赤いユニフォーム!?サッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ着用された!その頃の成績は?
2018年7月1日 更新

赤いユニフォーム!?サッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ着用された!その頃の成績は?

「サムライブルー」の愛称で呼ばれ、青色が印象的なサッカー日本代表のユニフォーム。Jリーグ開幕前にサッカー日本代表のカラーが青でなく、「赤い」時代がありました。その頃の成績や着用した選手などにスポットを当てます。

6,901 view

まだサッカー日本代表が「全日本」と呼ばれていた頃、短期間だけ赤いユニフォームの時期があった!

サッカーの日本代表と言えば「サムライブルー」の愛称で知られるように青色がイメージカラーですよね。
Jリーグが開幕して、サッカー人気が定着して以降、日本代表の選手だけでなく、サポーターも青い代表ユニフォームを着て、スタジアムを青一色で包むのが当たり前の光景となっています。
近年の日本代表ユニフォーム

近年の日本代表ユニフォーム

90年代に日本代表に起きた「ドーハの悲劇」、「マイアミの奇跡」、「ジョホールバルの歓喜」を知るサッカーファンにとっては、「蒼き日本代表」がやはり身近に思えますね。

また、今のように「日本代表」との呼称ではなく、かつては「全日本」との呼び方もありましたね。特にJリーグ開幕以降、「日本代表」と呼ぶようになって久しいですが、「全日本」は非常に懐かしく感じます。

《思い出深い 日本代表ユニフォーム》

「ドーハの悲劇」の頃の日本代表ユニフォーム

「ドーハの悲劇」の頃の日本代表ユニフォーム

キャプテン翼も着用!

キャプテン翼も着用!

Jドリームの赤星鷹も!

Jドリームの赤星鷹も!

1998年フランスワールドカップの頃の日本代表ユニフォーム

1998年フランスワールドカップの頃の日本代表ユニフォーム

「赤い」日本代表のユニフォームが存在!

「青」が強くイメージされる日本代表のユニフォームにおいて、80年代末に一つの異変が起きます。それが「赤」のユニフォームの採用でした。

永遠のライバル・韓国代表を思わせるその赤いユニフォームは、1988年から1991年にかけて着用されました。
バルセロナ五輪予選を戦った日本代表

バルセロナ五輪予選を戦った日本代表

胸にあった日の丸が消え、現在日本サッカー協会を象徴するエンブレム「ヤタガラス」が付けられました。ユニフォーム全体が日の丸を想起させていますね。

上記画像のサッカー雑誌「ストライカー」の表紙で、赤い日本代表ユニフォームを着ている選手には、奈良橋や沢登、下川、小村、相馬、三浦文丈などが映っています。90年代中頃から後半にかけて日本サッカー界を担った選手たちもこのユニフォームに袖を通していました。
1991年には今も続き、キリンカップで優勝した日本代表

1991年には今も続き、キリンカップで優勝した日本代表

それまでは青と併用して現在と同じように白をベースとしたユニフォームが採用されていました。当時はその両カラーに憧れてた選手もいたでしょうか。だとしたら、全く印象の異なる赤いユニフォームには、どのような印象を持ったのでしょうか?気になるところです。
サッカー少年のイラスト

サッカー少年のイラスト

「赤い」ユニフォームを採用していた頃の成績は?

赤いユニフォームを採用していた時期は、はたしてどのような成績だったのでしょうか。

この頃の日本代表はまだアジアの強豪でもなく、中堅国のひとつでした。ワールドカップの出場は悲願であり、夢のまた夢で、オリンピックも釜本が活躍したメキシコオリンピックから出場は遠のいていました。
1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日...

1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表!

青いユニフォームを着て試合に臨む釜本邦茂

青いユニフォームを着て試合に臨む釜本邦茂

26 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

「ドーハの悲劇」から30年が経過!ラモス瑠偉公認のコラボアイテムが発売!ドキュメンタリー「ドーハ1993+」も話題に!

「ドーハの悲劇」から30年が経過!ラモス瑠偉公認のコラボアイテムが発売!ドキュメンタリー「ドーハ1993+」も話題に!

オンラインショップ「キーレジェンド」にて、ドーハの悲劇を象徴するシーンをイラストデザインした「ラモス瑠偉」公認のコラボアイテム「VINTAGE CULTURE BASE / FOOTBALL COLLECTION」の第1弾(Tシャツ、プルパーカー)が現在好評発売中となっています。
隣人速報 | 169 view
まだ現役!?引退していない日本スポーツ界のレジェンド達

まだ現役!?引退していない日本スポーツ界のレジェンド達

日本のスポーツ界において輝かしい成績をおさめたレジェンド達の中で、今も現役にこだわり、引退を明言していないアスリートを紹介します。
ひで語録 | 1,795 view
【訃報】元日本代表監督のイビチャ・オシムさん死去。90年W杯ではユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将

【訃報】元日本代表監督のイビチャ・オシムさん死去。90年W杯ではユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将

サッカー日本代表の元監督で、1990年にはW杯でユーゴスラビアをベスト8へ導いた名将としても知られるイビチャ・オシムさんが、5月1日に亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。
隣人速報 | 527 view
「サッカーワールドカップに出場するまで43年 チームのエースナンバー「10」を背負ってきた日本の名選手たち」

「サッカーワールドカップに出場するまで43年 チームのエースナンバー「10」を背負ってきた日本の名選手たち」

スポーツにおいて選手の代名詞となりうる存在の背番号。野球のエースナンバーは「18」番ですが、サッカーは「10」番がエースナンバーとされています。1954年スイス大会の予選初参加から1997年にフランス大会で初出場が決まるまで実に43年の長い年月がかかりました。今回はワールドカップに最も近づいたと言われる1980年代半ばから本大会出場が決まるまで背番号10番をつけた日本のエースの中から数人紹介したいと思います。
pepe | 4,363 view
「外れるのはカズ、三浦カズ」から20年。カズの当日の様子と合宿地から金髪で帰国するまでの空白の足取りを追う

「外れるのはカズ、三浦カズ」から20年。カズの当日の様子と合宿地から金髪で帰国するまでの空白の足取りを追う

1998年6月。サッカー日本代表初のワールドカップ出場となるフランス大会直前。エース・カズ(三浦知良)の代表落ちが話題をさらった。スイス「ニヨンの屈辱」とも言われるカズの落選から、成田空港に金髪で現れるまでの空白の足取りを振り返ってみる。
ひで語録 | 13,608 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト