タレントとして活躍!
その後タレントに転向。大相撲関係のコメンテーターとして活躍。
ちょうど若乃花、貴乃花の若貴ブームの頃だったこともあって、『ブロードキャスター』などのバラエティ番組でも相撲担当ゲストとしてそのわかりやすい語り口で人気を博した。
一方、その優勝予想は当たらないことで評判で、力士当人から名指ししないでくれと泣きつかれた、などという噂がまことしやかに流れるなどした。番組上で相撲好きで知られるデーモン小暮閣下がキャスターに「優勝予想は?」と尋ねられた際、「蔵間さんが予想していない力士」と返したエピソードもある。予想を外してしまい「約束どおり」と罰ゲームをやらされたこともある。
また、1993年放送の『たかじんnoばぁ〜』(よみうりテレビ)にて病気で年寄(親方)を辞めた事情を明かしている。(中野浩一、角盈男も同席、バーテンダーのトミーズ雅が宥めていた。)
ちょうど若乃花、貴乃花の若貴ブームの頃だったこともあって、『ブロードキャスター』などのバラエティ番組でも相撲担当ゲストとしてそのわかりやすい語り口で人気を博した。
一方、その優勝予想は当たらないことで評判で、力士当人から名指ししないでくれと泣きつかれた、などという噂がまことしやかに流れるなどした。番組上で相撲好きで知られるデーモン小暮閣下がキャスターに「優勝予想は?」と尋ねられた際、「蔵間さんが予想していない力士」と返したエピソードもある。予想を外してしまい「約束どおり」と罰ゲームをやらされたこともある。
また、1993年放送の『たかじんnoばぁ〜』(よみうりテレビ)にて病気で年寄(親方)を辞めた事情を明かしている。(中野浩一、角盈男も同席、バーテンダーのトミーズ雅が宥めていた。)
難病と闘った晩年
蔵間が慢性骨髄性白血病におかされているという事実は、彼の家族や親類など、ごく限られた人しか知らなかった。実兄とHLAが一致し骨髄移植は可能だったが、当時の移植成功率を考え、残された時間を有意義に生きる方を選択した。
しかし、1995年(平成7年)1月上旬に急性転化し緊急入院。兄からの骨髄移植手術も考慮された矢先の同年1月26日、慢性骨髄性白血病による急性転化多臓器不全のため、東京女子医大病院にて42歳の若さでこの世を去った。死の数日前、カセットテープに残した「誰からも同情されたくはなかった」という主旨の遺言は多くの人々の涙を誘った。
妻の弥生が綴った蔵間の生涯は、『永遠の千秋楽 蔵間・愛と涙の2500日』として単行本化されている。その後1996年(平成8年)4月には、それを原作としたテレビドラマがTBS系で放送され、蔵間役に渡辺徹、弥生役に名取裕子が起用された。
通算成績と主な受賞歴
通算成績:765勝787敗25休 勝率.493
現役在位:126場所
幕内成績:424勝491敗15休 勝率.463
幕内在位:62場所
三役在位:7場所(関脇1場所、小結6場所)
三賞:3回
敢闘賞:1回(1978年1月場所)
技能賞:2回(1978年3月場所、1981年5月場所)
金星:2個(輪島1個、若乃花1個)
via www.jiji.com
90年代にタレントとして、相撲のご意見番としてテレビに数多く出演していた蔵馬。
一方で、現役時代は期待されながらも、もう少しのところで上位を狙えなかった。
闘病生活は壮絶だったと思われるが、「同情されたくなかった」の一言に精神力の強さを感じた。
一方で、現役時代は期待されながらも、もう少しのところで上位を狙えなかった。
闘病生活は壮絶だったと思われるが、「同情されたくなかった」の一言に精神力の強さを感じた。