時代ごとに登場する女性の代弁者たち
いつの時代も、女性の代弁者と呼ばれるクリエイターが存在します。70年代はユーミンがその役割を担いましたし、80年代後半に登場した小説家吉本ばなななんかも、2000年にプラトニックセックスを上梓した頃の飯島愛もそれに近いものがありました。今で言ったら、西野カナがそのポジションに該当するのでしょうか。
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西野カナの『トリセツ』の歌詞よろしく、筆者のような女心の分からない男にはイマイチ良さが分からないものの、女子からは不思議と支持される作品というのは、時代の変節にかかわらず登場し続けるものです。本稿で紹介する“与謝野晶子の再来”と謳われた大阪の国語教師・俵万智の歌集『サラダ記念日』も、まさにそんな男たちには刺さりにくい、ほとんど女たちだけで共有されたといっていい社会現象でした。
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1987年5月に出版された『サラダ記念日』
「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
あまりにも有名なこの詩を含む、『サラダ記念日』が刊行されたのは、1987年5月のこと。今から30年も前になります。「短歌集は売れない」そんな常識に基づき、当初は3000部程度しか刷られなかったにもかかわらず、刊行前から話題を呼んだ同作は瞬く間に売れていき、増版に増版を重ねた末に、280万部を超える大ベストセラーに。著者の俵万智がまだ24歳の高校教師という点も当時大いに話題になりました。
あまりにも有名なこの詩を含む、『サラダ記念日』が刊行されたのは、1987年5月のこと。今から30年も前になります。「短歌集は売れない」そんな常識に基づき、当初は3000部程度しか刷られなかったにもかかわらず、刊行前から話題を呼んだ同作は瞬く間に売れていき、増版に増版を重ねた末に、280万部を超える大ベストセラーに。著者の俵万智がまだ24歳の高校教師という点も当時大いに話題になりました。
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ブームの影響を受け、『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』も公開された
その影響は他ジャンルの作品にも及びます。渥美清主演『男はつらいよシリーズ』の40作目が『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』となり、寅次郎が俵の母校・早稲田大学で講義を受ける様子が挿入されていたり、男たちからの返歌と銘打ったアンサー歌集『男たちのサラダ記念日』が刊行されたり、筒井康隆がパロディとして『カラダ記念日』を発表したりと、枚挙に暇がありません。
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当初は角川書店から出版されるはずが、角川春樹がそれに反対
ちなみに、俵の歌集は、彼女が角川短歌賞を受賞した縁もあって、当初は角川書店から出版される予定でした。ところが、代表の角川春樹が歌集・句集のたぐいは売れないという理由から、自社で出版することを反対。結果として、河出書房新社から発表されて一大ブームとなったことを受けて、角川は「人生最大の失敗」と自身の経営判断を悔やんでいます。
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口語体で気軽な作風が、時代にマッチしていた?
そんな、数々の映画・書籍・タレントを流行らせてきた角川春樹の慧眼をもってしても、予測できなかった『サラダ記念日』のブーム。歌集の中には、こんな歌もありました。
カニサラダのアスパラガスをよけていることも今夜の発見である
あなたにはあなたの土曜があるものね見て見ぬふりの我の土曜日
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
俵万智が世に出る僅かばかり前の80年代前半といえば、糸井重里、仲畑貴志、川崎徹らによってコピーライターブームが巻き起こった時期。広告のカタチが多様化している現在では、一つのキャッチフレーズが注目を浴びたり、その作り手であるコピーライターがフューチャーされたりということは起こりにくくなっていますが、当時は、気鋭のクリエイターが紡ぐ、メッセージ一つひとつに大きな関心が寄せられていたのです。
そんな短くてインパクトのあるバースが脚光を浴びた時代だったからこそ、5・7・5・7・7で、簡潔かつ印象的だった俵の短歌は受け入れられたのでしょう。あるいは、何気ない生活の中にちりばめられた恋愛を口語体でサラッと歌う感じが、文学のサブカル化が既に進んでいた当時の空気感にマッチしていたのかも知れません。
そんな短くてインパクトのあるバースが脚光を浴びた時代だったからこそ、5・7・5・7・7で、簡潔かつ印象的だった俵の短歌は受け入れられたのでしょう。あるいは、何気ない生活の中にちりばめられた恋愛を口語体でサラッと歌う感じが、文学のサブカル化が既に進んでいた当時の空気感にマッチしていたのかも知れません。
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