2019年7月13日 更新
ボクらの前に突如として現れ、風のように去っていった『ハヤブサ』を忘れるな
それは突然の悲報でした。2016年3月3日当時47歳という若さで「くも膜下出血」によってハヤブサが旅立ったことがマスコミ経由で告げられると、多くのプロレスファンをはじめ選手、スタッフが愕然とし人目も気にせず悲しみを露わにしました。今回はハヤブサの活躍する姿を思い出すことで、「日本人にはこんなに素晴らしいレスラーがいたんだ」と改めて誇りに思ってもらえれば嬉しいです。
順風満帆に思えたハヤブサでしたが、飛び技を売りとする者の宿命とも言える膝への衝撃も限界を超えてしまいます。そこで頭を悩ませた団体側からの提案で一時期「H(エイチ)」と名乗り、ファイトスタイルを変えることとなります。
2000年からは再びハヤブサのリングネームで復帰を果たすが、11月には肘の再手術のため2度目となる長期離脱を迎えることになります。怪我に悩まされるプロレス人生でしたが、この後最大のアクシデントに見舞われることになります。
【衝 撃】
悲劇は突然起こりました。2001年5月に復帰したハヤブサでしたが、10月22日の後楽園ホール大会で「ラ・ブファドーラ」という技を敢行するが失敗し、頚椎損傷と言う重傷を負ってしま一時は自力歩行も困難な状態に陥ってしまいました。
この映像をご覧頂ければどれだけ危険で、リスキーな技を繰り出しているかが分かります。
【復活を目指してリハビリ生活へ】
2002年には個人事務所「隼計画」を設立し、歩行困難な身体でありながらマスコミの前に現れ後に名ゼリフとして語り継がれる「お楽しみはこれからだ!」と力強く気勢を上げました。
その後は歌手としてライブ活動やPV出演などを果たしていますが、プロレスへの復帰は諦めておらず2014年には杖を使って200mほど歩けるまでに回復し「5年後にはレスラーとしてリングに帰ってきます」と力強く宣言しました。
ハヤブサの名は永遠に
2016年3月3日、この都内でライブ出演の予定になっていました。しかし時間になっても本人が現場に現れなかったので、1人暮らしのハヤブサの食事の世話などをしている知人が自宅を訪れました。そこで知人が見たハヤブサの姿は吐血して床に倒れていたそうです。死因は「くも膜下出血」ということでした。「もう一度リングに上がる」という一念で長く険しいリハビリ生活を続けながらも、芸能活動では穏やかで明るい人柄で誰からも愛される男でした。
プロレスを愛する人たちへ…ハヤブサは今でもあなたの心の中で生き続けていますか?
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