Luis-mary(ルイ・マリー)
via i.ytimg.com
Luis-Maryとは「T.M.Revolution」「abingdon boys school」として活動している西川貴教が1989年から1993年まで活動していた伝説の四人組のヴィジュアル系ロックバンドである。
激しいビート系サウンドにしゃくりあげる歌唱など,今のヴィジュアル系の雛型がここにある
メンバー
via ossanidol.com
via stat.ameba.jp
インディーズ時代
1991年1月23日に1000枚限定のシングル『Lainy Blue』を発売する。
大阪スクールオブミュージック専門学校総合音楽科に籍を置いていた山下と丸山を中心に結成され、後に西川と有田が加入。インディーズ時代はライブ活動を中心としていた。やがて、ライブハウスのオーナーの提案によりインディーズでCDをリリース。
via rocklyric.jp
via stat.ameba.jp
当時、TBSの番組『イカすバンド天国』の全盛期と言う事もあり、東京の原宿では歩行者天国にアマチュアバンドが集まる『ホコ天バンド』が脚光を浴びていた。そのため大阪でもなんらかの形でミュージックシーンを盛り上げようという事で、同じような事をする事に。
Luis-Maryは当時の関係者から見て技術的にはまだまだであったが西川のボーカルが飛びぬけて上手く、パワーや情勢が感じられると言う風評がスタッフの耳に届き、だんだんLuis-Maryは注目を集め始める。
そしてLuis-Maryの存在を世に知らしめたのが、
大阪地区でローカル放送された『ライヴ・キング』という番組への出演だった。
この番組はLuis-Maryが専属契約を交わしていたライヴハウスが製作していた為、
彼らにも出演の誘いがかかった。
これによりLuis-Maryは大きな一歩を踏み出した。
メジャーデビューするまでにメンバーとの擦れ違いや西川さんのモチベーションにメンバーがついていけず解散の危機に追いやられたこともあり、頑として譲らない西川さんをメンバーが説得した
インディーズ時代から西川貴教の存在感は大きかったみたいです。
メジャーデビューしてからのバンド活動
上京するとクラウンレコード側はすぐにLuis-Maryの持ち歌を聴き、レコーディングの準備に入った。
1991年11月21日に日本クラウンからシングル『RAINY BLUE』でメジャーデビュー。
上京後、東京でのスケジュール管理のため、当時BUCK-TICKが所属していた音楽プロダクションV・シェイクハンドに所属。
via i.ytimg.com
日本クラウンからメジャーデビュー