するが延期を重ね、実際の発売は1990年と2機種の中では最後発となった。

なお従来のファミコンも1993年には価格とデザインが一新され、AV出力を備えたモデル(AV仕様ファミコン)が登場した。

引用:wikipedia
PCエンジンDuo

PCエンジンDuo

1991年、NECホームエレクトロニクスは廉価版のコアグラフィックス2やCD-ROM2を更に強化したCD-ROM周辺機器SUPER CD-ROM2と一体型ゲーム機PCエンジンDuoを発売、旧CD-ROM2での欠点だった読み込み速度をある程度解消させた(1993年に廉価版の「Duo-R」、1994年にはさらに低価格させて上にCD-ROMのデータ読み取り速度を向上させた「Duo-RX」が発売させた)。

引用:wikipedia
ワンダーメガ

ワンダーメガ

これに対し、セガはSUPER CD-ROM2やスーパーファミコンの性能を上回るCD-ROM周辺機器メガCDと一体型ゲーム機ワンダーメガを発売(1993年には廉価版のメガドライブ2とメガCD2を発売させた)。

この間、NECホームエレクトロニクスは一定のシェアを保った。

引用:wikipedia
ネオジオ

ネオジオ

お1991年にはSNKからネオジオも発売された。

この8bit1機、16bit2機のトップシェア争いは、日本国内ではファミコンのブランドを活かした任天堂が他を大きく引き離し、2位にNECホームエレクトロニクス、3位にセガという結果に終わる。

引用:wikipedia

1990年代中期

プレイステーション

プレイステーション

1991年、任天堂はソニーと共同でSFC用CD-ROMの開発を開始、同時にソニーもCD-ROM一体型SFC互換機の発売を発表した。その名称は「PlayStation」。

しかし次第に両社の意見が合わなくなり、任天堂のフィリップスとの突然の提携発表という一方的な破棄によって共同開発は中止された。

ソニー側はこのままゲーム機から引き上げずにソニーの関連会社としてSCEを発足、1994年に32bit機であるPlayStation (PS) を発売した。前述の任天堂との共同開発版と名称が同じだが、関連性はない。

引用:wikipedia
セガサターン

セガサターン

ほぼ同時期にセガも32bit機セガサターン (SS) と16bitゲーム機であったメガドライブを次世代機と同じ32bit機にパワーアップさせる周辺機器スーパー32Xを発売した。

このPSとSSの対決はメディアなどで「次世代ゲーム機戦争」と騒がれた。32XはSSとPSが普及していたのが要因となり、短期間で生産中止した。

引用:wikipedia
PSとSSは共に32bitCPUでCD-ROMドライブを持っていたが、PSは3Dに特化したハード構成で、SSは2D性能に秀でていた。

PSはこの大容量と3D性能の高さを併せ持っていたことが評価され、『鉄拳』、『バイオハザード』などのヒット作が続々とリリースされた。1996年にスクウェア(当時)がFFシリーズ初の3DRPGである『ファイナルファンタジーVII』 (FFVII) をPlayStation用ソフトとして発売することを発表すると販売台数が飛躍的に伸びていき、セガサターンに大差をつけた。

SFCのカセットが当時10,000円前後と高価格化していた中、PSはソフトの価格を平均6,000円で発売していたことも支持された。メディアにCD-ROMを採用したことでROMカートリッジに比べてソフトの価格を大きく下げることに成功した。

従来の初心会中心の任天堂主導のゲーム流通にも斬り込んで流通改革も試み、任天堂流通に不満を持ちコンビニエンスストアでゲーム流通を行うためデジキューブを設立したスクウェアの取り込みにも繋がった。

セガも同様に任天堂流通に不満を持っており、SS発売の際に独自の流通体制を整備することでSSを扱う小売店の数を拡大させたが、親会社のCD-ROM生産設備を利用できたSCEと異なり、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできなかった。

1997年からセガはSCEの流通改革を模倣して小売店への直販化・直送化を推し進めていった。一方、スクウェア以外の有力ソフトメーカー各社もこの時代にゲームソフトの自主流通を行い始め、任天堂をはじめとして流通機構における各プラットフォームホルダーの支配力を削いでいった。

引用:wikipedia
NINTENDO64

NINTENDO64

SFCで圧倒的シェアを持っていた任天堂は、PSやSSが登場した頃にはまだ後継機を出さず、1995年に据置き使用のゲーム玩具バーチャルボーイを発売するにとどまった。

これは「テレビゲーム機」ではなくゲームボーイと同様の「ゲーム玩具」類だったが、日本ではおおむねSFCの後継機までの「つなぎ」と受け止められた。そしてSSやPSに遅れて2年後、1996年に64bit機(実質32bit機)であるNINTENDO64 (N64) を発売した。

N64はPSやSSより高性能で4人対戦が可能だった。SFC同様に単価が高く容量の少ないROMカートリッジを採用し、少数精鋭主義のセカンドパーティー構想を標榜していたが、これは結果的に前述のコンビニ流通のためCD-ROMの採用を望むスクウェアの離反を招き、ファミコンやSFCでキラーソフトだったドラゴンクエストシリーズとファイナルファンタジーシリーズがPSへ流出した。

日本国内では伸び悩んだものの、欧米では好調に売り上げを伸ばした。
1999年にはN64用の周辺機器64DDを発売させるが時すでに遅く、人気シリーズを移籍させた最終的にPSがトップシェアとなった。

引用:wikipedia
3DO

3DO

これらに先行してパナソニック、三洋電機等からは3DOが、SNKからネオジオCDも発売されている。

PCエンジンの流れを汲んだPC-FXは動画再生に特化した性能のため、当時のゲーム業界の流れだった3D化の流れから外れ、「1995年内に50万台以上普及させる」という目標も達成出来ず、3DOに次いで短命に終わった。

1998年、NECグループは家庭用ゲーム機業界から撤退することになった。

引用:wikipedia

ビジネスモデル(以下、wikipediaより引用)

ハードウェアが一定数以上普及すると、その販売機会の大きさに期待したサードパーティーの参入が促進される。これによって、消費者にとってはソフトの選択肢が増えることになる。

その結果、ハードウェアを新規購入する消費者はより普及したハードウェアを選択するようになる。一度この好循環が形成されると、市場が飽和し衰退するまでこのサイクルは続く。逆に普及率で劣ったハードはこれと丁度逆のパターンで、負のスパイラルに突入することになる。

シェアを獲得できないとハードウェアの赤字に耐えきれず、初期投資を償却するまでにベンダーの事業が自壊してしまう。なぜこのようなリスクの大きい賭けに出るかというと、市場に支配的なシェアを獲得できたときのリターンも大きいからである。

ハードウェアベンダーは新製品の発売に際し、将来的なライセンス収入を考慮して収益性の見込みを立てる。例えばライセンス料をソフト1本につき1000円とし、ユーザーが平均6本以上ソフトを購入すると仮定すれば、5000円の原価割れで本体を製造販売しても最終的には利益が出ることになる。

もっと俗な表現を使えば、初期投資の採算分岐点を一度越えれば、それ以降はサードパーティーがソフトを製造する度に自動的に利益が入るようになる。この水準まで達するとハードウェア本体のコストダウンや更なる拡販にさらに潤沢な予算を投下できるようになるため、自身の市場が飽和しきって衰退するまで市場での優位性が絶対のものとなる。

ゆえに、各社は初年度の市場拡大を最優先する。つまりハードウェアの原価を極限まで安く、あるいは大幅に原価割れした価格に設定する。この原価には広告宣伝費なども含むが、実際は発売後1 - 2年程度はハードウェアそのものも原価割れしていることが多い。逆に初期投資の減価償却水準までハードウェアが普及しなかった場合は、事業を閉鎖するまでの間は莫大な赤字を垂れ流し続けるということであり、加速度的な勢いで負債を抱え込むことになる。

"まず損してでも市場に地歩を築いて、あとから得を取る"という手法そのものは、高度経済成長期に日本国外に進出した日本企業がよく選んだ戦略である。また上位あるいは主力機種を売るために、それらと同じものを意図的にチープな仕様に改変し、下位機種として原価割れで売ることはあった。

ゲームエンジンを用いた開発が普及していると言うこともあり、パブリッシャーでは同一タイトルを複数のゲーム機向けにリリースするというマルチプラットフォーム戦略が浸透している。

ここでは指摘されているゲーム機の競争を左右する要素を挙げる。
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