ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記
2016年11月25日 更新

ピーター・アーツ 20世紀最後の暴君の戦記

初期のK-1で、まさに暴れ回っていたピーター・アーツは、まだ専門学校生。まさに「怪童」でした。以後、毎年、年末に行われていたK-1グランプリで2連覇を含めて3度優勝。40歳を超えてもリングに上がり続け、本当に多くのファイターと戦い、名勝負、名KOシーンを創出し、6度もK-1グランプリのファイナリスト(決勝戦進出)となりました。その飽くなき闘争心で、総合格闘技戦も行っています。2013年には、そのインタービュー記事が巨大な広告となって渋谷駅に掲出されました。

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参考文献

スポーツ少年時代

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ピーター・アーツは、オランダ南部の大都市、 アイントホーフェン(Eindhoven)近くのベスツという村で生まれた。
1人っ子で、父は村の周りの森で働いていた。
ピーター・アーツは、無口でおとなしい子供だった。
学校のクラスの中でも目立たず、走るのが速いわけでもなかった。
成績はよかったけれど特別いいわけでもなかった。
おしゃべりでもいじめられっ子でもなかった。
本が読めるようになると、やみつきになり、読めるだけ本を読んだ。
読書好きは現在でも変わらないという。
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やがて一般的なオランダの少年同様、ピーター・アーツもサッカーをするようになった。
体操や卓球にも挑戦し、9歳になるとテコンドーを始め、12歳になると試合に出た。
すでに180cm75kgのピーター・アーツの対戦者はみんな18歳から21歳だった。
また何よりもこのとき行われたテコンドーは、セミコンタクト(技は当たる前に止めて、相手に触れてはいけない)ルールで、ピーター・アーツには何か物足りなく、2人にしか勝つことができなかった。
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15歳のときタイ式ボクシング(ムエタイ、キックボクシング)に出会い、人生が変わった。
「そのスクールにいってトレーニングをみた瞬間
ああ、私はこれをやらなければ
これこそ私がやるべきものなんだ、と理解したんです
規律正しさ
選手の力強さ
すべてが輝いてみえました
私もそこに混ざりたいと思ったんです
そして私の最初の先生であるベナズースとのトレーニングが始まりました
私は特別強くもなかったし
パンチやキックが飛びぬけてしなやかで速いということもありませんでした
それでも私は強くなりたいと思っていましたしトレーニングは好きだったんです
よい選手になるためにはトレーニングをたくさん積むことが絶対必要だと思っていましたから熱が入りましたよ
そして徐々に私は強くなっていったのです」
出典 レジェンド オランダ格闘家列伝

キック小僧時代

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ピーター・アーツの両親は、彼がスポーツをすることを応援し、学校教育にも熱心だった。
キックボクシングに対しても同様で、よいトレーニングをするためあれこれとアドバイスをした。
母親はケガをしないか心配で息子の初めてのキックボクシングの試合をみていられなかったが、ピーター・アーツは順調に勝った。
そしてデビュー後、8戦全勝(7KO)した。
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しかし9戦目で初めて負けた。
相手はあのアーネスト・ホーストだった。
「判定負けでした
本当に悔しかったですね
でもそのおかげで練習を積み
アーネストにお返ししてやるという目標ができました」
出典 レジェンド オランダ格闘家列伝

出典 youtu.be

練習バカ

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しばらくしてピーター・アーツは別のスクールに通い始め、かつて有名なキックボクサーで、かつボクシングでもヨーロッパチャンピオンだったエディ・シュムーダーズのもとでトレーニングを始めた。
ピーター・アーツの1日のスケジュールは、朝のランニングに始まり、昼は学校、夜はキックボクシング。
スクールまでの10kmは走っていき、
1時間のボクシングトレーニングと1時間のキックトレーニングをこなし、
再び10kmを走って家に帰った。
そしてスクールから家に帰っても家具を動かして、誰かににクッションを持たせてキックしたりして練習した。

トム・ハーリック(Thom Harinck)

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