ミーシャ一家が住む家
ミーシャの生みの親ヴィクトル・チジコフ
ヴィクトル・アレクサンドロヴィチ・チジコフ
1935年9月26日生まれ。旧ソ連モスクワ出身。
1980年国際アンデルセン賞国内賞
(色覚異常の画家)
チジコフは色盲だったのですが、美術学校ではそのことを隠していました。そしてチジコフを支えたのがチジコフの妻でした。彼女は色についてのアシスタントをしたようです。
1980年国際アンデルセン賞国内賞
(色覚異常の画家)
チジコフは色盲だったのですが、美術学校ではそのことを隠していました。そしてチジコフを支えたのがチジコフの妻でした。彼女は色についてのアシスタントをしたようです。
via privet.jp
ミーシャのデザインは1977年に約100パターンを6ヶ月掛けてデザインされ、そして1980年のモスクワオリンピックに先駆けて1977年12月19日に世界中に公開されました。そのミーシャをデザインした人がモスクワの絵本画家ヴィクトル・チジコフです。
ミーシャ生みの親「政争の場にしないで」 - YouTube
ソチ冬季五輪の開幕を心待ちにしている絵本作家がいる。ビクトル・チジコフさん(78)。ソ連時代の1980年にあったモスクワ夏季五輪のマスコット「こぐまのミーシャ」の生みの親だ。 【記事はこちら】http://www.asahi.com/articles/ASG1Z7WW9G1ZUHBI01Z.html ※朝日新聞社...
via youtu.be
主人公はモスクワオリンピックのマスコットキャラクター
オリンピックのマスコットキャラをアニメシリーズにしたのはこれが最初じゃないでしょうか。
(1984年のロス五輪の際は「イーグルサム」がアニメ化されてるが。)
当時はそりゃあモスクワ五輪が事前から結構盛り上がってて(イベントの少ない時代だったから、特に。)「がんばれニッポン!モスクワは近い!」なんていうモスクワ五輪日本選手団応援のTVCMが連日のように放送されてました。こぐまのミーシャも番組冒頭は毎回勇ましいファンファーレと共に「モスクワオリンピック開催まであと〇〇日」と、カウントダウンがなされていてああ、いよいよ始まるんだなと子供心に興奮したもんです。
ところが1979年にソ連のアフガニスタン侵攻が始まり、世界各国がソ連に猛抗議。アメリカ始め西側諸国が「モスクワオリンピック参加ボイコット」を決議し、日本も2月に不参加を表明。あれだけ盛り上がってたモスクワ五輪キャンペーンも一瞬にして消えちゃいました。
で、ミーシャの冒頭のカウントダウンがどうなったかと言うと、「モスクワオリンピック開催まであと〇〇日」という表記が消え、「がんばれ!モスクワオリンピック」という応援テロップに変わっちゃいました。
ミーシャもオリンピック景気を見込んでたくさんのグッズが作られたそうで、ミーシャのぬいぐるみをライセンス契約で作っていたアサヒ玩具(ママレンジで有名)は、この時の打撃のせいか、その後倒産してしまいました。
モスクワオリンピック閉会式は1980年8月3日午後7時30分(モスクワ時間)からレーニン中央競技場で行われ、各国選手行進の中でミーシャの人文字と共に「ДОБРОГО ПУТИ (気を付けてお帰りなさい)」の文字が作られ、メインポールの五輪旗が降ろされ聖火が消えた後、人文字のミーシャが涙をこぼしました。
当時のオリンピックで販売されたグッズを一部紹介します↓
オリンピックでは、大活躍したミーシャでした。
名前はセント・バルルン。