アルバムを精力的に製作する一方、ファン層も広げて行こうとファンクラブ『Luis-Mary OFFICIAL FAN CLUB XTRA ISSUE』を発足し、会報も作られた。 音楽活動こそ充実していたLuis-Maryだったがクラウンレコード側はLuis-Maryの売り出しに余念がない。「CDを出し続ければ絶対に売れるに違いない」、かなりのバックアップ体制で彼等をプッシュしていった。何もかもが順調に行くかに見えていた。が、思うようにCDは売れなかった。
最終的に西川貴教が自身とバンドとの音楽性の違いを主張し、解散を決意した。
他のメンバーとしては、解散は不本意であったという。
バンドについてのつぶやき
今日の一曲はルイ・マリーのレイニーブルー。そうですね、あの西川貴教先生のヴィジュアル時代ですね。髪型がスジ盛りの原型ですね。
— ろたむ@ログアウト (@m_rotam) November 13, 2015
Luis-Mary☆RAINY BLUE https://t.co/c2hZKbrFnI
本屋で、どこからか「ハイネ」って名前が聞こえてきたけど、T.M.Revolutionこと西川貴教さんの昔の名前の「灰猫」さんしか浮かばなかった。
— りゃんりゃん (@0ut_law) November 17, 2015
Luis-Mary知ってる人って、未だにいるのかな………
@hiromaru1107 Luis Maryは中学ん時聞いてたんだけど後にTMRとなってテレビ出てきたときはビビったw Luis MaryはNEW ROSEとDRIVE ME MAD名曲♪
— naritter (@INARI0227) November 27, 2015
解散後について
解散した事はライブ後に雑誌等にて発表) その後の活動解散してバラバラになったメンバーは持っていた夢を捨て切れずそれぞれが音楽活動を続けている。HAINEこと西川は後にソロプロジェクトであるT.M.Revolutionを立ち上げ活動を続けていく。ZYENOとSHIENもそれぞれのバンドで活動中。ただ、ドラムのKENに至っては東京でサラリーマンに転職した。 また、西川がT.M.Revolutionとしてデビューした後、日本クラウンからLuis-Maryのベスト盤のアルバム・VHSがリリースされている。不思議な話ではあるが西川は「お前が抜けるという事でバンドを解散したんだから責任を取って残れ」と言われ、T.M.Revolutionとしてデビューするまで事務所に残り、給料も出ていた。
西川貴教 Luis-Maryの解散について語る。付き人をしていたSOPHIA 松岡充は解散によって路頭に迷った?! - YouTube
西川貴教のT.M.Revolutionが人気になり有名に!
そしてT.M.Revolutionは、浅倉大介がプロデュースを務め、デジタルサウンドと西川貴教のボーカルでたちまち人気になりました。
T.M.Revolution 『HOT LIMIT』 - YouTube
014年9月3日放送のMBSラジオのラジオ番組『アッパレやってまーす!』(毎週水 22:00 - 23:30)にて、T.M.Revolutionの西川貴教が、L'Arc~en~CielのTetsuyaに、デビュー当時について明かされ、恥ずかしがっていた。