【1955年生まれ】2025年で70歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ
2025年2月11日 更新

【1955年生まれ】2025年で70歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ

2025年は、1955年生まれの人がちょうど70歳を迎える年です。1955年生まれの著名人の中には、お茶の間では誰もが知るおなじみの顔ながら、40代から60代で惜しまれつつ亡くなった人が多く見られます。今回は、10年以上前に亡くなった俳優から、最近亡くなった漫画家、元力士まで、若くして亡くなった著名人8名を偲びます。

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島崎俊郎

生年月日:1955年3月18日
没年月日:2023年12月6日(68歳没)


島崎俊郎は、京都府京都市出身のお笑いタレント、俳優で、1979年に川上泰生、小林すすむと結成したお笑いトリオ「ヒップアップ」のリーダーです。

1980年に『笑ってる場合ですよ!』でブレイクすると、1981年から始まった『オレたちひょうきん族』では第1回放送からトリオで出演。のちに島崎が演じたアダモステ(愛称:アダモちゃん)のキャラクターは、彼を象徴するネタとなりました。その後も、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『しあわせ家族計画』などの人気番組に出演し、俳優やリポーターとしても活躍しました。

2023年12月6日に急性心不全のため逝去。享年68。死のわずか数ヶ月前には、TBSラジオのYouTubeチャンネルに出演していました。

島崎俊郎

『My LIFE! My CHOICE!!』#41 ゲスト:島崎俊郎さん

鳥山明

生年月日:1955年4月5日
没年月日:2024年3月1日(68歳没)


鳥山明は、愛知県清須市出身の日本を代表する漫画家です。週刊少年ジャンプに連載した『Dr.スランプ』が爆発的人気となり、瞬く間にテレビアニメ化が決定。その後、代表作となる『ドラゴンボール』と共に、漫画界、アニメ界を席巻しました。また、ロールプレイングゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズでは、ゲームに登場するキャラクター、モンスターのデザインを手がけました。彼の作品は、日本だけでなく国境を越えて世界中で親しまれ、多くの鳥山ファン、さらには、多くの漫画家・クリエイターたちに影響を与えています。

2024年3月1日、急性硬膜下血腫のため逝去。享年68。鳥山の訃報は、世界各国で報じられ、彼の作品が持つ国際的な影響力を改めて浮き彫りにしました。

鳥山明

鳥山明インタビュー&作画(ジャンプリュウ)

西城秀樹

生年月日:1955年4月13日
没年月日:2018年5月16日(63歳没)


西城秀樹は、広島県広島市出身の歌手、俳優です。1972年にアイドル歌手としてデビュー。郷ひろみ、野口五郎らとともに「新御三家」と呼ばれ、1970年代から80年代にかけて絶大な人気を誇りました。代表曲は、『情熱の嵐』、『傷だらけのローラ』、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』など多数。俳優としては、人気ドラマ『寺内貫太郎一家』にレギュラー出演し、小林亜星との乱闘シーンで骨折したという話はあまりにも有名です。

2001年に一般女性と結婚。脳梗塞をたびたび発症しますが、リハビリを続けながら芸能活動を続けました。2018年5月16日、急性心不全のため逝去。享年63。秀樹没後の今も、『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、子供たちの運動会でよく使用される定番曲になっています。

西城秀樹

アイドル時代 西城秀樹

十八代目 中村勘三郎

生年月日:1955年5月30日
没年月日:2012年12月5日(57歳没)


十八代目中村勘三郎は、東京都出身の歌舞伎役者、俳優です。十七代目中村勘三郎の長男として生まれ、当初は五代目中村勘九郎を名乗っていましたが、2005年3月に十八代目中村勘三郎を襲名。お茶の間ではお馴染みの顔でテレビ出演が多く、俳優としても活躍しました。歌舞伎での当たり役は、『鰯売恋曳網』の猿源氏、『隅田川続俤』の法界坊など、俳優としての代表作は、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』、『武田信玄』、12時間超ワイドドラマ『豊臣秀吉 天下を獲る!』など。

2010年に食道がんが見つかり闘病生活を送りますが、2012年12月5日に急性呼吸窮迫症候群のため逝去。享年57。現在、長男の六代目中村勘九郎、次男の二代目中村七之助も歌舞伎役者、俳優として活躍しています。

十八代目 中村勘三郎

平成中村座物語#10 2009 to 2010 -The History of Heisei Nakamura-za #10 2009 to 2010-

千代の富士貢

生年月日:1955年6月1日
没年月日:2016年7月31日(61歳没)


千代の富士貢は、北海道松前郡福島町出身の昭和最強の大横綱の一人です。「ウルフ」の愛称で親しまれ、強靭な肉体と精悍なマスクで人気を博しました。幕内優勝31回通算1045勝は、いずれも歴代3位の記録です(2024年時点)。1989年には大相撲力士として初めて、国民栄誉賞を受賞しました。1991年に現役を引退。その後は九重部屋の親方として後進の指導に当たり、弟子では千代大海が大関まで昇進しました。

2016年7月31日、膵臓がんのため逝去。享年61。

千代の富士貢

千代の富士の天皇賜杯

坂口良子

生年月日:1955年10月23日
没年月日:2013年3月27日(57歳没)


坂口良子は、北海道余市郡余市町出身の女優です。1971年にミス・セブンティーンコンテストで優勝し、1972年に歌手デビュー。同年、ドラマ『アイちゃんが行く!』で女優デビューも果たします。代表作は、『(新)サインはV』、『前略おふくろ様』、『池中玄太80キロ』など。長年、人気女優として第一線で活躍し続け、石井ふく子プロデューサーの「石井組」の一員としても知られています。

元タレントの坂口杏里は、最初の夫との間に生まれた長女。プロゴルファーの尾崎健夫とは長年事実婚で、2012年に正式に結婚しました。2013年3月27日、横行結腸がんによる肺炎のため逝去。享年57。

坂口良子

globe / 「Wanderin' Destiny」(主演:坂口良子)

朝潮太郎(4代)

生年月日:1955年12月9日
没年月日:2023年11月2日(67歳没)


朝潮太郎(4代)は、高知県室戸市出身の元大相撲力士です。近畿大学時代に学生横綱とアマチュア横綱を2年連続で獲得し、その後、高砂部屋に入門。1978年3月場所に四股名・長岡として初土俵、同年11月場所にはわずか4場所で新入幕を果たします。四股名はその後、長岡→朝汐→朝潮と改名し、1983年5月場所に大関に昇進しました。最終的には大関止まりでしたが、横綱・北の湖に強く、なんと13勝7敗と勝ち越しています。幕内優勝は1985年3月場所の一度のみです。

引退後は高砂部屋の親方として朝青龍や朝乃山を育成し、日本相撲協会理事も務めました。2023年11月2日、小腸がんのため逝去。享年67。
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