【プロ野球】水を得た魚!阪神からパ・リーグに移籍して大活躍した選手たち
2023年1月11日 更新

【プロ野球】水を得た魚!阪神からパ・リーグに移籍して大活躍した選手たち

元々は阪神タイガースの選手で、パ・リーグの球団に移籍した途端、大活躍した選手がいます。阪神時代は、結果が残せず、あるいは、調子を落としてしまい、トレード要員となりますが、結果的にはそれが功を奏し、移籍後は期待以上の活躍を見せました。今回は、1980〜1990年代にプロ入りした5人の選手にフォーカスして、移籍前後の成績の変化を見てみます。

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大野久

大野久は、1984年、社会人野球の日産自動車からドラフト5位で阪神タイガースに入団。一年目の1985年は、14試合に出場し、かろうじて阪神日本一の年を経験します。優勝後、チームの成績は下降の一途。反対に、スイッチヒッターの大野は活躍の場が増え、1988年からレギュラーに定着します。1989年には、リーグ7位の打率.303を記録。しかし、翌年は打率を大きく落とし、その年のオフ、池田親興らとともに福岡ダイエーホークスに移籍しました。

ダイエーに移籍後は、一年目の1991年にいきなり大活躍。130試合にフル出場し、打率.289はリーグ7位、そして、42盗塁で現役生活唯一のタイトル、盗塁王を獲得します。その後は成績を落とし、1995年に中日に移籍。その年に引退しています。
ダイエー時代の大野久

ダイエー時代の大野久

池田親興

池田親興は、1983年、社会人野球の日産自動車からドラフト2位で阪神タイガースに入団。一年目の1984年に先発ローテーションの一人として活躍すると、二年目の1985年には、早くも開幕投手に選ばれます。先発として9勝6敗の成績で、21年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。西武との日本シリーズでは、第1戦に登板し、前評判を覆す完封勝利を挙げています。しかし、翌年は怪我で登板はわずか11試合。1987年に5勝13敗と大きく負け越すと、以後は結果を残せず、1990年のオフ、大野久らとともに福岡ダイエーホークスに移籍しました。

ダイエーに移籍後は、起用法が一変。田淵幸一監督の方針で、一年目の途中からリリーフに転向します。これが奏功し、1991年は6勝4敗13セーブ、1992年は8勝4敗14セーブと、2年連続二桁セーブを挙げ、抑えの切り札として大活躍しました。しかし、根本陸夫監督に変わってからは、登板機会が減り、1994年オフに自由契約。1995年にヤクルトに移籍し、その年に引退しています。
ダイエー時代の池田親興

ダイエー時代の池田親興

野田浩司

野田浩司は、1987年、社会人野球の九州産交の廃部に伴い、ドラフト1位で阪神タイガースに入団。彼の投げるフォークは、視界からすっと消える "お化けフォーク" と言われ、一年目の1988年から、先発・中継ぎフル回転で起用されます。しかし、当時弱小チームだった阪神は打線が貧弱。好投しても報われず、一年目は3勝13敗の散々な結果に終わりました。結局、阪神時代は、1989年以外すべて負け越し。優勝争いをした1992年は、防御率2.98ながら8勝9敗に終わっています。打線強化という球団の方針により、松永浩美との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍しました。

オリックスに移籍すると、お化けフォークがいきなり大活躍。1993年は、17勝5敗の好成績で、最多勝利のタイトルを獲得します。1995年には、1試合19奪三振プロ野球新記録を達成。2022年に佐々木朗希がタイ記録を出すまで、30年近く野田の単独記録でした。しかし、二桁勝利をあげたのはこの年まで。その後は故障で登板機会が減り、2000年に引退しています。
オリックス時代の野田浩司

オリックス時代の野田浩司

北川博敏

北川博敏は、1994年、日本大学からドラフト2位で阪神タイガースに入団。一年目の1995年は、ジュニアオールスターでMVPを獲得するなど活躍しますが、一軍では打者として結果が残せず。捕手としても、矢野輝弘やカツノリの途中加入もあり、出場機会の少ないまま6年の時が経ちます。そして、2000年オフ、湯舟敏郎らとともに近鉄バファローズに移籍。実は、近鉄・梨田監督から請われての移籍でした。

近鉄に移籍後は、一年目の2001年から一軍に定着。初ホームランも、この年に記録しています。最も有名なエピソードは、2001年9月26日のオリックス戦。勝てば優勝決定という大事な試合ながら、9回表終わって3点ビハインド。しかし、ノーアウト満塁まで粘り、代打・北川がコールされます。北川は、守護神・大久保勝信が投げた4球目をレフトスタンド上段に運び込み、奇跡の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランリーグ優勝を決めました。

その後は、一塁手やDHとして活躍。2004年には133試合フル出場し、規定打席に到達すると、打率.30320ホームランとキャリアハイの好成績を残します。球界再編の選手分配ドラフトでは、新生オリックス・バファローズにそのまま所属しました。12年間、バファローズの第一線で活躍し続け、2012年に引退しています。
オリックス時代の北川博敏

オリックス時代の北川博敏

平尾博嗣

平尾博嗣は、1993年に大宮東高で選抜準優勝。その年のドラフト2位で、阪神タイガースに入団します。2年目の1995年から一軍出場しますが、期待に反して思うような結果が残せず。レギュラーの座を獲得できないまま、2001年途中、谷中真二との交換トレードで西武ライオンズに移籍しました。

移籍当年の2001年は怪我でリハビリに費やすも、2002年から改名し(博司から博嗣)、出場機会を得て活躍。その年の日本シリーズでは、3試合にスタメン出場しました。2004年は、規定打席に届かずも打率.307、日本シリーズでホームランなど、数字以上の貢献を見せています。2006年には、キャリア最多の76試合に出場。2010年はわずか57試合の出場ながら、打率.330出塁率.398得点圏打率.357の好成績を残しました。2012年に引退。最後の12年間は、一貫して西武で活躍しました。
西武時代の平尾博嗣

西武時代の平尾博嗣

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