赤いユニフォーム!?サッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ着用された!その頃の成績は?
2018年7月1日 更新

赤いユニフォーム!?サッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ着用された!その頃の成績は?

「サムライブルー」の愛称で呼ばれ、青色が印象的なサッカー日本代表のユニフォーム。Jリーグ開幕前にサッカー日本代表のカラーが青でなく、「赤い」時代がありました。その頃の成績や着用した選手などにスポットを当てます。

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当時の日本代表を率いていたのは、1968年のメキシコシティオリンピックの三位決定戦でPKをセーブするなど活躍し、銅メダル獲得にも貢献した横山兼三(謙三)監督でした。

1988年の就任以降、当時の世界最先端である3-5-2システムを採用するなどしますが、結果は振るわず、ワールドカップイタリア大会アジア予選は1次予選敗退、続くバルセロナオリンピックアジア予選でも最終ラウンドまで進出しますが、出場権を得られませんでした。
雑誌「サッカーダイジェスト1991年8月号」目次にも、...

雑誌「サッカーダイジェスト1991年8月号」目次にも、日本の初優勝特集が!

ただ、ベテランを起用せず、その後の日本代表の中心選手となる井原や柱谷、三浦知良、ラモス瑠偉、北澤などを登用し、「日本サッカー冬の時代」に少しずつ日が差し込み始めるきっかけを作った監督でもありました。

1991年のキリンカップでは、リネカー擁するトッテナム・ホットスパーなどを相手に初優勝を飾っています。

ただ、この赤いユニフォームで目立った成績は他になく、古くからの日本代表ファンにとっては、苦い思い出のユニフォームかも知れません。

なぜ日本代表のユニフォームは青いの?

1992年には再度、青と白の日本代表ユニフォームに変更されています。
最後に、なぜ日本代表のユニフォームは青いのか、日本サッカー協会のウェブサイトからの文言を引用して終わりたいと思います。
「日本の国土を象徴する海と空の青」と一般的に考えられていますが、実際は後になってつけられた理由で、なぜ青なのかということは文献が残っておらず不明です。
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