2017年8月7日 更新

【垣原賢人】直情一直線、安全策ナシの人生!そしてUの戦士カッキ―はミヤマ☆仮面となる!!

垣原賢人は往年のプロレスファンにとってUWFを愛する「Uの戦士」、お子様連れのファミリーにとってはクワガタを愛し”クワレス”を主催する「ミヤマ☆仮面」。悪性リンパ腫と闘いながらも2017年8月14日、後楽園ホールにて「カッキーライド~垣原賢人復帰戦~」を開催する垣原賢人、その安全策ナシに直情一直線な人生をご覧いただきたい。

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往年のUWFインターナショナル、全日本プロレス、新日本プロレスとメジャー団体を渡り歩いた「Uの戦士」垣原賢人。

プロレスを引退後、森とクワガタを愛する「ミヤマ☆仮面」となって”クワレス”を主催し続ける垣原賢人。

悪性リンパ腫という大病と闘いながら、2017年8月14日には後楽園ホールにてプロレス復帰戦を飾ろうとしている垣原賢人。

ミドルエッジ読者の皆さまには、どの時代の垣原賢人が印象として強いでしょうか。

いま、大きな病と闘いながらもリングにあがることを決断し、観る人々に勇気をもたらそうと取組んでいらっしゃる垣原選手。
そんなメッセージを届けよう!と意気込みながら垣原選手へのインタビュー機会に臨んだミドルエッジ編集部(ミド編)。

ところが、垣原選手との時間と空間はそんな想いすら超越するかのような、少年時代に魅せられたモノに真っ直ぐ過ぎる人生を歩む男の魅力に触れる機会となりました。

”直情一直線、安全策ナシの人生”と銘打たせていただいた、垣原選手の半生をぜひご覧下さい。

ヘラクレスに出会いたくてアマゾンの「ジャングルファイト」に出場

タイトルを見て「えっ?」と思う方が大半でしょう。

一つには「えっ、何のこと?」という文脈が分からない「えっ?」。
もう一つには何となく意味が分かったうえで「えっ、ホント?」という「えっ?」。

このエピソードには、垣原選手の魅力が凝縮されています。
冒頭には、文脈を無視してでもこの言葉を並べておきたかった。。。

そんなわけで、改めて垣原選手のインタビューをご覧ください!

虫捕りに明け暮れた少年時代

ミド編)現在45歳の垣原選手は、ミドルエッジの読者層ととても近い年代でいらっしゃいます。垣原選手は幼いころをどのようにして過ごされていましたか?
僕は小さい頃、昆虫採集に夢中でした。僕らが子供の頃ってみんな昆虫採集をやりましたよね?

「夏休みの自由研究」といえば、昆虫の標本が定番でした。その時に役に立つのが「昆虫採集キット」で、注射器に虫眼鏡、ピンセット、虫ピン、防腐剤や殺虫剤が入っていて便利でしたけど、今はそんなキット無いですよね。それどころか今の子供達は“虫捕り”自体をやらないという・・・ビックリですよね。

僕は虫が大好きで。ツクツクボウシなんて動きがすごく素早いんですけど、それも僕は手掴みで捕まえてましたよ。

ニイニイゼミは(捕まえるのが)簡単なんです!アブラゼミとかも簡単なんです!!けれど、ツクツクボウシは難しいんですよ!!!

僕が住んでいた四国には南方系のセミのクマゼミがいて、これがデカいくせに動きが早くて、このクマゼミを手で掴むというのが僕の中の修行の一つでした。もちろん虫取り網も使いましたけど、木に付いている状態を素早く手で捕まえると自慢できるというか、自分の中で“やった感”があって。

最終的にものすごい動きの早いツクツクボウシの手掴みを目指してましたね。ツクツクボウシは夏が終わる頃に現れるので、季節的にも集大成といいますか。宿題の事も心配になってくる時期でしたけど(笑)
垣原賢人さん(1972年4月29日生)

垣原賢人さん(1972年4月29日生)

プロレスメジャー団体を渡り歩いて活躍した「Uの戦士」であるとともに、2006年の現役引退後はクワガタと森を愛するネイチャーボーイ「ミヤマ☆仮面」としてクワガタによる”クワレス”をプロデュース。
2014年に悪性リンパ腫であることを公表し、病と闘いながらも2017年8月14日の後楽園ホールにて復帰戦を開催!
四国は愛媛県の新居浜市に育った垣原選手。
とにかく虫が大好きだった垣原少年は、なかでも「クワガタ」に魅せられました。
僕は愛媛県の新居浜市出身なんですけど、あそこは工業地帯で少し離れないと山が無いんですよ。山に行くには自転車で一時間ぐらいかけて、クワガタムシのいるポイントまで行くんですよね。

ギアも何もついてない只のママチャリで一時間~一時間半ぐらい。結構な運動量ですよ。山ですからアップダウンもありますし。今思えばそれがプロレスラーになるための強い足腰を作ったんじゃないかとも思いますけど(笑)
夏になると毎日毎日行ってましたからね。

友達と一緒に3人ぐらいで捕りに行くんですけど、絶対僕がぶっちぎってました。クワガタムシのいるポイントに早く着いた人が沢山捕れるじゃないですか!? だから、途中までは仲良く並走して走ってるんですけど、段々ポイントが近付いてくると競走になってきてスピードをどんどん上げるんですよね。それこそ競輪選手並みのスピードで(笑)

そのおかげか走るのも速くなって、短距離走も得意でした。
同世代の男子であれば幼いころの夏休みの光景が蘇ってくるようです。
チャリンコ立ち漕ぎで競走して…なんだかセミの声まで聞こえてきそうです。

「実はこの“虫好き”が45歳の今現在もず~っと続いているんです」

普通はみんな小学校卒業と同時ぐらいに虫捕りなんて卒業して、男性の場合は興味の対象が“虫”から“女性”へと成長とともに変わっていきますけど、僕はずっと“女性”よりも“虫”です。女性よりもクワガタムシのメスの方に興味が湧くんですよね。それぐらい“クワガタムシ”オンリーで。

プロレスラーになってからもです。道場のロッカーには普通トレーニング道具を入れるんですけど、僕は虫を積み上げてました。UWF時代は月に1回ぐらいしか試合が無くほとんどが道場で練習だったので、ロッカーで虫を飼えたんですよ。
ここではひとまず垣原選手がなぜプロレスラーを志したのかはさておき、そのクワガタ愛溢れるエピソードを、もう少し垣原選手ご自身の言葉で書き綴らせていただきます。
幼き日の「クワガタ愛」を今なお抱き続ける垣原選手

幼き日の「クワガタ愛」を今なお抱き続ける垣原選手

UWFが無くなった後、全日本プロレスに参戦して三沢(光晴)さんや丸藤(正道)君とチームを組んでたんですけど、全日本プロレスになると巡業で全国へ出かける機会が増えまして。

試合後はみなさん夜のネオン街に消えて行くんですけど、僕はネオン街ではなく真っ暗闇の山に行くわけですよ。全国にネットワークがありまして、北は北海道から南は九州まで虫名人がいて、その方たちが待っててくれてるんですよ。で、試合が終わって夜10時とか11時ぐらいから夜通し虫を捕りに行くんです。

オフの時はオフの時で、離島まで行くんですよ。沖縄の石垣島とか。そこに特化した、そこにしかいない珍種がいるんですよ。変わった外国みたいなクワガタムシがいたりして、虫は本当に面白いんですよ。

国内のみならず、インドネシアにまで行ったこともあります。ジャワ島とかスラウェシ島とか。その時は現地の方とチームを組んで行きましたね。素人の日本人が観光がてら捕りに行っても捕れるものでもないですし、危険ですから。

泊まるのはホテルじゃなく現地の方の家に泊まって。ウルルン滞在記みたいなものですよ。現地のモノを食べ、お風呂はもちろんも無く、トイレも無かったです。そんな生活しながらクワガタを捕りに行くわけです。そうまでして行く目的はというと、そこには黄金色に輝くオウゴンオニクワガタというのがいまして、それを見たいがためなんですけどね。
もうすでに、垣原選手の溢れる「クワガタ愛」は多くの読者の皆様に伝わっているのではないでしょうか。少年期からプロレスラーへ…といったお話の前に。

そしてすっかり話に惹き込まれるミド編。

ミド編)そのオウゴンオニクワガタは出会えたんですか?
はい、出会えました。
ジャングルの中、一時間ぐらい山頂まで登って行って、そこでライトをつけると、それに集まるという習性がありまして。「ライトトラップ」という手法なんですけど。

コーカサスオオカブトという3本角のカブトムシも飛んできたり、スゴいテンションですよ。図鑑でしか見たことがないような虫が、目の前を飛んでいるんですから。

その当時、僕は新日本プロレスに在籍中で、憧れていたIWGPジュニアヘビー級王座のタイトルマッチが両国国技館であるというのにその直前に行ってしまって・・・1週間~10日間ぐらい行ってたんですが、やっぱり現地の水とかは不衛生というか・・・帰国したらお腹を壊してしまい、タイトルマッチ直前にゲッソリ体重が落ちてしまって・・・もちろんベルトは取れなかったです(笑)

まあ、シルバーに輝いたIWGPジュニアのベルトは獲れませんでしたけど、黄金に輝くオウゴンオニクワガタは捕れたっていう(笑)
どこまで“クワガタバカ”なんだ!?って話ですよ。
すでにお気づきの通り、このエピソードは垣原選手が志したプロレスラーの世界に飛び込み、凌ぎを削って闘いに明け暮れていた時代のモノ。

垣原選手はリング上での全力ファイトの一方、クワガタを追い求める冒険の日々だったのです。
このお話の先に、冒頭で唐突にタイトルとさせていただいたエピソードが!

「虫好きな人にとっての“最高峰”と言えば、“アマゾン”ですよね?」

過酷な「ジャングルファイト」に勢いよく立候補した垣原選...

過酷な「ジャングルファイト」に勢いよく立候補した垣原選手、その理由は?

行きましたよ。

新日本プロレスに在籍していた頃、アントニオ猪木さんがアマゾンのジャングルの森林保護のためのイベントをやると言い出して。確か2003年のことで、中邑真輔も出場した「ジャングルファイト」というイベントなんですけど、選手がみんな行きたがらないんですよ。30時間以上も飛行機を乗り継いで行くわけですから。

そこを僕はものすごい勢いで立候補しました。猪木さんに「行きまーす!!」って。何が目的かというと、ヘラクレスオオカブト=世界最大のカブトムシがいるわけですよ。それを見たくて。

ただ実際に行ってみたら、取材やら森林保護なんで植樹祭やら、インタビューやらでスケジュールがギッシリなんですよ。ジャングルなんか行ってる時間なんて無いんですよ。そらそうですよ、仕事で行ってるんですから。そんな予定外の時間なんて組んでくれないですよね(笑)

でも僕の目的はヘラクレスじゃないですか!?
クッソー・・・どうにかできないかなあと考えていたら、ありましたよ。試合の当日。

試合は夜なんで、それまでは空いていて。夜にはバーリトゥードの試合があるのでコンディションを整えておかないとダメなんですけど、朝から行っちゃいましたよ。

マナウスという一番近い都市からアマゾン川を船に乗って下ってジャングルの中へ。もちろん現地の方を雇って、「こういう虫が欲しいんだ!」って図鑑を見せながら。ただ、マラリアとかが危ないので上着を着込んで行ったんですけど、湿度も高くていわゆる熱中症になってしまいました。

ヘラクレスには出会えないわ、フラフラの状態になるわで、会場に戻って試合ですよ。バーリトゥードで。ヤバくないですか!? どこまでイカれてるんだって話ですよね。

結局、試合にはなんとか勝てたんで、猪木さんに「バカヤロー!!」って言われなくて済みましたけど。もしも負けていたら、「負けた理由はヘラクレスです。」なんて言えないですよね(笑)

そんな感じで、昆虫少年の夢だったアマゾンまで行きましたけど、未だに虫に夢中ですよ。
目を輝かせて語ってくださる垣原選手。
その直情と情熱。例えるならばそう、それは「さかなクン」のようです。

そんな垣原選手はプロレスラーとしての現役引退後、まさに天職とも呼べる「ミヤマ仮面」に扮して活動を始めます。

が、ここではひとまず垣原少年がプロレスを志した時代に戻りたいと思います。

ミド編)そんなクワガタと同じくらいプロレスも好きだったということですよね、 プロレスラーになろうと思ったきっかけは?

チャンネル争いに負けて見始めたプロレス

元々僕がプロレス見るきっかけは、うちの2つ上の兄貴がプロレスが好きだったからなんです。兄貴は全日本プロレス好きで、スタン・ハンセンのファン。ハンセン・ブロディ組のことを応援してましたね。

僕はそこまでプロレス好きじゃなかったんですけど、チャンネル争いに負けていやいやながら見ていて、それからプロレスを見るようになり、新日本プロレスに興味を持つようになったんです。ジュニアの早い動きが面白くて。

でも全日本もザ・グレート・カブキさんとかミル・マスカラスさんとか子供心に面白い選手もいて。あと“秒殺”のザ・ロードウォリアーズさんとかね。ああいうのを見てどんどんプロレスにハマって。
やがて、クワガタと同じくらいプロレスが好きになっていった垣原少年。

ただ、好きではあったものの自分がプロレスラーになれるとは思ってなかったそうで、小学生の時は少年野球に所属したものの6年間ずっと補欠だったそうです。

居ても立っても居られなくなった「UWF愛」

中2の終わりから中3くらいですかね。UWFが新日本プロレスに参戦して。高田(延彦)さんと越中(詩郎)さんの「名勝負数え歌」とか、5対5の「イリミネーションマッチ」とかを見てたら、UWFカッコイイじゃないですか。キックとかサブミッションとか格闘技に特化した戦い方に「これなら身体の小さい自分でもイケるんじゃないか」って思い始めたりして。
「UWF愛」は、垣原少年を一気に突き動かします。
中学校の3年間、一生懸命努力して入学した四国有数の進学校。

それなのに…

四国有数の進学校を「先に辞める」

新生UWFが旗揚げして、居ても立っても居られなくなったわけですよ。高校一年生だったんですけど、まず学校を辞めて。親は泣いてました。僕はそんなに頭が良い方じゃなかったんで、勉強量でカバーしようと中学1年生の時から塾に行き、夜中の2時3時まで3年間勉強して進学校に入ってましたから。

進学校なんで“辞める”というのは大変な出来事で、学校側も辞めさせたくないんですよ。東大行くために高校一年生からしっかり勉強するぞ、というような学校でしたから。でも僕は新生UWFの話を聞いたもんですから、「一日でも早く辞めないとプロレスラーになれない」と思って。

高校を卒業して、あるいは大学卒業してからなんかじゃ絶対になれないから、今すぐ辞めたいと焦ってましたね。で、辞めてUWFに履歴書を送ったんですけど、全然返事が来ませんでした。学校辞めちゃってるのに(笑)
ミド編)えっ、先に学校を辞めちゃったんですか?垣原選手はその時はもう身体を鍛えていらっしゃったんですか?
身体は全然細かったですよ。70kg無いぐらいの体で。柔道をちょっとかじった程度で全然か弱い体でした。

余談ですけど・・・進学校の柔道部に一応入ったんですよ。入学したら何か部活に入れってことで。プロレスラーになりたいって言うなら柔道をやればいいじゃんって言われて。

進学校の柔道部なんて、とナメていたら、ブン投げられて、僕は背骨を折ってしまったんですよ。横突起2箇所。それで1ヶ月間寝たきりになっちゃったんです。

入学してすぐですよ。1ヶ月寝たきりで、体は細くガリガリになるし。リハビリからスタートですけど、その足で学校辞めちゃったんですよ。だから普通に戻すところからでしたね。

だから、おばあちゃんはビックリしてました。「そんな女の子みたいなウエストして何言いよん」みたいな感じで。柔道部で簡単に投げとばされるほど弱かったのに、腕っぷしが強い弱いじゃなくて、体も弱ってるじゃないですか。それがプロレスラーになるって・・・おばあちゃんも反対ですよ。

でも、僕の中ではウジウジモヤモヤしてたから怪我に繋がったんだ、みたいな感じでプラスに考えたんですよね。夢を持っている16歳の僕は気持ちが強かったんでしょう。気持ちが強いっていうか馬鹿なんでしょうけど、イッちゃってるわけですよ。ブッ飛んでるわけですよ。
履歴書で相手にされず、今度は直談判しに東京に出かけた16歳の垣原少年。
1回目は高田延彦選手、2回目は中野龍雄選手に掛け合ったものの相手にされず…

「先に上京してしまう」

履歴書を送って直談判に行っても門前払いされて、愛媛にいても同級生達に白い目で見られるわけですよ。「プロレスラーになるって言ってたのに、まだいるじゃん!」って。河川敷とかで走っててもむなしくなってしまって、それでもう愛媛にも居づらいし東京へ出て行こうってことで。

おばあちゃんの知り合いの知り合いみたいな、細~いツテをたどって、足立区に新聞配達店の社長をしている人がいたので、そこに住み込みで働かせてもらうことになりました。給料無しだけど、ご飯くらいは食べさせてやる、あとは一部屋あてがってやるぞ、ってな感じで。
「行動力」と一口に言うのは簡単なものの、何の安全策も講じることなく真っ直ぐに突き進む垣原少年。
進学校を辞め、2度の門前払いを食らった後に、わずかな縁を辿って上京した彼を待っていた「大きな縁」。

3度目の正直で待っていたのは「藤原組長」と「熱い大根」

そこのボロボロの寮みたいな所の他の部屋のおっちゃんに「お前は若いのにさあ、こんな所に来て、人生終わりだよ。馬鹿じゃねえのか。何なんだよ、こんなところに来て」と言われたので、「UWFという所のプロレスラーなるために」と僕が答えたら、「え!?プロレス??お前が今住んでいる部屋にお前と同じようにプロレスラーになりたいっていうやつがいたんだよ。そいつと一緒に道場に行ったこともあるんだよ。車屋さんの倉庫みたいなところだったよ。」「え!?それUWFの道場ですよ」みたいな話になって。

「じゃあ、そいつ荒木って言うんだけど、会わせてやるよ」みたいな感じで、会ったんですよ。喫茶店で3人で会って、「僕、UWFに入りたいんですけど」って荒木さんに言ったんです。
まるでドラマのような展開。
単身上京した垣原少年は、思いもよらない縁でUWF入門への3度目の挑戦を実行に移すこととなります。
荒木さんは第2回のテストを受けて、補欠合格で入門はしていなくて。「僕は補欠合格までだった人間なんで、UWFのことは語れない。ただ、一緒にプロテストを受けて合格した海老名保っていう男がいるから、そいつを紹介するよ」って言ってくれて。

海老名さんは練習中の事故で頭を打って運動のできない身体になってしまい、UWFを辞めて秋田の実家に帰ってしまってたんですけど。荒木さんに秋田の海老名さんの電話番号を教えてもらって、僕は公衆電話から電話をかけました。

そして、海老名さんにかくかくしかじかでって説明をしたら「今すぐ道場に行け!新聞配達してる場合じゃないぞ!」て言われて。「いえ、でも僕2回行ったけど門前払いされて断られてて・・・」って言ったんですけど、「いやいやいやいや、あきらめちゃダメだから。今すぐ行け!電話切ったら行くんだよ」みたいなことを言われて、背中を押されて行ったところに藤原組長がいたんです。組長なんて滅多に来てないわけですよ。しかも練習後にお酒を飲んで、陽気な状態のところに僕が行ったわけで。海老名さんに背中をバーンと押されて行ったからこそでしたね。
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