シリーズ作品は二年半の間に10本作られたため、興行は最後の頃は落ちてきた。「マンネリ上等」を持論としていた岡田であったが、1967年末封切りされた『網走番外地 吹雪の斗争』で、一旦終了を決めた。]
ところがより観客に近い東映の館主会から反対を受け、「高倉健と俊藤プロデューサーが組んだ網走番外地を撮って欲しい」という要望が出された。岡田は仕方なく俊藤に頼むと「冗談やない。ひとのやった企画をいまさらやれるかいな」と断わられたが「いや、それは困る。館主会の決定なんや」と押し問答の末、押し切り、俊藤のプロデュースで「新網走番外地」シリーズがその後8本製作された[
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シリーズ第1作 新網走番外地 (1968)
シリーズ第2作 新網走番外地 流人岬の血斗 (1969)
シリーズ第3作 新網走番外地 さいはての流れ者 (1969)
シリーズ第4作 新網走番外地 大森林の決斗 (1970)
シリーズ第5作 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 (1970)
シリーズ第6作 新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬 (1971)
シリーズ第7作 新網走番外地 吹雪の大脱走 (1971)
シリーズ第8作 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 (1972)
シリーズ第2作 新網走番外地 流人岬の血斗 (1969)
シリーズ第3作 新網走番外地 さいはての流れ者 (1969)
シリーズ第4作 新網走番外地 大森林の決斗 (1970)
シリーズ第5作 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 (1970)
シリーズ第6作 新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬 (1971)
シリーズ第7作 新網走番外地 吹雪の大脱走 (1971)
シリーズ第8作 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 (1972)
昭和残侠伝シリーズ
前年の『日本侠客伝』第一作で、岡田茂京都撮影所所長と俊藤浩滋は
「主人公とそれを支える流れ者」という形に眼をつけた。
これなら男同士の情念も描けるし、やはり前年から製作が始まった鶴田浩二主演の『博徒シリーズ』には無い形なので「独自のカラーが出せる、毎回これでいこうや」となって、
毎回ゲストを出しては途中で殺すパターンが出来上がった。
このパターンを発展したのが『昭和残侠伝』シリーズ。
毎回ゲストを出しては途中で殺すパターン
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シリーズ第1作 『昭和残侠伝』(1965年)
シリーズ第2作 『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年)
シリーズ第3作 『昭和残侠伝 一匹狼』(1966年)
シリーズ第4作 『昭和残侠伝 血染めの唐獅子』(1967年)
シリーズ第5作 『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(1969)
シリーズ第6作 『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969年)
シリーズ第7作 『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年)
シリーズ第8作 『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971年)
シリーズ第9作 『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年)
シリーズ第2作 『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年)
シリーズ第3作 『昭和残侠伝 一匹狼』(1966年)
シリーズ第4作 『昭和残侠伝 血染めの唐獅子』(1967年)
シリーズ第5作 『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(1969)
シリーズ第6作 『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969年)
シリーズ第7作 『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年)
シリーズ第8作 『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971年)
シリーズ第9作 『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年)
「鍛えられた体の背筋をピンと伸ばし、寡黙であり、不条理な仕打ちに耐え、言い訳をせずに筋を通し、ついには復讐を果たす」という高倉演じる主人公は、サラリーマンや学生運動に身を投じる学生を含め、当時の男性に熱狂的な支持を集め、オールナイト興行にまでファンが溢れ、立ち見が出たほどであった。
映画が終わると主人公に自分を投影させて、人が変わったように出ていくさまを目の当たりにし、強い衝撃を受けたという。
1973年以降、東映から独立するまでの作品を挙げてみましょう。
1973年
山口組三代目 ※年度別日本映画の国内興行成績4位
現代任侠史
ゴルゴ13 ※年度別日本映画の国内興行成績7位(『女囚さそり 701号怨み節』との併映)
劇画『ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷のモデルにもなり、同作の実写映画版への出演は、原作者のさいとう・たかをたっての要望であったという
1974年
三代目襲名 ※年度別日本映画の国内興行成績4位(2本立て)
1975年
日本任侠道 激突篇
大脱獄
新幹線大爆破
神戸国際ギャング
1973年
山口組三代目 ※年度別日本映画の国内興行成績4位
現代任侠史
ゴルゴ13 ※年度別日本映画の国内興行成績7位(『女囚さそり 701号怨み節』との併映)
劇画『ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷のモデルにもなり、同作の実写映画版への出演は、原作者のさいとう・たかをたっての要望であったという
1974年
三代目襲名 ※年度別日本映画の国内興行成績4位(2本立て)
1975年
日本任侠道 激突篇
大脱獄
新幹線大爆破
神戸国際ギャング
山口組三代目(プレビュー)
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ゴルゴ13(プレビュー)
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新幹線大爆破(予告編)
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ここまでに紹介させてもっらった作品群は全て主役としての出演作であり、
年代を追ってみても御覧の通り
かなりの本数をこなしているのがお分かりいただけると思います。
年代を追ってみても御覧の通り
かなりの本数をこなしているのがお分かりいただけると思います。
映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 (1966年、にんじんプロダクション / 國光影業) を皮切りに、
ハリウッド映画や東映以外の作品にも出演していたが、1970年に「ヤクザ映画にも出演し続けるが、
好きな映画を作る自由も認めてほしい」と、東映社長・大川博の了承をもらい、高倉プロを設立する。
しかし翌1971年8月に大川が死去。社長が岡田茂に代わり、特例は認めないと反故にされた。
1972年11月、高倉の海外旅行が「高倉健 蒸発」「仕事を放り出して蒸発することで、
高倉プロを認めさせる最後の手段に出た」と報道された。帰国した高倉は
「僕はそんな手段を使って、会社とやり合うようなケチな根性は持ってない」と説明したものの、
1973年には『仁義なき戦い』がヒットすると、岡田は実録路線に変更したため、高倉と岡田の関係は悪化。
「このまま東映にいたら、ヤクザ役しかできなくなる」という危機感も加わり、
東映作品の出演を拒みだすようになってしまう。
そんな矢先に当時海外で流行中だったパニック映画に触発され
東映が企画していた大作『新幹線大爆破』の台本を手にする。
本作の企画の面白さに高倉は新幹線に爆弾を取り付ける犯人グループの主犯・沖田哲男役を希望し本作の主演を務めることとなる。
高倉がこれまで演じてきた役柄とは大きく異なるキャラクターではあったが、従来のイメージを一新するステップアップ作となり、
また海外にも輸出され本作はヨーロッパで空前の大ヒット作となる。その後、高倉は1976年に東映を退社した。
東映退社後の作品
数多くの受賞の数々
「君よ憤怒の河を渉れ」 (1976年、永田プロ / 大映)※東映退社後第一作
「八甲田山 」(1977年6月、橋本プロ / 東宝 / シナノ企画)※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞 ※年度別日本映画の国内興行成績1位
「幸福の黄色いハンカチ」 (1977年10月、松竹)※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞
「野性の証明」 (1978年10月、角川春樹事務所) ※年度別日本映画の日本興行成績1位
「動乱」 (1980年1月、東映 / シナノ企画) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「遙かなる山の呼び声」 (1980年3月、松竹) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「駅 STATION」 (1981年11月、東宝)- ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「海峡」 (1982年10月、東宝) ※東宝創立50周年記念作品、文部省特選
「南極物語 」(1983年7月、フジテレビジョン / 学習研究社 / 蔵原プロダクション
※年度別日本映画の国内興行成績1位
「あ・うん」 (1989年11月、東宝 / フィルムフェイス) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
「四十七人の刺客」(1994年、東宝 / 日本テレビ放送網 / サントリー) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
「鉄道員(ぽっぽや)」 (1999年、「鉄道員」製作委員会) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞
「単騎、千里を走る。」 (2005年、北京新画面影業 / 張芸謀電影工作室 / 東宝)
※2007年度サンディエゴ映画批評家協会 主演男優賞
「あなたへ」 (2012年、東宝) ※遺作、第37回2012年報知映画賞 主演男優賞、
第25回2012年日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞
「八甲田山 」(1977年6月、橋本プロ / 東宝 / シナノ企画)※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞 ※年度別日本映画の国内興行成績1位
「幸福の黄色いハンカチ」 (1977年10月、松竹)※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞
「野性の証明」 (1978年10月、角川春樹事務所) ※年度別日本映画の日本興行成績1位
「動乱」 (1980年1月、東映 / シナノ企画) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「遙かなる山の呼び声」 (1980年3月、松竹) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「駅 STATION」 (1981年11月、東宝)- ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
「海峡」 (1982年10月、東宝) ※東宝創立50周年記念作品、文部省特選
「南極物語 」(1983年7月、フジテレビジョン / 学習研究社 / 蔵原プロダクション
※年度別日本映画の国内興行成績1位
「あ・うん」 (1989年11月、東宝 / フィルムフェイス) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
「四十七人の刺客」(1994年、東宝 / 日本テレビ放送網 / サントリー) ※日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
「鉄道員(ぽっぽや)」 (1999年、「鉄道員」製作委員会) ※日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞、
ブルーリボン賞 主演男優賞
「単騎、千里を走る。」 (2005年、北京新画面影業 / 張芸謀電影工作室 / 東宝)
※2007年度サンディエゴ映画批評家協会 主演男優賞
「あなたへ」 (2012年、東宝) ※遺作、第37回2012年報知映画賞 主演男優賞、
第25回2012年日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞
取り敢えず東映退社後第一作と何らかの賞を受賞した作品を挙げてみましたが、
この他にも印象深い作品が数多くあり、是非とも紹介させて貰いたいところですが
あまりの作品数にこの記事があまりにも長くなり過ぎることから
上記の作品に限らせていただきます。
この他にも印象深い作品が数多くあり、是非とも紹介させて貰いたいところですが
あまりの作品数にこの記事があまりにも長くなり過ぎることから
上記の作品に限らせていただきます。
脚本 村尾昭
企画 俊藤浩滋 、 矢部恒
撮影 坪井誠
出演
高倉健
三橋達也
長門裕之
製作年 1968年
製作国 日本
配給 東映
上映時間 94分