【赤堀元之】故障と戦い続けたバファローズの守護神
2016年11月25日 更新

【赤堀元之】故障と戦い続けたバファローズの守護神

1990年代、150km/h近い速球を軸に、そこから出し入れする縦・横のスライダーを武器に近鉄バファローズの守護神として活躍した赤堀元之投手。晩年は怪我と戦い続けた彼の球歴を振りかえる。

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高卒入団後すぐ1軍入り

赤堀元之投手は、静岡高校から1988年のドラフト会議で近鉄バファローズに4位指名されて入団。
高卒1年目で早くも1軍登板を果たし、。1990年はオールスター明けから一軍に定着。
4勝1セーブを挙げるなどプロ野球選手として順調なスタートを切るのです。
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1991年シーズンは開幕から吉井理人と共ににストッパーとして起用されていましたが、6月16日の西武戦で石毛宏典選手が打った打球を右手に受けて骨折。シーズンの大半を棒に振る事となりました。

リーグを代表するストッパーに

故障から復帰した92年シーズンは、赤堀投手にとって飛躍の年となりました。ストッパーの吉井投手が故障で抜けた事もあり、代わって抑え役として登板。すると開幕時から好投し、西武と優勝争いをするチームを支える存在となっていくのです。初めて選出されたオールスターでは、第3戦で3イニングを無走者に抑え、優秀選手賞を受賞するのです。

1992年 赤堀元之投手のオールスター戦での投球

リリーフとして登板し、セーブを積み重ねていくと共に、気がつけば赤堀投手は、リリーフ投手ながら、あと少しで規定投球回数に達成しようとしていました。最優秀防御率のタイトルを狙える状況になった事もあり、シーズン終盤に先発として登板。先発としても好投を見せて規定投球回数に届いた事によって、最終的に、防御率1.80の成績で最優秀救援投手に加え、最優秀防御率のタイトルを獲得するのです。
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赤堀投手は、翌年の93年、94年と3年連続の最優秀救援投手のタイトルを獲得。セリーグの石毛投手、佐々木投手らと共に日本を代表するストッパーとなっていき、1993年のオフには4000万円増の年俸1億2000万円(推定)で契約を更改しています。
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故障との戦い

登板過多と故障に悩まされるのはストッパーの宿命ですが、赤堀投手も例外ではありませんでした。95年シーズンは、右肩痛、背筋痛、左足ふくらはぎ痛など繰り返し故障を発症。28試合に登板して1勝8敗13セーブと成績を大きく成績を落としました。
ただ、不振のままでは終わらず、翌年見事に復活。96・97年と2年連続で最優秀救援投手を獲得。
6年間で5度も最優秀救援投手に輝いた赤堀投手は1億8500万円(推定)近鉄初の複数年となる2年契約を結ぶのです。
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ところが、疲労は蓄積していたのか、98年シーズンは、右肩の故障と腰の張りで開幕一軍入りは果たせず、一軍復帰したのは6月下旬。その間にチームの抑えを努めていた大塚投手が好調だった事もあり、赤堀投手は中継ぎ、先発として登板していきます。
翌99年はキャンプ中から先発投手として調整。開幕以後登板した2戦で2勝をあげるなど、順調な滑り出しでしたが、4月末に右ヒジ関節周囲炎と右足首捻挫を理由に一軍登録を抹消。更に精密検査をうけると、右ヒジ靱帯の断裂が発覚。再建手術を受け、以後過酷なリハビリの日々を過ごす事になるのです。
復活勝利を伝えるスポーツ紙

復活勝利を伝えるスポーツ紙

2年近くのリハビリの後、赤堀投手は2001年4月8日の対オリックス戦に先発。723日ぶりの勝利を挙げるのですが、故障したヒジをかばって投げていた事から、知らず知らずのうちに右肩に負担がかかり、引退するまで右肩痛と戦う事になるのです。

日本シリーズと縁が無かった守護神

赤堀投手が入団一年目の1989年、近鉄バファローズはその前年に起こった「10.19」の雪辱を果たし、リーグ優勝するのですが、入団一年目の赤堀投手は日本シリーズで登板機会は与えられませんでした。
89年の近鉄優勝を伝えるスポーツ紙

89年の近鉄優勝を伝えるスポーツ紙

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