プロレス一筋26年!「大日本プロレス」登坂栄児代表に宿る在野精神の魂!!
2017年9月4日 更新

プロレス一筋26年!「大日本プロレス」登坂栄児代表に宿る在野精神の魂!!

東京・足立区生まれの近鉄バッファローズファンだった大日本プロレス、登坂栄児代表。 野球を愛し、特撮ヒーローを愛し、ゲームを愛した登坂代表がプロレス業界に職員として身を投じて26年。いまやインディー団体の雄である、大日本プロレスを率いる登坂氏の素顔に迫ります。

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ミドルエッジ読者の皆様は「大日本プロレス」をご覧になった事がありますか。

まるで夜店のように親しみやすいプロレスから、大会場が騒然となる戦慄のデスマッチ、時代の最先端のVRを駆使したプロレスまで、実に幅広く様々な展開で観客を魅了する大日本プロレス。
94年に全日本プロレス出身のグレート小鹿選手が設立した同団体を現在率いているのはプロレス業界歴26年、旗揚げからの生え抜きである登坂栄児代表。

91年、最初の就職先がプロレス団体SWSという、当時のプロレスを知るファンにとっては実に興味深い道を歩まれた登坂代表に、ミドルエッジ編集部(ミド編)はお話を伺う機会を頂戴しました。

下町育ちの近鉄ファン!登坂代表の少年時代

大日本プロレス・登坂栄児代表

大日本プロレス・登坂栄児代表

大日本プロレスリング興業株式会社代表取締役社長。
1971年3月25日生、東京都足立区出身。
ミド編)まさにプロレス一筋で26年、いまや大日本プロレスを率いる登坂代表です。そもそもプロレスの道を志したきっかけは少年時代にあったのでしょうか。
幼少期から少年時代、特にプロレスが好きだったということではなかったです。どちらかというと流行ってたから観ていた程度かな。
東京の下町に生まれまして、父親がジャイアンツファンだった影響で野球をやらされてました。といっても草野球です、家の裏庭で毎日強烈なノックを受けたりして。でもちっとも上手くはなりませんでした(笑。
ミド編)まるで「巨人の星」の世界ですね(笑、お父様の影響でやはり巨人ファンでいらっしゃいましたか?
そんな父親でしたから、よくプロ野球を観に後楽園球場に足を運んでいました。でも大好きだったのはパ・リーグの近鉄バファローズ。当時はパ・リーグが人気ありませんでしたから、セ・リーグだと好きなのは大洋ホエールズと答えてましたけど、一番好きだったのは近鉄!
ミド編)東京で近鉄ファンってけっこう珍しかった気がします。
唯一日本一になれなかった球団、近鉄バファローズ!
いつまでたっても勝てない近鉄が好きでしたね~。ジプシー感漂うロッテオリオンズも好きだったけど、ここ一番で勝てない近鉄が好きでした。
あ、巨人にも好きな選手はいましたよ。「壁際の魔術師」高田選手とか!外野から内野にポジション変更を言い渡されるあたりなんかね…
ここからしばらく、往年のプロ野球談議に花が咲く登坂代表とミド編。
当時の選手と出来事、どこが好きだったかなど同世代の他愛もない話が止まりません。

ただ、なんとなく登坂代表によってクローズアップされるポイントには共通点があります。
それは「プロ野球でもっとも印象に残っている名シーン」を熱く語る様に凝縮されているようでした。

【1988年の「10.19」川崎球場で行われたロッテVS近鉄!】

まさに死闘だった「10.19」のダブルヘッダー、読者の皆様でも憶えている方は多いかもしれません。
※「10.19」の詳細については下記Wikipediaをご参照下さい
「10.19」ダブルヘッダーの第2試合、近鉄はロッテに勝つ以外にありませんでした。試合は延長10回表で自軍の攻撃を終えたところで未だ引き分け、裏の守備に向かう前のシーンです。

この試合の規定で試合時間が4時間を超えたらそのイニングで試合は終了、ところが10回表の近鉄の攻撃が終った時点で試合は3時間57分を経過。つまり延長11回を戦いたければ10回裏の守備をたったの3分で終わらせないといけない、当然無理なんですよね。

そんな絶望のなか、チームの柱だった大石大二郎選手が「おいみんな、早く行こうじゃないか。3分で終わるかもしれないよ。」とベンチを出た瞬間!僕の中ではそこで情景がホワイトアウトしていくんですよ…

例えるならそれは「在野精神」か

「野武士球団が管理野球に勝てない!」(1982年、西武VS中日の日本シリーズ)
「負けて負けて…やっぱり負ける…」(阪急、近鉄を率いた西本幸雄監督の日本シリーズ)

登坂代表が挙げられる、印象に残るシーンの多くには”弱者が強者に立ち向かう、でも勝てない”そんな悲哀や哀愁、噛み締める様な男の生き様が多く「柵や定めに抗い散ってゆく美学」に在野の精神とでもいうべき登坂代表の本質が宿っているような気がします。
「散り際の儚さ、美しさ」を語る登坂代表

「散り際の儚さ、美しさ」を語る登坂代表

SWSからNOW、そして大日本プロレスへ。
この道一筋26年の積み上げ、そのキャリアには登坂代表の美学が投影されているのかもしれません。
そんな登坂代表のイメージは好きだった特撮ヒーローやキャラクター、アニメや映画や音楽といった話の隅々からも伝わって来るかのようです。

仮面ライダーならX、ガンダムならドズルにランバラル、特撮ヒーローではアクマイザー3、アニメならサイボーグ009。七人の侍、寅さんに中島みゆき。更にはサッカー日本代表、ドーハの悲劇から4年を経て初のワールドカップ進出決定時のカズ…。

いかがでしょう、まるで滲み出る様な「ソレ」が伝わってくると思いませんか?
ここまでくると「だとすれば〇〇はお好きでしたよね」「□□□といったらやっぱり△△△のシーンでしたよね」そんな会話がそれこそエンドレスに展開します。

野球の話から始まった、少年時代から今に至る「心に残っているモノ」談義。
話は中学卒業後に働いていた後楽園球場での売り子、ゲームセンターでのアルバイト時代へと続きます。
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