大阪万博だけではない、日本で開催された万国博覧会
2022年9月17日 更新

大阪万博だけではない、日本で開催された万国博覧会

日本で初めて開催された万国博覧会が大阪で行われた日本万国博覧会ですが、この他にも日本で開催された万国博覧会を調べてみました。

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はじめに

1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)以来、日本では国際的なものを含む博覧会が各地で開催されるようになりました。万博と言えば大阪万博というほど、イメージの強い大阪万博。その後も日本では国際万博が開催されていますが、どうにも大阪にはかなわない。ということで大阪万博以降に開催された国際万国博覧会を紹介したいと思います。

1975年「沖縄国際海洋博覧会」

1975年(昭和50年)沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として開催されたのが、沖縄国際海洋博覧会です。沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期で開催されました。略称は「沖縄海洋博」「海洋博」です。

テーマに「海-その望ましい未来」を掲げ、日本を含む36か国と三つの国際機関が参加し、特別博としては当時史上最大規模となりました。会場規模は、100万m2(うち陸域75万m2、海域25万m2)。博覧会会場は海岸沿いの非常に細長い敷地だったので、会場内のアクセス向上策として自動案内軌条式旅客輸送システム(AGT)の路線が運行され、新交通システムが日本で初めて試験的に導入されました。

この万博に合わせて、ホテル日航那覇グランドキャッスル(現・ダブルツリーbyヒルトン那覇首里城)や、沖縄ハーバービューホテルなどの大型ホテル、ゼファー那覇タワーなどの観光施設も建設されました。
ゼファー那覇タワー

ゼファー那覇タワー

タワーは地下2階から地上19階のタワー棟と地下2階から地上7階の立体駐車場棟からなり、高さは82.6mです。1973年に 建築家・金城信吉により竣工されました。

タワーには回るレストランがあり、食事をしながら那覇を一望できました。建築家の金城信吉は、このほかホテル日航那覇グランドキャッスルホテルも手掛けています。
万博会場の展示施設の中で最大の目玉とされたのが、未来型海洋都市のモデルとなる人工島「アクアポリス」でした。

世界初の海上実験都市として、また未来の海上都市をイメージして建造された構造物で、海洋博のシンボルとしてメイン会場になっていて、プロデューサーは手塚治虫です。半潜水型浮遊式という構造をなすことから「世界でも例を見ない」施設として当時注目されました。

アクアポリスの主甲板には、48台のテレビ受像機を組み合わせたスクリーンや仮設舞台を持つ「アクアホール」・食堂・医務室・機械室・展示区画・宿泊施設、その上の上甲板にはヘリポートや水耕栽培エリアを持つ「アクア広場」が設けられました。アクアポリスと陸上とは、長さ約250 mの「アクア大橋」で接続されていました。

このアクアポリスは、「海上都市」として海洋汚染を起こさないよう、アクアポリス内で出たごみを無煙焼却する装置や汚水処理装置・海水の淡水化装置などが設置されていたそうです。

場内の展示区画は「海に親しむ」をテーマとした「魚のクラスター」、「海に生きる」をテーマとした「民族・歴史のクラスター」、「海に開く」をテーマとした「科学・技術のクラスター」、「海を行く」をテーマとした「船のクラスター」の4つで構成されていました。
アクアポリス

アクアポリス

メイン会場のアクアポリス。

100 m四方の海上都市で、海洋博では約200万人が同施設を訪れ、2000年(平成12年)10月に米国企業に売却され、同月23日に上海へ曳航されています。
アクアポリス

アクアポリス

上空から見たアクアポリス。
沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク

沖縄国際海洋博覧会シンボルマーク

シンボルマークは、水色の丸の中に青い三つの波頭が並んだ絵柄です。11人による指名コンペの結果、グラフィックデザイナーの永井一正のデザインが採用されました。

この永井一正は、現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員であり、2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員代表です。
マスコットキャラクター「オキちゃん」

マスコットキャラクター「オキちゃん」

マスコットキャラクターのオキちゃん。モチーフはオキゴンドウないしバンドウイルカで、テンガロンハットをかぶりスカーフを巻いています。

この他にも恋人のオキ子ちゃんなどもいます。

1985年「国際科学技術博覧会」

1985年エネルギー問題を中心とした科学技術博覧会として開催されたのが、国際科学技術博覧会です。通称・略称は、「科学万博」、「つくば万博」、「つくば科学万博」、「つくば '85」などです。主に筑波研究学園都市の茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在のつくば市御幸が丘)をメイン会場として、184日間にわたって開催されました。

テーマは「人間・居住・環境と科学技術」とし、日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加しました。首都圏で行われた万博という開催場所の地の利も手伝って、総入場者数は当時の特別博覧会史上最高入場者記録となっています。会場面積は101.6ヘクタール。

メイン会場は、茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在:つくば市御幸が丘)で、A~Gのブロックに分かれており各国のパビリオンがありました。現在は筑波西部工業団地 及び Dブロック跡地が科学万博記念公園となっています。

サブ会場は、茨城県新治郡桜村吾妻(現在:つくば市吾妻)二丁目9番地。現在は、つくばエキスポセンターとなっています。
メイン会場の航空写真

メイン会場の航空写真

開催前年の1984年撮影の会場周辺の空中写真ですが、よく見るとパビリオン等の施設の多くが確認できます。
いばらきパビリオン

いばらきパビリオン

Aブロックの茨城県のパビリオンです。テーマは「今、新しい未来のために-自然・科学・人間」で、入り口には高さ約5メートルの滝がありました。

このほか、日立、東芝、三井、住友、ガス協会、UCC、アメリカほか各国のパビリオンがありました。
TDKふしぎパビリオン

TDKふしぎパビリオン

BブロックのTDKパビリオンです。テーマは「科学する心・創造する心」で、様々な動物の視覚、聴覚、触覚を体験できました。

このほか、NTT、講談社、三菱、IBM、富士通、松下、芙蓉、鉄鋼および自動車連盟のパビリオンにドイツを始めとするヨーロッパ各国のパビリオンがありました。
つくばエキスポセンター

つくばエキスポセンター

開幕中は、サイエンスフォーラム(日本の科学技術を世界に発信)、こどもパーク(環境・人間の再発見をテーマ)、コズミックホール(プラネタリウム・高品位テレビ、松本零士作「アレイの鏡」を上映)の3つから構成されていました。

世界最大級の規模を持つプラネタリウムや、屋外に展示されている実物大のH-IIロケットの模型があります。
国際科学技術博覧会シンボルマーク

国際科学技術博覧会シンボルマーク

宇宙、地球、人間、科学、芸術などの理想的な未来像をイメージしたそうです。三角形の頂点は筑波の峰を象徴し、まさに21世紀の科学技術の夜明けを迎えようとしており、三角形の3辺は、博覧会のテーマである、人間・居住・環境の断面で、中央の平行する2つの輪は、人間と科学との調和した軌道を表しています。

7名による指名コンペにてグラフィックデザイナー・田中一光のデザインが選ばれました。
マスコットキャラクター「コスモ星丸」

マスコットキャラクター「コスモ星丸」

マスコットキャラクターのコスモ星丸(ほしまる)。1981年から1982年にかけて、日本全国の小中学生から公募され、当時愛知県一宮市に住んでいた中学1年生の女子生徒がUFOをイメージして描いたものに、選考委員だったイラストレーター・和田誠が仕上げを加えたものです。

当初は「ピコちゃん」という仮称が付けられていたが、アンケート調査などを経て正式名「コスモ星丸」となりました。CMや宣伝番組出演時の声優は富田耕生だったそうです。

1990年「国際花と緑の博覧会」

国内博覧会として開催する方向だった大阪市市制100周年事業と国の政策が合致し、1990年に国際万国博覧会として開催されたのが国際花と緑の博覧会でした。大阪府大阪市鶴見区と守口市に跨る鶴見緑地で、183日間の会期で開催されました。この万博は、アジアで初めて開催された国際園芸家協会 の国際園芸博覧会でもありました。会場面積は約140ヘクタール。略称は、「花の万博」、「EXPO'90」などです。

テーマに「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ 21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」を掲げ、日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加しました。

総来場者数は特別博覧会史上最高を記録しています。当時はバブル景気真っただ中で、民間企業からの寄付金の総額は国際博覧会史上最高を記録するなど、民間からの参加が順調に推移した博覧会でした。

会場は、会場中央の大池「いのちの海」を取り囲む花一杯のエリアを「野原のエリア」、企業出展の大規模なパビリオンや飲食店・遊園地ゾーンなどが建ち並ぶ賑やかなエリアを「街のエリア」、「国際庭園」が点在する異国色豊かなエリアを「山のエリア」にと3つに分けられていました。
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