プロレス一筋26年!「大日本プロレス」登坂栄児代表に宿る在野精神の魂!!
2017年9月4日 更新

プロレス一筋26年!「大日本プロレス」登坂栄児代表に宿る在野精神の魂!!

東京・足立区生まれの近鉄バッファローズファンだった大日本プロレス、登坂栄児代表。 野球を愛し、特撮ヒーローを愛し、ゲームを愛した登坂代表がプロレス業界に職員として身を投じて26年。いまやインディー団体の雄である、大日本プロレスを率いる登坂氏の素顔に迫ります。

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「コーラ売り&ゲームセンター」アルバイト時代の目線

ミド編)幼いころから慣れ親しんだ後楽園球場で、高校時代はコーラ売りのアルバイトをなさいました。
後楽園球場のスタンドで、コーラの売り子をやっていました。印象に残っているのは、コーラの売上がいいとチームのベンチにドリンク補給に行くことが出来るんですよ。当時はやはり、日ハム×近鉄戦があると興奮してましたよね。
もとより近鉄ファンの登坂代表のこと。「後楽園球場=巨人」ではなく、心躍るのは当時後楽園球場を本拠地にしていた日本ハムの試合でした。

常に球場を満杯にする巨人と対照的に、如何にしてお客様を球場に集めるかに腐心するパ・リーグ球団の企画や施策が気になっていたそうです。
例えば丸められた日ハム×阪急戦のチケットが、後楽園ゆうえんちのクレーンゲームの景品に置いてあるような時代でしたから。
そんな当時のパ・リーグでは各球団とも自由に話題作りをやっている訳です。例えば阪急の福本豊選手が馬と走らされたり、今でこそよくありますが夏になると日ハムが「浴衣ナイター」(浴衣のお客様は入場料無料)を開催したり。
メジャーでは出来ない試行錯誤の繰り返し。挑戦する気持ちが表れていましたよね。
近年のパ・リーグ人気隆盛。その根底にはきっとこの当時の悔しさや必死さ、生み出す為の努力がある訳で、決してただの流れではないんだと登坂代表は熱く語ってくれました。

また一方でゲームセンターのアルバイト時代からは、のめり込んだら一途な「凝り性」な人柄が見て取れるようです。
ゲームが大好きでゲームセンターに通ってたらアルバイトに誘われた、という流れです。当時はアルバイトで稼いだお金で、友達と一緒に家賃5万円の「ゲーム部屋」を持ってたんですよ。家庭用ゲーム機ではNEOGEOくらいまで所有してましたし、それだけでは収まらずにアーケードの基盤まで買ってしまいました。
ゲーム好きは多かれど「ゲーム部屋」を借りて基盤まで買い込んだ人は珍しいのではないでしょうか。

余談ながら、幼いころより「収集癖がひどい」と笑う登坂代表。仮面ライダーやガンダムのメンコなど、買っても使わずに大事に飾っていたそうです。
よく見ると、ツイッターなどには今も仮面ライダーやウルトラマンのグッズがちらほらと…。
「のめり込んだらトコトン」な気性は、やがて身を投じる激動のプロレス業界で26年間も一筋にキャリアを積み上げた根底にあるモノなのかもしれません。

「天龍選手が好き、WWFのゲームが好き」でSWSに一般入社

SWSの第三次職員募集に応募してのプロレス業界入りでした

SWSの第三次職員募集に応募してのプロレス業界入りでした

「そろそろ就職かな」と考えた頃に、SWSの職員募集の広告を見ました。
プロレスラーでは天龍さんが好きだったし、WWFのゲームが好きだったので応募してみたんです。
当時のプロレスを知る人なら「新日・全日・UWF」がメジャー、その他はインディーと位置付ける人が多かったことでしょう。

90年、天龍選手らの全日本プロレスからの大量離脱はプロレス史に残る出来事ですが、その翌年の91年、登坂代表はSWS職員としてプロレス業界のキャリアをスタート。

そこから26年。いわゆる非メジャー、激動の業界にあって登坂代表は一途に勤め続けています。

95年の旗揚げ以降、大日本プロレス一筋のキャリア

「在野精神」「一途な凝り性」

そんな部分に、登坂代表の一貫したキャリアの理由を見出そうとするミド編。しかし当然、傍から考える様な単純な道のりである訳がありません。

では、どうして波乱に満ちたプロレス団体舵取りを一貫して続けて来られるのか。
そこには登坂代表の想いがあります。
かつて放送時間30分の仮面ライダーで、私たちは物語の背景を勝手に想像しながら楽しんでいました。プロレスは試合時間の15分だけでなく、その背景を見る側が感じながら楽しんで下さる。

特撮やアニメとプロレスは、根幹の部分で通じ合えると思っているんです。「あんなの子供の観るもんだろ」とか「あんなのはどうせ…」とか、そんな声があったとしても、特撮ヒーローに表情がない中で私たちがその表情をくみ取って見ていたように、リングの上で激しくぶつかり合うレスラーの内なる感情の物語を、お客様はきっと想いながら見て下さる。そこは昭和も平成も同じだと思っているんです。
噛み締める様な悲哀や儚さ、そういったモノに美しさを感じる登坂代表。
大日本プロレスは決してメジャーでないところから26年、既定路線に抗って進んできたと話します。34、5名のメンバーとともに全国を巡る日々は、決して順調なことばかりではなかったとも。

けれど、そんななかで26年間も一筋に大日本プロレスの物語を紡いで来た。その魂からは登坂代表の凄みを窺い知ることが出来ます。

また、その一方「夜店」のようなコンセプトで親しみやすいプロレスを築き上げてきた大日本プロレス。実にユニークなグッズを販売することでも知られています。その一部をココにご紹介します。
プロレスラーがドット絵でプリンティングされている堤袋

プロレスラーがドット絵でプリンティングされている堤袋

なぜか「玉子」

なぜか「玉子」

なぜか「カレー」

なぜか「カレー」

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