1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がついた。翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間チャートで2位にランクインした。
『知床旅情』 加藤登紀子 (昭和46年)
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加藤登紀子が歌い、知られるようになった「百万本のバラ」には、全く違う歌詞の原曲がありました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「百万本のバラ」は、ソ連時代に生まれ、日本語にも訳され知られるようになりましたが、それはラトビアで歌われていた「マーラが与えた人生」という歌謡曲を原曲としたものでした。日本でも多くの歌手にカバーされた「百万本のバラ」の背景について振り返ります。
《TOP1》 わたしの城下町 / 小柳ルミ子
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「みんなの恋人」というキャッチフレーズを持ってデビューした小柳ルミ子のファースト・シングル。国鉄キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」の流行も手伝い、デビュー・シングルながらオリコンチャートでは、その後通算12週にわたって週間1位を独走した。なおこの記録は2016年現在、ソロの女性歌手では歴代1位の記録である。
え~~~!? TOP1の曲なのに知りませんでしたぁぁぁ~~~((+_+))
自分の無知さ加減に嫌気がさします・・・ 勿論、瀬戸の花嫁は知っているのですが・・・
もっと勉強しないとなぁ(^^)/
自分の無知さ加減に嫌気がさします・・・ 勿論、瀬戸の花嫁は知っているのですが・・・
もっと勉強しないとなぁ(^^)/
わたしの城下町/小柳ルミ子
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1970年代前半を代表するアイドルの小柳ルミ子さんのまとめ。わたしの城下町など歌とグラビアに「白蛇抄」での体当たり演技など - Middle Edge(ミドルエッジ)
デビュー曲の1971年のわたしの城下町が大ヒットし、1970年代前半を代表するトップアイドルになった小柳ルミ子さん。1983年に体当たり演技で望んだ白蛇抄で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。女優としても80年代に大活躍しました。
1971年のヒット曲を振り返ってみて
1971年のTOP10を振り返ってみて、皆様はいかがだったでしょうか?
個人的な感想なのですが、正直知らない曲が多かったです((+_+))
しかし、その中でも「知床旅情」や「また逢う日まで」など、自分の知ってる曲もラインクインされており、記事を作っていて楽しかったです(^^)/
尚、これも超個人的なことなのですが、私が書いているこの「聴きなおしシリーズ!」の1970年台の辺りは、母親が楽しみにしてまして・・・(笑) 電話で母親とこの話題をするのが楽しみでもあります。なので、皆様もこの1970年台あたりの記事については、是非上の世代の方との話題にしてみてくださいね(^^)/ きっと楽しいと思いますよ~!(^^)!
さて、次回の「聴きなおしシリーズ!」は1981年を振り返りたいと思います!
乞うご期待です(^^)/
個人的な感想なのですが、正直知らない曲が多かったです((+_+))
しかし、その中でも「知床旅情」や「また逢う日まで」など、自分の知ってる曲もラインクインされており、記事を作っていて楽しかったです(^^)/
尚、これも超個人的なことなのですが、私が書いているこの「聴きなおしシリーズ!」の1970年台の辺りは、母親が楽しみにしてまして・・・(笑) 電話で母親とこの話題をするのが楽しみでもあります。なので、皆様もこの1970年台あたりの記事については、是非上の世代の方との話題にしてみてくださいね(^^)/ きっと楽しいと思いますよ~!(^^)!
さて、次回の「聴きなおしシリーズ!」は1981年を振り返りたいと思います!
乞うご期待です(^^)/
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遡るシリーズ!【1971年・昭和46年】のアレコレを振り返る - Middle Edge(ミドルエッジ)
この年は国内では大きな事件はありませんでしたが、国際的にはベトナム戦争やカンボジアでクメール・ルージュが暴走したりと大変な年でもありました。そんな中、横綱・大鵬やカップヌードルなどの話題もあった1971年・昭和46年を振り返ってみたいと思います(^^)/
僕は北海道に行ったことがありませんが、この曲を聴くと、どうしても一度は行ってみたいと思いますねぇ