TV放送版ノーカット!天龍源一郎vsランディ・サベージ №2 レスリングサミットin東京ドーム 1990年4月13日 - YouTube
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第10試合 WWF世界ヘビー級選手権試合60分1本勝負
アルティメット・ウォリアー(チャンピオン) vs テッド・デビアス(チャレンジャー)
via stat.ameba.jp
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テッド・デビアス
1987年6月より、WWFに再登場。「急逝した父親の莫大な財産を受け継ぎ、一生遊んで暮らすこともできるが、暇を持て余しているので暇潰しにプロレスをやることにした」という、嫌味な金満ギミックのミリオンダラー・マンとしてヒールで活躍。出身地も、春はフロリダ州パームビーチ、夏はマサチューセッツ州ハイアニス・ポート、秋はカリフォルニア州ベル・エア、冬はオランダ領アンティルと、各地のリゾートに豪邸を持っているという設定でシーズン毎に変更していた。
その金満キャラクターゆえ、設定上「配管工の息子から成り上がった」 "アメリカン・ドリーム" ダスティ・ローデスを嫌悪していた。なお、黒人ボディーガードとして従えていたマイク・ジョーンズのリングネーム "バージル" は、ダスティの本名でもある。
WWF世界ヘビー級王座こそ獲得できなかった(アンドレ・ザ・ジャイアントから金で買ったというストーリーがあったが、当然公認はされていない)ものの、ハルク・ホーガン、ランディ・サベージ、ジェイク・ロバーツらトップスターと長期間に渡って抗争。タッグでは、IRSことマイク・ロトンドとのマネー・インコーポレーテッドでWWF世界タッグ王座を3度奪取した。
その金満キャラクターゆえ、設定上「配管工の息子から成り上がった」 "アメリカン・ドリーム" ダスティ・ローデスを嫌悪していた。なお、黒人ボディーガードとして従えていたマイク・ジョーンズのリングネーム "バージル" は、ダスティの本名でもある。
WWF世界ヘビー級王座こそ獲得できなかった(アンドレ・ザ・ジャイアントから金で買ったというストーリーがあったが、当然公認はされていない)ものの、ハルク・ホーガン、ランディ・サベージ、ジェイク・ロバーツらトップスターと長期間に渡って抗争。タッグでは、IRSことマイク・ロトンドとのマネー・インコーポレーテッドでWWF世界タッグ王座を3度奪取した。
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【試合結果】 ○ウォリアー(6分12秒・体固め)×デビアス
TV放送版ノーカット!テッド・デビアスvsアルティメット・ウォリアー №1 WWF世界ヘビー級選手権 レスリングサミットin東京ドーム 1990年4月13日 - YouTube
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セミファイナル タッグマッチ60分1本勝負
ジャイアント馬場、アンドレ・ザ・ジャイアント vs デモリッション(アックス&スマッシュ)
ジャイアント馬場とアンドレ・ザ・ジャイアントはこの日が初のタッグ結成で、このコンビはこれ以降1992年まで「大巨人コンビ」として全日本プロレスを舞台に活躍することになりました。
大巨人コンビ
1980年代中盤になると、新たにWWFの総帥になったビンス・マクマホンが全米侵攻作戦を行ってそれまで馬場が友好関係を結んでいたNWA・AWAのプロモーターをなぎ倒し、その一方WWFと新日本プロレスとの提携を解消したことから全日本とWWFにも接点が出来るようになった(もともと、馬場は1960年代にニューヨークで活躍した実績があり、ビンス・マクマホンおよびその父ビンス・マクマホン・シニアとは旧知の関係ではあった)。
1990年4月13日、全日本・新日本・WWF三団体共催という形で「日米レスリングサミット」が東京ドームで開催された。馬場とアンドレの絡みは大きな目玉の一つであり、2月に馬場が訪米してWWF幹部と会談した際には、アンドレとのツーショットでテレビに登場する場面も用意された。当日はセミファイナルでWWF世界タッグ王者のデモリッション(アックス&スマッシュ)と対戦、馬場の十六文キックからアンドレのエルボー・ドロップというコンビネーションで勝利をおさめた。
1990年4月13日、全日本・新日本・WWF三団体共催という形で「日米レスリングサミット」が東京ドームで開催された。馬場とアンドレの絡みは大きな目玉の一つであり、2月に馬場が訪米してWWF幹部と会談した際には、アンドレとのツーショットでテレビに登場する場面も用意された。当日はセミファイナルでWWF世界タッグ王者のデモリッション(アックス&スマッシュ)と対戦、馬場の十六文キックからアンドレのエルボー・ドロップというコンビネーションで勝利をおさめた。
デモリッション
ジョニー・Vをマネージャーに、ヒールの大型タッグチームとして1987年3月14日のサタデー・ナイト・メイン・イベントにて本格的なデビューを果たす。以降、ジョニー・Vに代わってミスター・フジが専属マネージャーとなり、ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、キラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)、ルージョー・ブラザーズ(レイモンド・ルージョー&ジャック・ルージョー)、ヤング・スタリオンズ(ポール・ローマ&ジム・パワーズ)らを下し、1988年3月27日のレッスルマニアIVでストライク・フォース(リック・マーテル&ティト・サンタナ)からWWF世界タッグ王座を奪取。その後、11月24日のサバイバー・シリーズ1988でマネージャーのフジと仲間割れし、ベビーフェイスに転向[7]。同年6月にNWAからWWFに移籍してきた、ロード・ウォリアーズの完全なフェイク版であるパワーズ・オブ・ペイン(ザ・バーバリアン&ザ・ウォーロード)と抗争を展開した。
1989年7月18日、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)に敗れ1年4か月間に渡って保持していた王座を奪われるが、10月2日のサタデー・ナイト・メイン・イベントで奪回。しかし、12月13日にコロッサル・コネクション(アンドレ・ザ・ジャイアント&ハク)に敗れて再び陥落。以降、王座を巡るコロッサル・コネクションとの抗争がスタートし、1990年4月1日のレッスルマニアVIで奪還に成功、3度目の戴冠を果たした。直後の4月13日には東京ドームで行われた『日米レスリングサミット』に来日し、ジャイアント馬場&アンドレの大巨人コンビと対戦している。
1989年7月18日、ブレーン・バスターズ(タリー・ブランチャード&アーン・アンダーソン)に敗れ1年4か月間に渡って保持していた王座を奪われるが、10月2日のサタデー・ナイト・メイン・イベントで奪回。しかし、12月13日にコロッサル・コネクション(アンドレ・ザ・ジャイアント&ハク)に敗れて再び陥落。以降、王座を巡るコロッサル・コネクションとの抗争がスタートし、1990年4月1日のレッスルマニアVIで奪還に成功、3度目の戴冠を果たした。直後の4月13日には東京ドームで行われた『日米レスリングサミット』に来日し、ジャイアント馬場&アンドレの大巨人コンビと対戦している。
【試合結果】 ○アンドレ(6分39秒・体固め)×スマッシュ
1990.4.13 giant baba・andre the giant VS demolition② - YouTube
馬場の16文⇒アンドレのエルボーの必殺連携
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メインイベント シングルマッチ60分1本勝負
ハルク・ホーガン vs スタン・ハンセン
当初メインイベントはハルク・ホーガンvsテリー・ゴディのWWF世界ヘビー級王座選手権試合が予定されていたものの、直前のレッスルマニア6でハルク・ホーガンがアルティメット・ウォリアーに敗れ王座から陥落したためにノンタイトル戦として行われることに。ところがこれを不服としたテリー・ゴディが出場をキャンセル。
そこで全日本プロレスの関係者はスタン・ハンセンに出場を要請し、スタン・ハンセンがこれを了承してメインイベントの対戦カードが決定した、とされていますが実際は前売りチケットの売り行きが芳しくないため、主催者が急遽対戦カードを変更したというのが真相とされているようです。
そこで全日本プロレスの関係者はスタン・ハンセンに出場を要請し、スタン・ハンセンがこれを了承してメインイベントの対戦カードが決定した、とされていますが実際は前売りチケットの売り行きが芳しくないため、主催者が急遽対戦カードを変更したというのが真相とされているようです。
1988年8月29日、サマースラム1988にてホンキー・トンク・マンからインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取。1989年4月2日、レッスルマニアVにてリック・ルードに王座を奪われるが8月29日のサマースラム1989で奪還。
1990年4月1日、レッスルマニアVIではハルク・ホーガンとのWWF世界王座&インターコンチネンタル王座のダブルタイトルマッチに勝利し、2冠王者となる。同月13日には日本の東京ドームにて行われたWWF、新日本プロレス、全日本プロレスが合同して行った日米レスリングサミットに参戦すると共に初来日を果たす。WWF世界王者としてテッド・デビアスの挑戦を受けて防衛。