スキーブームについて振り返る
私は高校時代がスキーデビューでした。
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私をスキーに連れてって-1 - YouTube
1987年11月公開 出演:原田知世//三上博史/原田貴和子/沖田浩之/高橋ひとみ/布施博/鳥越マリ 主題歌:松任谷由実「サーフ天国、スキー天国」
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スキーシーズンに対応した臨時の列車はバスなども整備
スキーシーズンが近づくと、今年は誰と行けるだろうかなどと気持ちが高まりましたよね。
日帰りの夜行バスなどでスキーに行くときは、やたらテンションが上がり盛り上がったものです。
日帰りの夜行バスなどでスキーに行くときは、やたらテンションが上がり盛り上がったものです。
スキー場で流れていた曲あれこれ【スキーウェア着ると2割増し】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
休みが取れたらスキー、スノボ。取れなくても日帰り、ナイター、室内練習場と、若者たちがこぞってスキー場に詰めかけたあの頃。「行ってきたよ。」「天気どうだった、雪あった?」がお決まりの挨拶でした。滑りながら聴いたあの曲この曲。若かった冬の日の、いろいろな思い出が蘇ってきませんか。
JRのスキー臨時列車「シュプール号」
「シュプール号」は国鉄時代の1986年に運転を開始
JRのスキー臨時列車「シュプール号」は、関東・中京・近畿から長野県・新潟県をメインに、近畿からは山陰へも、関東からは東北方面へも運行されました。
寝台特急「北斗星トマムスキー/ニセコスキー」が運行されていたのもこの時期で、同じ時期にJR北海道では札幌や千歳空港からトマム・富良野・ニセコへのリゾート特急を、東武鉄道では南会津へのスキーヤー向け夜行列車「スノーパル」の運行を開始しました。
寝台特急「北斗星トマムスキー/ニセコスキー」が運行されていたのもこの時期で、同じ時期にJR北海道では札幌や千歳空港からトマム・富良野・ニセコへのリゾート特急を、東武鉄道では南会津へのスキーヤー向け夜行列車「スノーパル」の運行を開始しました。
CM懐かし南野陽子JR西日本 JRシュプール号 コーヒー編 - YouTube
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深夜発の日帰り夜行バス
各地でツアーバスも運行
大都市からスキー場へのツアーバスも多数運行、スキー場へのアクセスは自家用車が多かったため、大都市からスキー場エリアへの高速道路や並行する幹線道路は断続的な渋滞が発生しました。
たとえば関越自動車道では、通常の金曜の深夜にかかわらず50km以上の渋滞が生じたり、都内の環八においては、東名高速用賀インターから関越道東京側入口となる練馬まで15km程度の距離であるにもかかわらず、3時間~5時間かかることもよくあったそうです。
たとえば関越自動車道では、通常の金曜の深夜にかかわらず50km以上の渋滞が生じたり、都内の環八においては、東名高速用賀インターから関越道東京側入口となる練馬まで15km程度の距離であるにもかかわらず、3時間~5時間かかることもよくあったそうです。
最盛期の1993年にはシーズン1,860万人ものスキー人口に!
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人気スキー場だとリフト・ゴンドラの待ち時間だけで数十分~1時間!
当時の人気スキー場ではリフト・ゴンドラの待ち時間が数十分から1時間というのもざらに。
また宿が取れない、相部屋ですし詰めで食事も貧弱、などといったことも常態化していました。
ブームの時期がバブル期に重なっていたこともあり、新スキー場が多数オープンし、既存のスキー場ではゲレンデの拡張や既存リフト・ゴンドラの架け替えなどが相次ぎました。
また宿が取れない、相部屋ですし詰めで食事も貧弱、などといったことも常態化していました。
ブームの時期がバブル期に重なっていたこともあり、新スキー場が多数オープンし、既存のスキー場ではゲレンデの拡張や既存リフト・ゴンドラの架け替えなどが相次ぎました。
via snow-reports.net
1993年には千葉県船橋市に屋内スキー場として日本最大であったららぽーとスキードームSSAWSが開業し、大いに話題を集めました。
(2002年に閉鎖、のちに解体)
(2002年に閉鎖、のちに解体)
バブル期を象徴した巨大屋内スキー場・・・その名はザウス! - Middle Edge(ミドルエッジ)
バブル時代の象徴ともいうべき巨大な建造物を覚えていますか?いつの間にかひっそりなくなっていましたが・・・
VICTORIAなどのスキー用品店、シーズン前から賑わいましたね
東京近郊では、神田御茶ノ水のスキー用品街が賑わいました
友達とスキー用品を買いに行きましたね。
スキー人口の増加に伴って、当時非常に高価だったスキー用品の低価格化も進みました。
ブーム以前は10万円程度だったスキーセットがディスカウントストア等で2万円程度になるなど安価で購入できるようになったのです。
スキー人口の増加に伴って、当時非常に高価だったスキー用品の低価格化も進みました。
ブーム以前は10万円程度だったスキーセットがディスカウントストア等で2万円程度になるなど安価で購入できるようになったのです。
今見ると恥ずかしくなる90年代のスキーウェア【欲ばりなボクたちのストレッチスーツ】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
もうすぐ、スキーシーズンですね。90年代のスキー流行した時代のスキーウェアを覚えていますか?今見るとニヤッとしてしまうファッションを振り返ってみましょう。
その後、1987年に映画「私をスキーに連れてって」のヒットによってスキーブームが再来。
最盛期の1993年には1,860万人にまで増加したそうです。
バブル景気だったことや週休二日制の一般化、スキー用品の低価格化、企業の多角経営によるスキー産業(不動産、スキー用品)への参入、各高速道路、東北上越新幹線などの交通網の整備等を社会的背景に、スキーがレジャーとして一般市民に広がっていきました。