天龍源一郎が語った盟友、三沢光晴への思い
天龍、引退試合で王者オカダに玉砕「腹一杯のプロレス人生でした。」 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ミスタープロレス・天龍源一郎(65)の引退試合が2015年11月15日、東京・両国国技館で行われた。相手は新日本プロレスのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(28)。超満員札止め1万522人の観衆を集めて行われた引退試合で39年におよぶプロレス人生に別れを告げた。
リング上を全力疾走し、引退まで見事に完走しきった天龍源一郎。
無念にもリング上の災禍にてこの世を去った盟友、三沢光晴に対しては、故人の七回忌まで沈黙を守っていました。
そんな天龍の、三沢への思い。
無念にもリング上の災禍にてこの世を去った盟友、三沢光晴に対しては、故人の七回忌まで沈黙を守っていました。
そんな天龍の、三沢への思い。
生きていようが生きていまいが、いまさら何の言葉も必要ない。俺の一番楽しい青春時代、三沢が一番元気だった時代をともに過ごした盟友だから。アイツはさっそうと風のように過ぎ去っていった。今でも心に深く残る。また飲みたいよ。
三沢光晴に酒席を教えたのは天龍源一郎だった
互いに漢気の塊のようなレスラーだった天龍源一郎と三沢光晴。
全日本プロレス時代、二人の間には交流がありました。
全日本プロレス時代、二人の間には交流がありました。
実は三沢さんに酒を教えたのは天龍だった。2代目タイガーマスクだった1985年ごろから酒席に誘うようになり、銀座を中心に朝まで連日連夜飲み明かすようになった。当時天龍35歳、三沢23歳。年の離れた兄弟のような関係だった。
2009年、リングに散った三沢光晴は漢気溢れるレスラーでした
リング上での苛烈極まるファイトと裏腹に、黙して語らずな漢気溢れるレスラーだった三沢光晴。
またリングを離れれば、おもちゃやカラオケ、冗談の大好きな茶目っ気のあるレスラーでした。
またリングを離れれば、おもちゃやカラオケ、冗談の大好きな茶目っ気のあるレスラーでした。
プロレスリング・ノアをスポンサードし続ける「ザ・リーヴ」のCMがたまらなく好き!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
プロレスリング・ノアを10年にわたってCMスポンサーとして支え続けている「ザ・リーヴ」。お互いの信頼関係があるからこそ、そのCMのアットホーム感が凄いんです!歴代のプロレスリング・ノアのファンなら必見です。
まだお互いに血気盛んだった時代。
天龍は不思議と、三沢とウマが合ったといいます。
天龍は不思議と、三沢とウマが合ったといいます。
気心が知れたというか、なぜかウマが合った。いつも(三遊亭)円楽師匠と一緒でね。最初は本当に無口でおとなしいヤツだと思った。銀座に飲みに行くと、まだ体の線が細かったから、お姉ちゃんたちは「こちらの方もプロレスラー?」と聞くわけだ。
三沢は自分がタイガーマスクだと言いたくて仕方がなくてウズウズしてる。で、宴もたけなわになったころを見計らって「実はこちらはタイガーマスク」と正体をバラす。するとお姉ちゃんたちは「キャーッ」と大騒ぎになって、三沢は胸張ってうれしそうにガンガン飲み始める。それがもうおかしくておかしくて(笑い)。
銀座では、「2代目タイガーマスク=三沢光晴」を知る人が多かったかもしれませんね(笑
天龍の全日本退団を境に、二人の関係は一旦空白に
しかし、数多の団体を渡り歩いた天龍にとって、かつての全日本プロレスを系譜とするプロレスリング・ノアのマットに立つことは必然だったのかもしれません。
三沢光晴 vs 天龍源一郎 (2005.11.5 日本武道館) 1/2 - YouTube
via www.youtube.com
三沢光晴 vs 天龍源一郎 (2005.11.5 日本武道館) 2/2 - YouTube
via www.youtube.com
郷愁の念というか、30代の自分が存在した全日本プロレスの風景を求めて、さまようようにノアに参戦した。しかしそこにあったのは「ジャイアント馬場の全日本」ではなく「三沢光晴のノア」だった。そこで俺の中では、ある程度気持ちの区切りがついたんだね。
最後に飲んだのは札幌のすし屋か…(05年6月)。昔みたいに頭をつかんでシェークして酔っ払わせたら、お付きの若い連中にひんしゅく買いました。
約18年半ぶりの一騎打ち、天龍は敗れはしたが忘れられない一戦となりました。
この試合後に首の痛みの悪化を訴えていた三沢に、当時経営していた「鮨處しま田」(東京・世田谷)にカイロプラクティックの先生を呼んで施術を頼んだこともあったそうです。
この試合後に首の痛みの悪化を訴えていた三沢に、当時経営していた「鮨處しま田」(東京・世田谷)にカイロプラクティックの先生を呼んで施術を頼んだこともあったそうです。
今でも俺が世話になっている先生を呼んで首を治療してもらったんだ。「少しは良くなった?」と聞いたら「うーん、まあまあですね」と捨てゼリフ吐きやがってあのヤロー。
つい数日前にその先生に会ったら「あの後、三沢さん何度かいらっしゃいましたよ」と言っていた。何だよ、効いてたんじゃねえかって。
相撲取りからプロレスへ、メジャー団体からインディー団体へ。
求められる場所で常に全力ファイトを貫いてきた天龍はいつしか「ミスター・プロレス」「龍魂」と呼ばれました。