『ホワイトナイツ/白夜』ダンスシーンが素晴らしい!冷戦時代のソ連が舞台の映画
2017年4月21日 更新

『ホワイトナイツ/白夜』ダンスシーンが素晴らしい!冷戦時代のソ連が舞台の映画

映画『ホワイトナイツ/白夜』の登場人物・キャストについての逸話や、冷戦当時に撮影された映画の秘話エピソード。歴史に残る名作と言われる、バリシニコフとハインズのダンスシーンの見所をピックアップ。80年代にアカデミー賞を受賞した映画の主題歌『セイ・ユー、セイ・ミー』ライオネル・リッチーやフィル・コリンズのすてきな曲を紹介したい。

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そして、この映画の見所の二人のダンサーの対立やせめぎあいが、素晴らしいダンスシーンとともに見られる。

やがて二人は強い友情で結ばれるそうになる。
White Nights (1985) - Rotten Tomatoes (1854210)

その頃、レイモンドの妻のダーリャ(イザベラ・ロッセリーニ)は、お腹の中にはレイモンドの子どもがいた。

妻と子どもの将来を考え、ソ連を出ることに決める。
そしてニコライと3人で脱出を図る。

しかし、ニコライとダーリャを先に行かしたレイモンドはととまる。

それは、ニコライとダーリャが逃げ切るための時間稼ぎであった。
Free photo: Lights, Headlights, Art - Free Image on Pixabay - 1185867 (1854211)

ニコライはレニングラードのアメリカ総領事館に駆け込む。レイモンドは拘束されている。

深夜、レイモンドはチャイコ大佐に車で国境に連れて行かれる。
処刑されるのではと息を呑むシーンだ。
しかしそこには、ニコライとダーリャが彼を待っている。(?)

そして、捕虜交換で引き換えにレイモンドは戻される。
ここで、ライオネル・リッチーによる『セイ・ユー、セイ・ミー』が流れる。
一応ハッピーエンド!ストーリーはあまり深く考えないで、シーンを楽しむ映画だ。

『ホワイトナイツ/白夜』動画・ダンスシーンの見どころ

「ホワイトナイツ」 ’85 - カフェ・ラベンダー (1854154)

この映画のなかで一番の見どころ、バレエ関係者の間でも話題になった。

ミハイル・バリシニコフの「11回ピルエット」

ピルエット(pirouette)はバレエ用語で、そのままの位置で体をささえた片脚の軸で、体を回転させること。通常は2~3回片脚で駒みたい回転するがバリシニコフは11回転している。

オリンピック競技と違いバレエは、回転数が多ければ良いわけではないが、歴史に残る芸術的で美しいピルエットを披露している。

"White Nights" - 11 pirouettes

ミハイル・バリシニコフの11回転ピルエット動画。

ピルエットの回転数と同じ11(ルーブル=ロシア通貨)のお金を賭ける。

ソ連のバレエ技術を使いアメリカ人から金銭を得たのか、お金のために踊っているのか?

冷戦時代を思い出す。

White Nights - The dance

映画『ホワイトナイツ/白夜』ではジャンルの違う一流ダンサーであるミハイル・バリシニコフとグレゴリー・ハインズが同時に踊ったことで注目された。

バレエファンにとって若きミーシャ(ミハイル・バリシニコフ)がクラック以外のダンスを踊っている貴重な映像の記録だ。

映画の中で二人のダンサーをカメラで監視している、KGBのチャイコ大佐もノリノリだ。
彼も二人と一緒に空手らしき動きをはじめる。

Mikhail Baryshnikov Warm up White Nights

クラシックバレエダンサーのミハイル・バリシニコフとタップダンサーのグレゴリー・ハインズの神ワザといわれるトレーニング&ウォーミングアップがすごい!

Gregory Hines Solo Tap Scene White Nights

「黒人は生まれたときからタップが踏める」
タップダンスの教祖的存在のグレゴリー・ハインズ のダンス。

映画『ホワイトナイツ/白夜』の撮影エピソード

レニングラード(サンクトペテルブルク)

レニングラード(サンクトペテルブルク)

グレゴリー・ハインズは撮影に先駆けてレニングラード(サンクトペテルブルク)を訪れている。

しかし、映画『ホワイトナイツ/白夜』はソ連・レニングラード(サンクトペテルブルク)で撮影されたように見えるが、撮影はフィンランドのヘルシンキで行われた。

亡命を扱った映画撮影に冷戦期のソ連が許可を与えるはずもない。

主演ダンサーのミハイル・バリシニコフ自身が映画が発表される10年前に亡命しているためソ連には入国できなかった。
劇場

劇場

キーロフ劇場(現マリインスキー劇場)に似ているリスボンの劇場で映画『ホワイトナイツ』は撮影された。
撮影はフィンランド、イングランド、スコットランド、ポルトガルで行われた。ソビエト連邦についてはフィンランド記者による観光ビデオ制作という目的で撮影が許可された。

『ホワイトナイツ/白夜』は、ロンドンのセット撮影とヘルシンキの風景、そしてソビエト連邦の観光ビデオで構成されている。

亡命とソ連崩壊

Mikhail Nikolaevich Baryshnikov | Mikhail Baryshnikov | Pinterest (1854222)

映画製作から5年後にソ連は崩壊した。
1920年代のバランシンから、ゴドノフ、ヌレエフ、マカロワに続くバリシニコフは最後の亡命ダンサーとなった。亡命理由は芸術の自由、西側に行けば自由に富を稼げることも事実だ。

しかし、共産国のソ連のシステムが偉大なダンサーを誕生させている。
男性ダンサーとしては、小柄なバリシニコフはソ連にいたら成功しただろうか?
彼の身長に合う相手役のプリマバレリーナ(女性)は多くはいない。
バリシニコフがアメリカに亡命したからこそ、『ホワイトナイツ/白夜』のような80年代のダンサーを記録する映画が制作された。映像にみるその姿は今もこれからも語り継がれる。

映画『ホワイトナイツ/白夜』に使われた音楽と秘話

J.S.バッハの『パッサカリアとフーガ』

主人公が踊る、オープニングのバレエは、『若者と死』。1951年にジャン・コクトーが台本を書き、ローラン・プティが振り付けしたモダンバレエ。バックに流れる音楽はJ.S.バッハの『パッサカリアとフーガ』。

この映画の撮影のために、ローラン・プティは、パリから駆けつけて振り付けたという。
ローラン・プティは、亡命前のミハイル・バリシニコフのために無償で自分が振り付け作品を提供することを申し出たことがある。しかし、バリシニコフが所属していたキーロフバレエが認めず、拒否されている。芸術の自由は得られなかった。
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