日米プロレス界のレジェンド、ハルクホーガン
ハルク・ホーガン(Hulk Hogan)
「アメリカン・プロレス界の顔」的な存在であり、スポーツ・エンターテイメントを体現したプロレスラーとして業界全体に多大な影響を与えた。2m・140kg級の巨体から繰り出すパワーと、観客の心を掴む卓越したパフォーマンスのスキルを活かし、ベビーフェイスとしてもヒールとしても頂点を極めた。
自身で選んだベストバウト3つ
2014年2月、60歳でWWEに復帰。
WWE日本ツアーの大会ホストとして久々に来日した8月、メディアの取材に対して、自身のベストバウト3つを選んだ。
WWE日本ツアーの大会ホストとして久々に来日した8月、メディアの取材に対して、自身のベストバウト3つを選んだ。
還暦を過ぎてもこの迫力・この筋肉!
「俺ももう60歳になったけど、このくらいの年齢でリングに上がっていたレスラーはたくさんいるだろ? ルー・テーズだってリック・フレアーだってそうだったじゃないか。」とコメントしている。
第3位、アンドレ・ザ・ジャイアント戦(1987年)
レッスルマニア3 ハルクホーガンvsアンドレ・ザ・ジャイアント
1987年3月29日、レッスルマニアIII
身長2m体重137キロのホーガンが小さく見える、身長223cm体重230キロのアンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦。
9万3173人という観客動員数を記録したこの試合は今でもアメリカのプロレス団体WWF(現WWE)の名試合として語り継がれている。
身長2m体重137キロのホーガンが小さく見える、身長223cm体重230キロのアンドレ・ザ・ジャイアントとの対戦。
9万3173人という観客動員数を記録したこの試合は今でもアメリカのプロレス団体WWF(現WWE)の名試合として語り継がれている。
via www.youtube.com
ホーガンは「アンドレは完璧だった! リングに上がれば最強だったし、リング外でもナイスガイだった。アンドレ以降もジャイアント・ゴンザレス(231センチ)やザ・グレート・カリ(215センチ)のような巨大なレスラーはいたけど、アンドレとはまた違うスタイルだった。アンドレはホントに強かったよ。」と語っている。
第2位 ザ・ロック戦(2002年)
レッスルマニア18 ハルクホーガンvsザ・ロック
2002年、ビンス・マクマホンの刺客nWoの一員としてヒールに戻りWWF(WWE)に復帰。
レッスルマニアX8で「ICON vs ICON(象徴対象徴)」と銘打たれた、ザ・ロックと“ハリウッド”ハルク・ホーガンの頂上決戦。
レッスルマニアX8で「ICON vs ICON(象徴対象徴)」と銘打たれた、ザ・ロックと“ハリウッド”ハルク・ホーガンの頂上決戦。
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第1位 アントニオ猪木戦(1983年)
WWE側は「悪の枢軸」nWo軍総帥ホーガンを絶対的ベビーフェイスのロックが迎え撃つというアングルを構成したものの、入場シーンからホーガンへの爆発的声援一色となり、ロックの方がブーイングを浴びる結果となった。
ホーガンは試合後ロックに握手を求め、翌日からベビーフェイスに戻った。
ホーガンは試合後ロックに握手を求め、翌日からベビーフェイスに戻った。
『IWGP決勝リーグ戦 ハルクホーガンvsアントニオ猪木
1983年6月2日に蔵前国技館で行われたIWGP決勝戦ではアントニオ猪木をアックスボンバーでKOして優勝を果たした。
また、右手人差し指を高々と上げ「イチバァーン!」と叫ぶ決めポーズも話題になり、この対戦でハルクホーガンの知名度・人気は爆発的に上昇していった。
また、右手人差し指を高々と上げ「イチバァーン!」と叫ぶ決めポーズも話題になり、この対戦でハルクホーガンの知名度・人気は爆発的に上昇していった。
via video.fc2.com
この衝撃的な猪木の舌出し失神KOについてホーガンは詳細を語っている。
「IWGPのベルトを最初に巻いたのはこの俺さ。
豪華なベルトだった。黄金でダイヤモンドが輝いていた。IWGP決勝の注目度は高かったね。
実はあの試合の前日、俺が泊まっていたホテルの部屋に猪木から電話があったんだ(ニヤリ)。
猪木が言うんだ。『ミスター・ホーガン、明日の試合、俺はケンカマッチを仕掛けるから』って。
だから俺はその言葉に従って、エプロンサイドに立つ猪木におもいきりアックスボンバーを見舞ってやったのさ。
でも、俺は最初から猪木を病院送りにしてやろうなんて考えていないさ。たまたま当たり所が悪かったんだ。
あのとき、猪木の心臓がストップしていると聞いて、ホントにビックリした。思わずチビリそうになったよ。ドクターがリング上で猪木に蘇生措置を施すのを見て、さらに驚いたことを覚えている。」
また、猪木についてホーガンは次のように語っている。
「猪木は誰からもリスペクトされていたよ。ファンからも若手レスラーからも。俺も猪木からはいろんなことを学んだ。例えば、ケガや病気を抱えていても試合を休まないこと。猪木はケガをしていても何も言わずにリングに上がっていたよ。あの集中力はすごかったね。」
「IWGPのベルトを最初に巻いたのはこの俺さ。
豪華なベルトだった。黄金でダイヤモンドが輝いていた。IWGP決勝の注目度は高かったね。
実はあの試合の前日、俺が泊まっていたホテルの部屋に猪木から電話があったんだ(ニヤリ)。
猪木が言うんだ。『ミスター・ホーガン、明日の試合、俺はケンカマッチを仕掛けるから』って。
だから俺はその言葉に従って、エプロンサイドに立つ猪木におもいきりアックスボンバーを見舞ってやったのさ。
でも、俺は最初から猪木を病院送りにしてやろうなんて考えていないさ。たまたま当たり所が悪かったんだ。
あのとき、猪木の心臓がストップしていると聞いて、ホントにビックリした。思わずチビリそうになったよ。ドクターがリング上で猪木に蘇生措置を施すのを見て、さらに驚いたことを覚えている。」
また、猪木についてホーガンは次のように語っている。
「猪木は誰からもリスペクトされていたよ。ファンからも若手レスラーからも。俺も猪木からはいろんなことを学んだ。例えば、ケガや病気を抱えていても試合を休まないこと。猪木はケガをしていても何も言わずにリングに上がっていたよ。あの集中力はすごかったね。」
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