T.M.Revolutionの西川貴教がボーカルとして活動していた事が有名なヴィジュアル系ロックバンド『Luis-mary』(ルイ・マリー)
2021年5月26日 更新

T.M.Revolutionの西川貴教がボーカルとして活動していた事が有名なヴィジュアル系ロックバンド『Luis-mary』(ルイ・マリー)

インディーズ時代に西川貴教の歌声は注目を集めバンドはメジャーデビューしました。当時、東のLUNA SEA 西のLuis-Maryって言われていました。

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1991年7月21日に『DAMAGE』発売。

1991年7月21日に『DAMAGE』発売。

アルバムのオリコンチャートは95位でした。
1992年3月16日にアルバム『砂漠の雨』を発売。

1992年3月16日にアルバム『砂漠の雨』を発売。

アルバムの最高オリコンチャートは45位でした。
アルバムを精力的に製作する一方、ファン層も広げて行こうとファンクラブ『Luis-Mary OFFICIAL FAN CLUB XTRA ISSUE』を発足し、会報も作られた。 音楽活動こそ充実していたLuis-Maryだったがクラウンレコード側はLuis-Maryの売り出しに余念がない。「CDを出し続ければ絶対に売れるに違いない」、かなりのバックアップ体制で彼等をプッシュしていった。何もかもが順調に行くかに見えていた。が、思うようにCDは売れなかった。
1993年3月5日にラストアルバム『RUSH』を発売

1993年3月5日にラストアルバム『RUSH』を発売

このアルバムのリリースからわずか11日後にバンドは解散しました。
1993年3月16日の宇都宮でのラストライブをもって解散。
最終的に西川貴教が自身とバンドとの音楽性の違いを主張し、解散を決意した。
他のメンバーとしては、解散は不本意であったという。

バンドについてのつぶやき

解散後について

解散した事はライブ後に雑誌等にて発表) その後の活動解散してバラバラになったメンバーは持っていた夢を捨て切れずそれぞれが音楽活動を続けている。HAINEこと西川は後にソロプロジェクトであるT.M.Revolutionを立ち上げ活動を続けていく。ZYENOとSHIENもそれぞれのバンドで活動中。ただ、ドラムのKENに至っては東京でサラリーマンに転職した。 また、西川がT.M.Revolutionとしてデビューした後、日本クラウンからLuis-Maryのベスト盤のアルバム・VHSがリリースされている。不思議な話ではあるが西川は「お前が抜けるという事でバンドを解散したんだから責任を取って残れ」と言われ、T.M.Revolutionとしてデビューするまで事務所に残り、給料も出ていた。
なぜ解散したかは下記の映像をご覧ください。

西川貴教 Luis-Maryの解散について語る。付き人をしていたSOPHIA 松岡充は解散によって路頭に迷った?! - YouTube

西川貴教がT.M.Revolutionを始める前に組んでいたバンドの、Luis-Maryを解散した真相について話してくれました。 そして、SOPHIAの松岡充はLuis-Maryの付き人をしていたのですが突如解散してしまって路頭に迷ってしまったそうです。

西川貴教のT.M.Revolutionが人気になり有名に!

バンド解散後、ヘアメイクを担当する美容院SMOKERの美容師・横原義雄が西川貴教に浅倉大介を紹介して、浅倉のシングルにボーカリストの一人として参加しました。

そしてT.M.Revolutionは、浅倉大介がプロデュースを務め、デジタルサウンドと西川貴教のボーカルでたちまち人気になりました。
T.M.Revolutionの中でも有名な曲は『HOT...

T.M.Revolutionの中でも有名な曲は『HOT LIMIT』です。

T.M.Revolution 『HOT LIMIT』 - YouTube

1998年6月24日リリース T.M.Revolutionの8thシングル 「アサヒ飲料・三ツ矢サイダー」CMソング
西川はT.M.Revolutionで人気になった後、Luis-Maryの事を語っていました。
014年9月3日放送のMBSラジオのラジオ番組『アッパレやってまーす!』(毎週水 22:00 - 23:30)にて、T.M.Revolutionの西川貴教が、L'Arc~en~CielのTetsuyaに、デビュー当時について明かされ、恥ずかしがっていた。
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