そして何度かの防衛戦で大和武士と対戦し、勝ちを収めたものの、網膜剥離を患って引退に追い込まれた。
大和武士は、岡山県で生まれ、中学で家出、大阪で警察に補導され鑑別所に。
16歳で再び補導。
18才で特別少年院に。
「沢木耕太郎さんの『一瞬の夏』の中に
『用心棒ならいつでもなれるけどボクシングは今しか出来ない』
というフレーズがあるんです。
そこを読んで、これだ!って思った。
小さい頃から何も賭けたものが無かったから何か夢中になるものが欲しかった」
出所日にはヤクザが出迎えていて
「組の連中が来てるが一緒に帰るか?」
と教官にいわれたがボクシングの道を選んだ。
そして映画「どついたるねん」で赤井英和、大和田正春、大和武士は共演することとなる。

浪速のロッキーのどついたるねん―挫折した男の復活宣言 | 赤井 英和 |本 | 通販 | Amazon
ボクシングは赤井英和にとってすべてだった。
やることといえば通院だけ。
後は車を飛ばし、禁止されていた酒を飲んだが、やがて母校である近畿大学ボクシングの嘱託コーチとなり、後輩に教え始めた。
プロのボクシングジムの経営という話もあったが、赤井英和に選手を使ってお金儲けをすることは不可能だった。
そして3年の間に全国大会で2回優勝した。
しかしリングの上で輝いている選手をみているうらやましくて仕方なかった。
コーチ業の他にテレビ出演などもしていたが、『どついたるねん』という本も書いた。
映画 どついたるねん 主演赤井英和
「もう1回、赤井君にスポットライトを浴びせたいんや」
坂本順治はこれまで井筒和生監督や川島透監督のもとで助監督をやり、自らの監督デビュー作品は赤井英和しか考えられないという。
赤井英和は撮影に入るまでに86㎏から65㎏まで落とした。
汗をかくシーンでも、ホンモノの汗を出すために、霧吹きやスポイトを使用せず縄跳びを跳んだ。
減量のため利尿剤を飲んでオシッコを出すシーンや、ローストチキンを食べて減量中の対戦相手を挑発した後、それを吐き出すシーンも何度も喉に指を突っ込んでほんとうに吐き、試合のシーンでは台本を忘れ、本気で当時日本ミドル級の現役チャンピオンだった大和武士に挑んでいった。
本作が監督デビューの阪本順治と俳優としてはほとんど実績のない赤井英和が主演。
予算も少なく、初公開は映画館ではなく特設テントを設置して上映した。
宣伝などもなかったが、その評判は口コミで広がっていった。
迫力あるシーンと演技が賞賛され、第32回ブルーリボン賞作品賞受賞、第63回キネマ旬報ベストテン日本映画部門第2位、後にビデオ・DVD化もされ大成功を収め、赤井英和も数々の映画祭で新人賞を総ナメした。
近畿大学ボクシング部復活
BOXING 131 赤井英和 vs 長谷川穂積
元部員たちは部の復活を信じ近隣の清掃活動などのボランティアを続けた。
50歳の赤井英和も禁酒、禁煙、そしてトレーニングを始め、1ヵ月で5.2㎏減量。
TV番組の企画で、世界チャンピオン(当時)の長谷川穂積と3Rの公開スパーリングを行ない、近畿大学ボクシング部の後輩たちにエールを送った。
近大ボクシング部総監督 赤井英和
「あなたが総監督として指導してくれるならば、ボクシング部の再開を認めましょう。」
不祥事があった部に深くかかわることはタレントとしてリスクが高い。
しかし赤井英和は即答した。
「わかりました。」
元名門ボクシング部は赤井を総監督とし、ほぼ初心者の部員4人で再出発。
2013年、赤井自らキャンパスで勧誘活動を行ない部員は9人になり3部リーグに復帰。
赤井英和は東京に住んでいるため週1回しか指導できない。
それでも指導した翌週、部員はちょっと強くなっていた。
その翌週も、もうちょっと強くなっている。
パンチを受けるとわかった。
「自分がいない間もみんなマジメで一生懸命やってるんやな。
なんのスポーツもそうでしょうけど、ボクシングは真剣勝負であり、練習はウソをつかない。
やった分だけ身につくんです。」
2014年、近大ボクシング部は、2部リーグに昇格。
2015年8月1日、
過去に関西学生リーグ36連覇、全日本学生王座を10度獲得した名門、近畿大学ボクシング部が7年ぶりとなる関西学生リーグ1部復帰を決めた。
赤井英和、55歳、浪速のロッキーは、まだ夢の途中である。