坂本博之 「KO命」「殺気と拳の力は比例する」「俺は絶対に倒れないよっていう気迫を出せば倒れない」」逆境を信念で克服したKOキング
2017年3月28日 更新

坂本博之 「KO命」「殺気と拳の力は比例する」「俺は絶対に倒れないよっていう気迫を出せば倒れない」」逆境を信念で克服したKOキング

ボクサーとして「KO命」「殺気と拳の力は比例する」とスポーツ化してしまったボクシングの原点回帰を体現、人としても「あきらめても仕方ない、熱を持って生きろ!」と訴える。後退せず前進、立ち向かうというシンプルだけど難しいことを教えてくれる。

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坂本博之
あくまでも強打にこだわる無骨なファイター。
器用さは無いが強靭な精神力とタフネスは絶大。
圧倒的な存在感でファンを引き付ける。

虐待、心も体も飢えていた少年時代

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両親が離婚し、母と1つ下の弟と3人暮らしをしていたが
小学1年生になった春、母は仕事のために東京に行き、坂本博之と弟は知らない遠い親戚に預けられた。
親戚のオジサンはなにかあるとすぐに怒鳴り殴る人で、
布団はあったが寝る場所は硬い床の上。
「水道代がもったいない」とトイレは公園。
食事は、家ではもらえず、学校の給食だけの1日1食。
近所の川で魚やザリガニやタニシをとったり
誰かが食べ物を落とすのを期待してスーパーの出入り口近くで待ったりした。
生きるために仕方ないと自分に言い聞かせながら、食べ物を万引きをすることもあった。

和白青松園

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小学校2年生のとき、児童養護施設「和白青松園」に入った。
離婚、虐待、家出など様々な家庭事情で引き取られた2歳から高校生までのたくさんの子供がいた。
2段ベッドだが自分の寝る場所ができた。
食事に朝夕に加えおやつも出た。
トイレも自由に使えた。
また集団生活の「温もり」があった。
人の痛みがわかる子供が多く、年上の年下の面倒見もよく、いじめなどはなかった。
しかしワルかった。
坂本も中学生からもらって小学2年生でタバコを覚えた。
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小学校3年生のとき、
夕食を終えた後、食堂のテレビをみていると
2人の男が血を流しながら戦っていた。
ボクシングだった。
施設に入り空腹と孤独は満たされた。
しかし「感情」は閉じ込められたままだった。
ブラウン管の中のボクシングの世界は光り輝いていた。
それに比べて自分はなんて暗い閉じ込められた世界にいるのか。
ボクシングは坂本博之の心の中に火をつけた。
やがて母親が東京からきて
坂本博之と弟は和白青松園を卒園し3人で東京でl暮らすことになった。

時期的に、おそらく小学生だった坂本博之がみたと思われる具志堅用高の試合

東京

大都会東京

大都会東京

東京ですべてが新しい人生が始まった。
家は台東区竜泉のアパート。
高層ビル、人の海、大都会は刺激的だった。
母は夜に仕事に出て朝の5時に帰ってくる。
朝食はつくってあったが、夕食は置かれた1000円でホカ弁でから揚げ弁当を買った。
ケンカはこちらから売ることはなかった。
しかし売られたら逃げなかった。
相手は1人のときもあったし、複数のときもあったが負けた記憶はない。 
2人組にナイフを振り回されたときは背筋に冷たい汗が流れる気がしたが、それも一瞬だった。
「俺の右ストレートの方が早かったんよ。」
やるときは徹底した。
戦意を完全に剥ぎ取るまで容赦しなかった。
終わればぐったり横たわる相手のそばにしゃがみ、
「これで終わりにしようや。」 
とタバコを差し出すのが常だった。
「殺されるかと思ったよ・・・」
怯えきった目が安堵の色を浮かべるまで傍らにいた。
体の傷はいつか癒える。
だが心の傷は放置しておけなかった。
男がその後、堕ちていくのが嫌だった。
「ま、虫のいい話なんだけどね。
心のケアというのかな、それはしてた。」
勉強はダメだった。
特に数学は8+5はわかるが-8+5となるとわからなかった。
高校受験のために夏から猛勉強を始めた。
学校から帰ってから同じクラスの成績のいい同級生に頼んで家庭教師をしてもらって勉強をした。
そしてさいたま市南浦和市にある私立小松原高校に合格した。
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高校入学と同時に坂本博之は弟と2人暮らしを始めた。
深夜のビル清掃業や土木作業員などアルバイトも始めた。
友達と遊びまくった。
免許とカワサキ・GPZ(バイク)も手に入れた。
高校では最高に楽しい3年間を送った。

2度目のプロテストで合格

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坂本博之は、高校卒業後、角海老宝石ジムに入りボクシングを始めた。
角海老宝石ジムは帝拳ジム、協栄ジムと肩を並べ、年間興行数、練習生数は全国でもトップクラスのジムである。
不遇の時代に夢を与えてくれたボクシングだったが、数か月後に受けたプロテストは不合格だった。
まだその頃は高校時代の仲間と夜遊びをしていたしタバコも吸っていた。
プロテストの前日でさえ夜中の2時まで遊んでいた。
不合格になって数日後、江戸川区小岩に引っ越した。
高校時代の仲間との関係を断ち切るため、
またロードワークがしやすい河川敷があったからだった。
ジムも角海老宝石ジムから勝又(現:角海老宝石勝又)ジムに変えた。
以後、妥協しなくなった。
すべてをボクシングに集中させた。
1年半後、2度目のプロテストで合格しプロボクサーとなった。
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