天龍源一郎が、この2015年11月に引退試合として新日本プロレスのオカダカズチカとの対戦が噂されています。
そんなプロレス界のレジェンド天龍を筆頭とした大相撲主審のレスラーは意外と多いんです。
大相撲出身のレスラーを番付順にご紹介!!
そんなプロレス界のレジェンド天龍を筆頭とした大相撲主審のレスラーは意外と多いんです。
大相撲出身のレスラーを番付順にご紹介!!
第54代横綱 輪島こと輪島 大士
どうもプロレスが苦手だった輪島さん。
プロレス引退後のとんねるずにイジられている姿の方が印象深い。
プロレス自体は2年ほどしか活動していない。
プロレス引退後のとんねるずにイジられている姿の方が印象深い。
プロレス自体は2年ほどしか活動していない。
輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - )は、石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長186cm、体重132kg。ニックネームは蔵前の星・黄金の左、現役引退後はワジー。
via sukimagazine.com
大相撲を離れた輪島は、1986年に全日本プロレスに入門。全日本の総帥ジャイアント馬場のツテでアメリカの名レスラー・パット・オコーナーやネルソン・ロイヤルから指導を受ける。身体能力は高かったが、大相撲のクセが抜けずに「倒した相手を寝技に持ち込むことをせずに待ってしまう」という致命的な欠点があった。本人曰く「相撲では足より上が土俵(地面)に付くと負けになってしまうから、どうしても背中をマットに付けることに抵抗があった」。
第60代横綱 双羽黒こと北尾光司
優勝未経験にもかかわらず、千代の富士のライバルとして横綱にされてしまった悲劇の横綱。
女将さんとちゃんこで揉めて廃業したなんて言われていたけど、真相は語られずじまい。プロレス界にもあまり馴染めず、格闘家へと転進してPRIDEにも登場しました。
女将さんとちゃんこで揉めて廃業したなんて言われていたけど、真相は語られずじまい。プロレス界にもあまり馴染めず、格闘家へと転進してPRIDEにも登場しました。
via p.twpl.jp
北尾 光司(きたお こうじ、1963年8月12日 - )は、三重県津市出身の元大相撲力士・元総合格闘家・元スポーツ冒険家・ナイフ評論家、元プロレスラー。大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。
大相撲での電撃廃業から約2年後の1990年2月10日、東京ドーム大会でのプロレスデビューが新日本プロレスから決定、発表された。北尾曰く「アメリカで数ヶ月間みっちり修行を重ねた」という触れ込みで帰国し、その際にルー・テーズの指導も受けており、北尾は「僕の(プロレスの)師匠(と呼べるの)はルーお父さん」と語っている。リングネームは、自身が考案した「サンダーストーム北尾」を希望していたが、実際には使用されずに本名でデビューする運びとなった。
元小結 孝乃富士こと安田忠夫
日本3大忠夫の一人である安田忠夫。
つっぱりで相手をコーナーに押し込んでからのダブルアームスープレックスしか見所のない男だったが、IWGPチャンピオンになってたりします。
借金の話しか出なくなって久しいが、今は現在では都内で国際結婚を扱う相談所の勧誘活動を行っているらしい。
つっぱりで相手をコーナーに押し込んでからのダブルアームスープレックスしか見所のない男だったが、IWGPチャンピオンになってたりします。
借金の話しか出なくなって久しいが、今は現在では都内で国際結婚を扱う相談所の勧誘活動を行っているらしい。
via www.igf.jp
安田 忠夫(やすだ ただお、男性、1963年10月9日 - )は、日本の元プロレスラー、元大相撲力士。東京都大田区出身。娘は元レースクイーンのAYAMI。
力士を廃業した後、プロレスラーに転向。1993年6月、新日本プロレスに入門。日本武道館での馳浩戦でデビュー。恵まれた体格と格闘センスでポスト坂口征二(坂口から赤いコスチュームと入場曲「燃えよ荒鷲」を受け継いでいる)として期待されたものの、根っからのギャンブル好きで借金苦に陥っていたこともあり精彩を欠き、私生活では家族とも離縁。穏やかな人柄で橋本真也らからはヤスティの愛称で呼ばれ可愛がられたものの、大きなチャンスを与えられることもなく、結果を出せない中堅レスラーとしての日々が長く続いた。