ぬかるみの世界
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1978年、生放送で局部を露出して東京進出を失敗させた鶴瓶は、大阪で「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」をスタートさせた。
深夜の2時間半、放送作家:新野新とのフリートーク。
「おじん(寡黙な人)」「おばん(陽気な人)」「雪女(処女)」「メー(メンス、生理)」などのぬかるみ語。
「有名人で誰が握ったおにぎりを食べられるか、食べられないか」などの話題で盛り上がるぬかる民。
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は熱狂的な人気を誇った。
ラジオ局で松山千春の女性ファンがカメラ忘れていったとき、鶴瓶は自分の股間を写してカメラを返しておいた。
派出所を
「はつしゅしょ」
「はしゅしゅしょ」
違和感を
「ゆわかん」
ロシアを
「ロシヤ」
ブルース・ウィリスを
「ブゥルース・ウィルス」
チャンピオンを
「チャンピョン」
と鶴瓶は発音も滑舌も悪かった。
ラジオでは致命的な欠点にも思えるが、鶴瓶の場合は逆にそれが良かった。
笑いはもちろん、自分を隠さず気取らず日常話からしんみりした話、感動した話までなんでも話し、多くのリスナーが素直に共感し笑うことできた。
深夜の2時間半、放送作家:新野新とのフリートーク。
「おじん(寡黙な人)」「おばん(陽気な人)」「雪女(処女)」「メー(メンス、生理)」などのぬかるみ語。
「有名人で誰が握ったおにぎりを食べられるか、食べられないか」などの話題で盛り上がるぬかる民。
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」は熱狂的な人気を誇った。
ラジオ局で松山千春の女性ファンがカメラ忘れていったとき、鶴瓶は自分の股間を写してカメラを返しておいた。
派出所を
「はつしゅしょ」
「はしゅしゅしょ」
違和感を
「ゆわかん」
ロシアを
「ロシヤ」
ブルース・ウィリスを
「ブゥルース・ウィルス」
チャンピオンを
「チャンピョン」
と鶴瓶は発音も滑舌も悪かった。
ラジオでは致命的な欠点にも思えるが、鶴瓶の場合は逆にそれが良かった。
笑いはもちろん、自分を隠さず気取らず日常話からしんみりした話、感動した話までなんでも話し、多くのリスナーが素直に共感し笑うことできた。
突然ガバチョ
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1982年、鶴瓶は関西の番組「突然ガバチョ」、通称:「突ガバ」でブレイク。
毎日放送千里丘放送センターで公開収録され、観客にはタコ焼きやコカ・コーラが振る舞われた。
鶴瓶が運転手を務めるタクシーにゲストが乗ってトークする「つるべタクシー」
鶴瓶が視聴者から寄せられたハガキを読んで、スタジオの観客が笑うのをガマンする「テレビにらめっこ!」
笑った観客は指摘マンに指摘され、
「そこの方、笑いましたね。
あなた退場!」
と鶴瓶にいわれ筋骨隆々の2人の退場マンに担がれスタジオから退場。
退場の他に「乳母車の刑」「ムキムキマシーンの刑」などもあった。
ウケないネタもあったが、観客はもちろん、鶴瓶、ゲスト、カメラマン、番組スタッフ、指摘マンすら笑ったら退場するので、ハガキ vs スタジオの一本勝負だった。
「兵庫県揖保郡(いぼ)郡…」
まだネタに入っていない、鶴瓶がハガキの投稿者の紹介をしている段階で
「いぼ」
に反応し笑い出した客が退場させられたこともあった。
岡田有希子は2回出演し2回笑って退場。
沖田浩之はコーナー中に退場させられた上、直後の歌唱コーナーで歌っている最中に突然爆笑してしまい、再度退場させられた。
梨元勝は時計のアラームを鳴らせてしまい笑っていないのに退場させられた。
鶴瓶も1度だけ笑ってしまい、そばにいいた客に「退場!」といわせ退場した。
番組のエンディングでは、体中に大量の飴玉をつけた鶴瓶が観客と握手をした後、千里丘駅行きの送迎バスに乗った観客を見送る映像が流れた。
1986年、「突然ガバチョ」は関西だけでなく全国で放送され始め、鶴瓶は東京へ再進出した。
毎日放送千里丘放送センターで公開収録され、観客にはタコ焼きやコカ・コーラが振る舞われた。
鶴瓶が運転手を務めるタクシーにゲストが乗ってトークする「つるべタクシー」
鶴瓶が視聴者から寄せられたハガキを読んで、スタジオの観客が笑うのをガマンする「テレビにらめっこ!」
笑った観客は指摘マンに指摘され、
「そこの方、笑いましたね。
あなた退場!」
と鶴瓶にいわれ筋骨隆々の2人の退場マンに担がれスタジオから退場。
退場の他に「乳母車の刑」「ムキムキマシーンの刑」などもあった。
ウケないネタもあったが、観客はもちろん、鶴瓶、ゲスト、カメラマン、番組スタッフ、指摘マンすら笑ったら退場するので、ハガキ vs スタジオの一本勝負だった。
「兵庫県揖保郡(いぼ)郡…」
まだネタに入っていない、鶴瓶がハガキの投稿者の紹介をしている段階で
「いぼ」
に反応し笑い出した客が退場させられたこともあった。
岡田有希子は2回出演し2回笑って退場。
沖田浩之はコーナー中に退場させられた上、直後の歌唱コーナーで歌っている最中に突然爆笑してしまい、再度退場させられた。
梨元勝は時計のアラームを鳴らせてしまい笑っていないのに退場させられた。
鶴瓶も1度だけ笑ってしまい、そばにいいた客に「退場!」といわせ退場した。
番組のエンディングでは、体中に大量の飴玉をつけた鶴瓶が観客と握手をした後、千里丘駅行きの送迎バスに乗った観客を見送る映像が流れた。
1986年、「突然ガバチョ」は関西だけでなく全国で放送され始め、鶴瓶は東京へ再進出した。
笑っていいとも!
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1987年、「笑っていいとも!」に出演開始。
あるときファンからもらったプレゼントの中に、電話番号を書いた手紙が入っていたため、鶴瓶はお礼の電話をかけた。
その後、そのファンから電話があった。
「どうしたの?」
と聞くと個人的な悩みを打ち明けられたため真剣に話を聞いた。
ひどいときは間違い電話をしてしまった相手と仲良くなり、その娘の結婚式に参加しスピーチを行ったこともある。
タモリは、このオープン過ぎる鶴瓶の性格を「自開症」と名づけている。
休暇中のタモリの代わりに司会を担当したときは
「友達の輪!」
を観客とともに行い復活させた。
「ゲストは誰だ!!マス埋めヒンター」で抽選でヒンターに選ばれ、その日のゲストはV6の坂本昌行だったが、ヒントの4マスに
「カミセン」
と書いてしまい誰も答えられなかった。
翌週の同コーナーでは、ヒンターの青木さやかの
「鼻」
「眼鏡」
というヒントだけでゲストを当てた。
そのゲストは鶴瓶の一番弟子:笑福亭笑瓶だった。
結婚記念日に鶴瓶は玲子夫人と江川卓から紹介された温泉を訪れた。
するとそこには高級ワインが2本置かれてあった。
江川卓からのプレゼントだった。
携帯電話に電話番号を登録できなかった鶴瓶は、手帳を出して電話番号を調べてかけると留守番電話になったので
「ワイン、ありがとうございました」
とお礼を入れた。
しかしこのとき間違えて明石家さんまの電話にかけてしまっていた。
手帳はア、イ、ウ、エ、オ、カ・・・とわかれていたが、鶴瓶は、明石家さんまも江川卓もア行に書いていたのが原因だった。
留守番電話を聞いた明石家さんまにワインをあげた記憶はなかった。
その翌日は笑っていいともの特番だった。
収録前、鶴瓶は共演する明石家さんまのところにしゃべりにいったが
「後で!」
と強く拒否られた。
そして番組中、明石家さんまは
「これでっか?」
といきなりワインを鶴瓶に差し出した。
「ワイン欲しいんやったら、いやらしいい方せんと欲しいいいなはれ」
あるときファンからもらったプレゼントの中に、電話番号を書いた手紙が入っていたため、鶴瓶はお礼の電話をかけた。
その後、そのファンから電話があった。
「どうしたの?」
と聞くと個人的な悩みを打ち明けられたため真剣に話を聞いた。
ひどいときは間違い電話をしてしまった相手と仲良くなり、その娘の結婚式に参加しスピーチを行ったこともある。
タモリは、このオープン過ぎる鶴瓶の性格を「自開症」と名づけている。
休暇中のタモリの代わりに司会を担当したときは
「友達の輪!」
を観客とともに行い復活させた。
「ゲストは誰だ!!マス埋めヒンター」で抽選でヒンターに選ばれ、その日のゲストはV6の坂本昌行だったが、ヒントの4マスに
「カミセン」
と書いてしまい誰も答えられなかった。
翌週の同コーナーでは、ヒンターの青木さやかの
「鼻」
「眼鏡」
というヒントだけでゲストを当てた。
そのゲストは鶴瓶の一番弟子:笑福亭笑瓶だった。
結婚記念日に鶴瓶は玲子夫人と江川卓から紹介された温泉を訪れた。
するとそこには高級ワインが2本置かれてあった。
江川卓からのプレゼントだった。
携帯電話に電話番号を登録できなかった鶴瓶は、手帳を出して電話番号を調べてかけると留守番電話になったので
「ワイン、ありがとうございました」
とお礼を入れた。
しかしこのとき間違えて明石家さんまの電話にかけてしまっていた。
手帳はア、イ、ウ、エ、オ、カ・・・とわかれていたが、鶴瓶は、明石家さんまも江川卓もア行に書いていたのが原因だった。
留守番電話を聞いた明石家さんまにワインをあげた記憶はなかった。
その翌日は笑っていいともの特番だった。
収録前、鶴瓶は共演する明石家さんまのところにしゃべりにいったが
「後で!」
と強く拒否られた。
そして番組中、明石家さんまは
「これでっか?」
といきなりワインを鶴瓶に差し出した。
「ワイン欲しいんやったら、いやらしいい方せんと欲しいいいなはれ」
Big1
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東京へ再進出した鶴瓶だったが、早々に打ち切られる番組も多く
「また東京進出失敗か」
といわれた、
鶴瓶の「世界No.1クイズ」は、裏番組の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に太刀打ちできず打ち切りになったが、鶴瓶を打ち負かした張本人である ビートたけしは、
「この男(鶴瓶)を大阪に帰らせてはいけない」
と思った。
そして「世界No.1クイズ」を制作していたイーストの重役に対して
「あの男をこのまま大阪に返したらイーストは笑われるぞ」
「鶴瓶を活かせないような制作会社と仕事なんかしねえ」
といった。
「たけし兄さんが「オールナイトニッポン」やってるときに僕は「セイヤング」やってたんですよ。
テレビも「元気が出るテレビ」も裏、「ひょうきん族」も裏。
ラジオでもテレビでもいっつもあの人(ビートたけし)の裏やったんですよ。
いっつもあの人の裏でいっつもボロボロにされてズタズタにされて。
ビートたけしにズタズタにされて、もう大阪帰れいうときに、あの兄さんは帰したらアカンいうねん。
どないしたいねん俺を」
鶴瓶はそういうがその後、
「歌謡びんびんハウス」
「鶴瓶噺」
「朝まで生つるべ」
「朝まで歌つるべ」
「 笑っていいとも!」
「鶴瓶上岡パペポTV」
など全国区の番組で評価されるようになっていった。
鶴瓶はビートたけしを「たけし兄さん」と呼ぶ。
ビートたけしは「鶴瓶」
明石家さんまは「師匠」、「兄さん」
タモリは芸歴では下だが年上なので「鶴瓶」と呼び捨てにしたり「おっちゃん」「おっさん」などと呼んだりもする。
ビートたけし、明石家さんま、タモリが「お笑いBig3」と呼ばれたが、鶴瓶は完全に「Big1」な存在だった。
力関係、上下関係、従来の価値観が通用しないオンリーOneなポジションで、多く若手芸人に「べー師匠」「べーさん」と呼ばれ、少し失礼で乱暴に思えるほどフランクに扱われ慕われている。
「また東京進出失敗か」
といわれた、
鶴瓶の「世界No.1クイズ」は、裏番組の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に太刀打ちできず打ち切りになったが、鶴瓶を打ち負かした張本人である ビートたけしは、
「この男(鶴瓶)を大阪に帰らせてはいけない」
と思った。
そして「世界No.1クイズ」を制作していたイーストの重役に対して
「あの男をこのまま大阪に返したらイーストは笑われるぞ」
「鶴瓶を活かせないような制作会社と仕事なんかしねえ」
といった。
「たけし兄さんが「オールナイトニッポン」やってるときに僕は「セイヤング」やってたんですよ。
テレビも「元気が出るテレビ」も裏、「ひょうきん族」も裏。
ラジオでもテレビでもいっつもあの人(ビートたけし)の裏やったんですよ。
いっつもあの人の裏でいっつもボロボロにされてズタズタにされて。
ビートたけしにズタズタにされて、もう大阪帰れいうときに、あの兄さんは帰したらアカンいうねん。
どないしたいねん俺を」
鶴瓶はそういうがその後、
「歌謡びんびんハウス」
「鶴瓶噺」
「朝まで生つるべ」
「朝まで歌つるべ」
「 笑っていいとも!」
「鶴瓶上岡パペポTV」
など全国区の番組で評価されるようになっていった。
鶴瓶はビートたけしを「たけし兄さん」と呼ぶ。
ビートたけしは「鶴瓶」
明石家さんまは「師匠」、「兄さん」
タモリは芸歴では下だが年上なので「鶴瓶」と呼び捨てにしたり「おっちゃん」「おっさん」などと呼んだりもする。
ビートたけし、明石家さんま、タモリが「お笑いBig3」と呼ばれたが、鶴瓶は完全に「Big1」な存在だった。
力関係、上下関係、従来の価値観が通用しないオンリーOneなポジションで、多く若手芸人に「べー師匠」「べーさん」と呼ばれ、少し失礼で乱暴に思えるほどフランクに扱われ慕われている。
パペポTV
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1987年、「鶴瓶上岡パペポTV」がスタート。
あるとき鶴瓶は、高校時代、朝礼台の前で整列して拍手している生徒たちの前でズボンとパンツを一気にを下ろしケツをみせると一斉に拍手が止むという芸をやっていたと話した。
すると上岡龍太郎は
「ほな、今ここでやってみい。
でケツ出したら止めるねんで」
といった。
鶴瓶は2分ほど躊躇・抵抗したが、とうとう尻を丸出しにした。
調子ノリの鶴瓶と冷徹な上岡龍太郎のコンビは絶妙な間と笑いを生み出した。
鶴瓶
「今週、私、フライデーに出てしまうんですよ」
上岡龍太郎
「エ?ウソウソ?」
鶴瓶
「実はこないだ笑っていいともでケツ出したんですよ。
それを素人が写真に撮って講談社に売りやがったんや。
で、講談社から電話があって「お宅のケツ買いました」って。
こんな非常識なことをするんですよ。
この事をある放送作家と話してて、「誰や?こんな非常識なことする奴は」って怒ってたら、その放送作家が「お前の方がよっぽど非常識や」
上岡龍太郎
「世の中で分数の掛け算に出会ったことってないな」
鶴瓶
「出会ったことないがな」
上岡龍太郎
「林檎2/3に、梨2/3を掛けるとか」
鶴瓶
「そうや。
喫茶店でのおあいそでも「えー1/2掛ける~」とかいわれたことないもんね」
上岡龍太郎
((苦笑してカメラに向かい)
「すいません。
元々知識がないもんで例が非常に貧困で」
鶴瓶
(上岡龍太郎を突き飛ばして)
「やかましいわ、大体分かるやろ!」
鶴瓶
「こないだ堀ちえみさんの子供を取り出した産婦人科の医者と会うたんですよ。
で、俺も不謹慎なこというてしもたわ。
どんなん?って」
上岡龍太郎
「ああいう人らは商売やから堀ちえみやろうが一般の人やろうが一緒なんでしょ」
鶴瓶
「でも女側でイヤな先生いうのはいてるでしょうなあ。
あんまりニヤニヤした先生とかはねえ」
上岡龍太郎
「少なくとも君みたいな産婦人科のとこにはいかんわな」
鶴瓶
「絶対、笑ってまうもん」
上岡龍太郎
「そうや。
そやから医者はマスクしとんねん。
医者ならわかるやん。
あんなガーゼごときで何が防げるかって。
何も防がれへんやん。
そやから笑い顔を隠すため、あの下ではニッターと笑とんねん」
鶴瓶
「産婦人科はええわいな。
脳外科とかもマスクしてるやん。
あれも笑てはんの?
そんなん恐いわ」
上岡龍太郎
「万引き、ようしたやろ?」
鶴瓶
「万引きしましたなあ~。
万引き、ようしましたなあ、昔?」
上岡龍太郎
「せえへん、せえへん」
鶴瓶
「しましたやろ!
いいなはれ!
鉛筆とかしょうもないもんでっせ」
上岡龍太郎
「ドキドキ感は味わったけどね。
例えば、鉛筆パッととって、こうやって服の下に隠してね」
鶴瓶
「それは万引きや」
上岡龍太郎
「ずーと店内廻った後、レジでいくら?って。」
鶴瓶
「ややこしい子やな」
鶴瓶
「たかじん(やしきたかじん)がポリープ手術したときにお見舞に行ったんたんや。
そしたら向こうは喋ったらいかんから紙に『よう来てくれたな』って書いてくれてね。
俺も『いやいや、元気か?』って書いて。
『元気や』
『いつ頃、退院や?』
『お前は喋れ』」
あるとき鶴瓶は、高校時代、朝礼台の前で整列して拍手している生徒たちの前でズボンとパンツを一気にを下ろしケツをみせると一斉に拍手が止むという芸をやっていたと話した。
すると上岡龍太郎は
「ほな、今ここでやってみい。
でケツ出したら止めるねんで」
といった。
鶴瓶は2分ほど躊躇・抵抗したが、とうとう尻を丸出しにした。
調子ノリの鶴瓶と冷徹な上岡龍太郎のコンビは絶妙な間と笑いを生み出した。
鶴瓶
「今週、私、フライデーに出てしまうんですよ」
上岡龍太郎
「エ?ウソウソ?」
鶴瓶
「実はこないだ笑っていいともでケツ出したんですよ。
それを素人が写真に撮って講談社に売りやがったんや。
で、講談社から電話があって「お宅のケツ買いました」って。
こんな非常識なことをするんですよ。
この事をある放送作家と話してて、「誰や?こんな非常識なことする奴は」って怒ってたら、その放送作家が「お前の方がよっぽど非常識や」
上岡龍太郎
「世の中で分数の掛け算に出会ったことってないな」
鶴瓶
「出会ったことないがな」
上岡龍太郎
「林檎2/3に、梨2/3を掛けるとか」
鶴瓶
「そうや。
喫茶店でのおあいそでも「えー1/2掛ける~」とかいわれたことないもんね」
上岡龍太郎
((苦笑してカメラに向かい)
「すいません。
元々知識がないもんで例が非常に貧困で」
鶴瓶
(上岡龍太郎を突き飛ばして)
「やかましいわ、大体分かるやろ!」
鶴瓶
「こないだ堀ちえみさんの子供を取り出した産婦人科の医者と会うたんですよ。
で、俺も不謹慎なこというてしもたわ。
どんなん?って」
上岡龍太郎
「ああいう人らは商売やから堀ちえみやろうが一般の人やろうが一緒なんでしょ」
鶴瓶
「でも女側でイヤな先生いうのはいてるでしょうなあ。
あんまりニヤニヤした先生とかはねえ」
上岡龍太郎
「少なくとも君みたいな産婦人科のとこにはいかんわな」
鶴瓶
「絶対、笑ってまうもん」
上岡龍太郎
「そうや。
そやから医者はマスクしとんねん。
医者ならわかるやん。
あんなガーゼごときで何が防げるかって。
何も防がれへんやん。
そやから笑い顔を隠すため、あの下ではニッターと笑とんねん」
鶴瓶
「産婦人科はええわいな。
脳外科とかもマスクしてるやん。
あれも笑てはんの?
そんなん恐いわ」
上岡龍太郎
「万引き、ようしたやろ?」
鶴瓶
「万引きしましたなあ~。
万引き、ようしましたなあ、昔?」
上岡龍太郎
「せえへん、せえへん」
鶴瓶
「しましたやろ!
いいなはれ!
鉛筆とかしょうもないもんでっせ」
上岡龍太郎
「ドキドキ感は味わったけどね。
例えば、鉛筆パッととって、こうやって服の下に隠してね」
鶴瓶
「それは万引きや」
上岡龍太郎
「ずーと店内廻った後、レジでいくら?って。」
鶴瓶
「ややこしい子やな」
鶴瓶
「たかじん(やしきたかじん)がポリープ手術したときにお見舞に行ったんたんや。
そしたら向こうは喋ったらいかんから紙に『よう来てくれたな』って書いてくれてね。
俺も『いやいや、元気か?』って書いて。
『元気や』
『いつ頃、退院や?』
『お前は喋れ』」
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鶴瓶が上岡龍太郎にタバコを辞めさせようと説得していると、いきなり
上岡龍太郎
「で、メガネかえたんわかってくれてる?」
鶴瓶
「わかるか!
マリファナ吸ってるんちゃうか?」
鶴瓶
「僕は八尾の生まれなんですけど今日久しぶりにあの辺へ帰ってて勇気が湧いてきましたね。」
上岡龍太郎
「どんな?
生きる勇気?」
鶴瓶
「生きる勇気が湧いてきたなあ。
ピーポーピーポーって救急車が走ってたんですけどライトバンがそれを抜かして行きましたよ」
鶴瓶
「ノック先生の息子と上岡さんのお子さんは顔ソックリですね」
上岡龍太郎
「だから不思議なんですよ。
ノックさんと僕とは全然違うでしょ?
で、うちのヤツとノックさんの奥さんも違うでしょ?」
鶴瓶
「ノック先生の奥さんはちょっと彫りの深い・・・」
上岡龍太郎
「彫り深いかな?」
鶴瓶
「ええっと、・・・美人ですよ」
上岡龍太郎
「みんなにわかるようにいってあげて。
誰かに似てるとか目がこうや口がああやっていわないと」
鶴瓶
「ええ・・・
誤解しないで欲しいんですが・・・
宣保愛子さんにちょっと似てるんですよ
(客に向って)お前ら、何笑てんねん!」
鶴瓶
「うちの師匠松鶴と俺の親父と嫁はんの親父3人とも67歳で死んでんねん」
上岡龍太郎
「じゃあ、君も67歳までの命やね」
鶴瓶
「あのねぇ」
鶴瓶
「和田アキ子さんは僕の初恋の人に似てるんです」
上岡龍太郎
「あっ、そう」
鶴瓶
「初恋の人が喜ぶかどうか知りませんけどね」
上岡龍太郎
「どういう意味?
和田アキ子に例えられると喜ばないんか」
鶴瓶
「ちょっと待って下さい」
上岡龍太郎
「初恋の人は喜ばないかも知れないけどって。」
鶴瓶
「ちょっと・・・。
もう1回オープニングからやり直したいわ。
アンタ、前に和田アキ子さんのことを牛やっていってましたよね?」
上岡龍太郎
「誰がいうた?
いうてへん
一言もいうてへん」
鶴瓶
「和田アキ子と牛、どっちが怖いか?って前にいってましたやん」
上岡龍太郎
「それは和田アキ子が牛だといってるわけちゃうでしょ」
鶴瓶
「・・・」
上岡龍太郎
「大きくわけたらどっちの部類に入るかっていう話や」
鶴瓶
「俺、和田さんに殴り殺されるわ!
どういうことですか?」
上岡龍太郎
「和田アキ子は、タイプでいえば小泉今日子と牛でわけるとしたらどっち?」
鶴瓶
「小泉今日子じゃないですか」
上岡龍太郎
「えっ?
じゃあ和田アキ子を牛とカバにわけたら?
どっちかにわけないかんとしたらどっちに近い?」
鶴瓶
「牛ですかね」
上岡龍太郎
「そしたら和田アキ子を牛とゴリラにわけたら?」
鶴瓶
「ゴリラです・・・」
上岡龍太郎
「そんなら和田アキ子はゴリラか?」
鶴瓶
「あのなあ!」
鶴瓶
「若返りの薬が2013年で出来るって手塚治虫さんがマンガの中で描いてたんやって。
2013年やと俺は61歳や。
61で若返りの薬を飲むんや」
上岡龍太郎
「いくつぐらいに若返りたい?
あんまり飲みすぎて精子になっても困るわな」
鶴瓶
「いくつぐらいになりたいですか?」
上岡龍太郎
「あの、記憶とか体験、知識はそのまま、体だけ若返るってことですか?」
鶴瓶
「上手いこといいまんな。
そうやねん!
この気持ちだけで体だけ若返ったらやらしい子供になりますよ。
3つくらいで近所のキレイなお姉さんに「抱っこしたろ」っていわれたら、もの凄くワクワクしますよ」
上岡龍太郎
「僕は若返りたくはないね。
今のままで十分です。
若返る薬あるんやったら安楽死の薬を一錠つくっといてくれたら」
鶴瓶
「なんかワケのわからんこといいますなあ」
パペポテレビで
「相撲をとったらどっちが勝つ」
という話になり、長居公園で「嵐の春場所」というイベントが行われることになった。
事前に制作されたポスターは、上半身タキシード、下半身裸の鶴瓶と上岡龍太郎が写り、
「見てるあんたも同罪じゃ」
と書かれてあった。
1990年3月25日、同日行われていた大相撲大阪場所より多い20000人を集め、5人がケガをするアクシデントを起こしながらも、上岡龍太郎は
「あほらしい」
と現れず、上岡龍太郎の弟子のテントが鶴瓶に5回負けた。
上岡龍太郎
「で、メガネかえたんわかってくれてる?」
鶴瓶
「わかるか!
マリファナ吸ってるんちゃうか?」
鶴瓶
「僕は八尾の生まれなんですけど今日久しぶりにあの辺へ帰ってて勇気が湧いてきましたね。」
上岡龍太郎
「どんな?
生きる勇気?」
鶴瓶
「生きる勇気が湧いてきたなあ。
ピーポーピーポーって救急車が走ってたんですけどライトバンがそれを抜かして行きましたよ」
鶴瓶
「ノック先生の息子と上岡さんのお子さんは顔ソックリですね」
上岡龍太郎
「だから不思議なんですよ。
ノックさんと僕とは全然違うでしょ?
で、うちのヤツとノックさんの奥さんも違うでしょ?」
鶴瓶
「ノック先生の奥さんはちょっと彫りの深い・・・」
上岡龍太郎
「彫り深いかな?」
鶴瓶
「ええっと、・・・美人ですよ」
上岡龍太郎
「みんなにわかるようにいってあげて。
誰かに似てるとか目がこうや口がああやっていわないと」
鶴瓶
「ええ・・・
誤解しないで欲しいんですが・・・
宣保愛子さんにちょっと似てるんですよ
(客に向って)お前ら、何笑てんねん!」
鶴瓶
「うちの師匠松鶴と俺の親父と嫁はんの親父3人とも67歳で死んでんねん」
上岡龍太郎
「じゃあ、君も67歳までの命やね」
鶴瓶
「あのねぇ」
鶴瓶
「和田アキ子さんは僕の初恋の人に似てるんです」
上岡龍太郎
「あっ、そう」
鶴瓶
「初恋の人が喜ぶかどうか知りませんけどね」
上岡龍太郎
「どういう意味?
和田アキ子に例えられると喜ばないんか」
鶴瓶
「ちょっと待って下さい」
上岡龍太郎
「初恋の人は喜ばないかも知れないけどって。」
鶴瓶
「ちょっと・・・。
もう1回オープニングからやり直したいわ。
アンタ、前に和田アキ子さんのことを牛やっていってましたよね?」
上岡龍太郎
「誰がいうた?
いうてへん
一言もいうてへん」
鶴瓶
「和田アキ子と牛、どっちが怖いか?って前にいってましたやん」
上岡龍太郎
「それは和田アキ子が牛だといってるわけちゃうでしょ」
鶴瓶
「・・・」
上岡龍太郎
「大きくわけたらどっちの部類に入るかっていう話や」
鶴瓶
「俺、和田さんに殴り殺されるわ!
どういうことですか?」
上岡龍太郎
「和田アキ子は、タイプでいえば小泉今日子と牛でわけるとしたらどっち?」
鶴瓶
「小泉今日子じゃないですか」
上岡龍太郎
「えっ?
じゃあ和田アキ子を牛とカバにわけたら?
どっちかにわけないかんとしたらどっちに近い?」
鶴瓶
「牛ですかね」
上岡龍太郎
「そしたら和田アキ子を牛とゴリラにわけたら?」
鶴瓶
「ゴリラです・・・」
上岡龍太郎
「そんなら和田アキ子はゴリラか?」
鶴瓶
「あのなあ!」
鶴瓶
「若返りの薬が2013年で出来るって手塚治虫さんがマンガの中で描いてたんやって。
2013年やと俺は61歳や。
61で若返りの薬を飲むんや」
上岡龍太郎
「いくつぐらいに若返りたい?
あんまり飲みすぎて精子になっても困るわな」
鶴瓶
「いくつぐらいになりたいですか?」
上岡龍太郎
「あの、記憶とか体験、知識はそのまま、体だけ若返るってことですか?」
鶴瓶
「上手いこといいまんな。
そうやねん!
この気持ちだけで体だけ若返ったらやらしい子供になりますよ。
3つくらいで近所のキレイなお姉さんに「抱っこしたろ」っていわれたら、もの凄くワクワクしますよ」
上岡龍太郎
「僕は若返りたくはないね。
今のままで十分です。
若返る薬あるんやったら安楽死の薬を一錠つくっといてくれたら」
鶴瓶
「なんかワケのわからんこといいますなあ」
パペポテレビで
「相撲をとったらどっちが勝つ」
という話になり、長居公園で「嵐の春場所」というイベントが行われることになった。
事前に制作されたポスターは、上半身タキシード、下半身裸の鶴瓶と上岡龍太郎が写り、
「見てるあんたも同罪じゃ」
と書かれてあった。
1990年3月25日、同日行われていた大相撲大阪場所より多い20000人を集め、5人がケガをするアクシデントを起こしながらも、上岡龍太郎は
「あほらしい」
と現れず、上岡龍太郎の弟子のテントが鶴瓶に5回負けた。
舞の海クラス
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1991年、「世にも奇妙な物語」のロケが団地で行われ、鶴瓶と明石家さんまは2人で歩いていた。
鶴瓶は
「今、上方落語協会もピンチやから、さんまちょっと帰ってきてくれ」
と頼んだ。
「そんな兄さん・・」
明石家さんまも真面目に話していた。
だから
「さんまちゃーん」
とファンの声が聞こえても、真剣な話の途中だからと無視して鶴瓶との話を続けた。
しかし
「つるべさーん」
という声がすると鶴瓶は
「なんでっか?」
とすぐに明石家さんまに背中を向けた。
ファンに愛想を振りまくる先輩に明石家さんまは怒りを覚えた。
1992年、大竹しのぶと離婚後、明石家さんまが電話をかけると、自宅にいた鶴瓶は、玲子夫人に
「幸せか」
と聞き
「幸せ」
という答えを電話の向こうに聞かせた。