【動画】『愚か者よ』萩原健一
【動画】『愚か者よ』萩原健一
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何度聴いても「おおぉ…」と言葉を失うぐらいの破壊力がある。
Youtube上のコメントにおいても「神がかってる」「理屈じゃない」「元祖カリスマ」から「いまじゃ放送事故レベル」「ただの下手くそ」「聴いてがっかり」まで賛否が完全に別れている。
かつて、萩原健一はジュリーこと沢田研二とオールスターバンド『PYG』でツインボーカルを張っていた。
その相棒・沢田研二と自身を比較して、『(沢田研二は)ぼくのように決して自ら自己主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う・・・・歌の貴公子です。おれは違う。自分のイメージは自分でつくって、たとえ与えられた歌でも歌いたいように歌いたい。自分は創作家であって、創作をしたかった。』と自著で語っている。
『愚か者(愚か者よ)』はどちらがオリジナルで、どちらがカバー?
しかし、リリースが早いと言ってもたった3週間ほどであり、近藤の歌を聴いた萩原が「この曲いいじゃん」と思ったとしてもレコーディング期間やリリース準備等を考えれば、到底間に合う期間ではない。
お互い相手がこの歌をリリースすると知っており、どちらがオリジナルでどちらがカバーとは言えない完全な競作だと考えるのが妥当だと思う。
では、どちらのために作られた歌なのか?
それを調べていくと作詞、作曲をした二人と近藤真彦・萩原健一との深い関係性が浮かび上がってくる。
作詞した伊達歩(伊集院静)と近藤真彦との関係性
伊集院静はこの『愚か者』の前にも、近藤に『ギンギラギンにさりげなく』、『情熱☆熱風☽せれなーで』、『真夏の一秒』などを提供している。
二人の付き合いはかなり古く、近藤が16歳の時「スニーカーぶる~す」でデビューし、いきなりミリオンヒットを飛ばした。
そのデビューシングルのB面が「ホンモク・ラット」を作詞したのが伊達歩(伊集院静)であった。
伊集院静(いじゅういん しずか)
CMディレクターなどを経て、1981年「皐月」で作家デビュー。
1991年『乳房』で吉川英治文学新人賞、1992年『受け月』で直木賞。
故・夏目雅子の夫であり、1992年に女優の篠ひろ子と再婚している。
2015年12月、NHK『SONGS』で対談した二人
「(当時)22の僕には早いけど、『背伸びしてもう少し遠くを見てみなよ』という(伊集院氏の)メッセージだったのですね」と納得していた。
ごらん金と銀の器を抱いて
罪と罰の酒を満たした
愚か者が街を走るよ
失くした時間(とき)を
男は振り向き女は消し去る仮面をつけて
快楽(よろこび)だけが
いつも真実 それが人生
この「愚か者」というのは伊集院静そのものだと近藤との対談で明かした。
伊集院静は妻・夏目雅子の死後、しばらく表舞台から姿を消し、喧嘩やギャンブル、酒におぼれる生活を送ったという。
『世の中には間違いなくお酒で救われている人たちがいて、人間が懸命に生きていくんだけれども報われないとか何かこの納得いかないとかねそういう事をある時全部消せてしまう瞬間というのがお酒の中にあってっていうね。』と語った伊集院静。
近藤真彦とは時々酒場で会うことがあり、事故死した母のことなどを知っていたという。
妻を亡くし酒におぼれる生活を送った自分と、母を亡くし悲嘆に暮れる近藤を重ねていたのかもしれない。
三十五周年 近藤真彦×伊集院静=二十四曲 (完全生産限定盤)(DVD付)
作曲した井上堯之と萩原健一との関係性
萩原が歌った『愚か者よ』では編曲も行い、先に紹介した動画二つにおいてもギター演奏で参加している。
井上堯之(いのうえ たかゆき)
1961年、田辺昭知とザ・スパイダースに参加。
1971年、沢田研二、萩原健一らと“P・Y・G”(ピッグ)を結成し、翌年“井上堯之バンド”発足。
TVドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』などの音楽を担当。
その後プロデューサーとしてハウンド・ドッグなどを世に送り出す一方、萩原健一、柳ジョージ、宇崎竜童のバンドに参加。
PYG時代の井上堯之
後列左から大口広司、岸部一徳、大野克夫。
『PYG』は、元テンプターズから萩原健一と大口広司、元スパイダースから井上堯之と大野克夫、タイガースの岸部修三(岸部一徳)と沢田研二が集まったオールスターバンドだった。
太陽にほえろ OPテーマ
あまりにも有名なこの『太陽にほえろ!』のテーマ曲は、萩原健一がプロデューサーに井上堯之バンドを強く推薦して実現したという。
【動画】『愚か者』唄:井上堯之、 伴奏:宇崎竜童
宇崎竜童の伴奏&コーラスという豪華共演♪
「井上堯之がいなかったら歌えないし、歌う意味がない。」と以降、井上堯之との再会ステージをやるまで13年間も歌の活動を停止していた。