ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記
2016年11月25日 更新

ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記

初期のK-1で、まさに暴れ回っていたピーター・アーツは、まだ専門学校生。まさに「怪童」でした。以後、毎年、年末に行われていたK-1グランプリで2連覇を含めて3度優勝。40歳を超えてもリングに上がり続け、本当に多くのファイターと戦い、名勝負、名KOシーンを創出し、6度もK-1グランプリのファイナリスト(決勝戦進出)となりました。その飽くなき闘争心で、総合格闘技戦も行っています。2013年には、そのインタービュー記事が巨大な広告となって渋谷駅に掲出されました。

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K-1グランプリ2010 in ソウルでエヴェルトン・テイシェイラと対戦し延長1R判定勝ち。

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K-1グランプリ2010,準決勝でセーム・シュルトに判定勝ち。

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K-1グランプリ2010、決勝戦でアリスター・オーフレイムに1RKO負け。
優勝は逃したものの、K-1史上最多、6度目のグランプリの決勝戦進出、ファイナリストとなった。

魂と鍛錬のチャンピオン

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ピーター・アーツはどうしてここまで来ることができたのだろうか?
「魂と鍛錬です
ファイターは常に厳しい規律を持ち
先生やスパーリングパートナー、家族を尊敬しなくてはなりません
私よりも強いファイターは大勢いるでしょう
強いパンチとキック
柔軟でスタミナがある・・・
しかしリングではその人の魂にかかっているのです
そして練習を続けること
時にはひどい痛みに耐えながらやり続け
わずかな筋肉さえ動かせない
息をするのも苦しい
そんなときでも決してあきらめてはいけません
精神的に強くなってはじめて
チャンピオンになれるのです」
via レジェンド オランダ格闘家列伝
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アムステルダムからハイウェイを飛ばして1時間30分。
ドイツとの国境に近い人口3000人ほどの小さな集落。
敷地2000㎡建坪500㎡という大きな家にピーターは住んでいる。
かつてピーターは夜のネオン街が大好きだった。
しかし双子の子ども(マルシアーノとモンタナ)が産まれてからはガラリと変わった。
「月に1回、カフェに行く程度だね
子どもたちが『お父さんは世界で一番強い』と言ってくれることが、一番の励みになっているんだよ
息子のマルシアーノはバスケットをやっていて
北オランダチームの代表に選ばれた
身長も180cmもある
たぶん私よりも大きくなるだろうね
娘のモンタナは週に1度、私と一緒にキックをやっている
将来は選手としてやりたいといっているので
自分がトレーナーをやるしかないのかなと悩んでいるところだ」
via レジェンド オランダ格闘家列伝

巨大広告

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2013年11月18日~25日、
ピーター・アーツが自身の引退について語った1万字のインタビュー記事が全長30mの巨大広告となって東京メトロ半蔵門線・渋谷駅に掲出された。

東京メトロ半蔵門線・渋谷駅に掲出された巨大広告

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