【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?
2023年1月3日 更新

【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手は3人。しかし、セ・パ全12球団から "敗北を喫した投手" はたった1人しかいません。それは、誰もが知るあの投手。所属した先々で、数々の伝説を残した大投手です。そんな大投手の "全球団初敗北" の軌跡を振り返ります。

2,556 view

全球団敗北を達成したのはあの大投手

セ・パ交流戦がなかった頃、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げるのは至難の業でした。交流戦があれば最低2球団に所属すれば達成可能ですが、交流戦がないと少なくともセ・パ各2球団(計4球団)に所属しなければなりません。全球団勝利を挙げた投手は3人(野村収、古賀正明、武田一浩)います。

一方、全球団勝利より難しかったのが全球団敗北達成した投手はたった1人しかいません。12球団になった1958年から交流戦が始まる前年の2004年までで、全球団敗北を達成したその投手とは、、、

江夏豊です。

江夏ほどの大投手であれば、全球団敗北の前に、全球団勝利を記録していそうなものですが、意外なことに、ある1球団から勝利できないまま現役を引退しています。

それでは、江夏の全12球団初敗北の記録を、時系列で見てみましょう。

1967年4月19日 大洋ホエールズ

江夏は1966年、ドラフト1位指名で、大阪学院大学高から阪神タイガースに入団。翌1967年、入団一年目から先発として起用されます。

初登板は、4月13日の大洋戦。2回裏から4イニングを投げ、無失点に抑えます。しかし、4月19日の同じく大洋戦では、初先発を果たしますが、スチュアートにホームランを打たれるなど初回に4点を献上。2回ノックアウトで、プロ初敗北を喫します。

因みに、4月29日広島戦では、プロ初勝利・初完投勝利を果たしています。

1967年6月7日 広島カープ

5月は絶好調で、中日、サンケイ、広島、大洋、巨人の順に、すべての敵チームから勝ち星を挙げます。しかも、5月28日大洋戦は、プロ初完封勝利5月が終わって6勝1敗と、新人らしからぬ大活躍を見せていました。

しかし、6月に入ると一転。いくら好投しても、勝ち星につながりません。6月7日広島戦では、7回3失点で先発としての責任を果たしますが、味方の援護がなく敗北。以後、6月はすべて黒星に終わります。

1967年6月26日 中日ドラゴンズ

6月26日中日戦は、4回3失点でノックアウト。味方打線も沈黙し、完封負けを喫します。6月はこれで3連敗。それでも、勝敗は6勝4敗、防御率は2.13で、依然として新人らしからぬ成績を残していました。
江夏豊と村山実

江夏豊と村山実

1967年7月23日 サンケイアトムズ

7月23日サンケイ戦は、同期で同学年の浅野啓司との投げ合いとなります。浅野も、江夏と同様に一年目から好調で、3勝1敗と活躍を見せていました。この試合では、阪神が1点を先制しますが、江夏が6回に捕まり計5失点。新人・浅野に4勝目を献上する、屈辱の結果に終わります。

1967年8月15日 読売ジャイアンツ

江夏はここまで、巨人戦では好投を続けており、8月2日には2勝目を挙げていました。8月15日巨人戦も、金田正一との投げ合いで、投手戦の好ゲームとなります。先制したのは阪神。7回を終わって1対0とリードします。しかし8回裏、ついに江夏が捕まり2失点。その後味方の援護はなく、好投にもかかわらず、無念の敗北を喫します。

登板数が多かったことから、一年目で全敵チームからの敗北(および勝利)を達成しました。この年、12勝13敗と負け越すも、225奪三振はリーグ最多を記録しています。

1967年は、黄金バッテリーの相方、田淵幸一はまだ入団しておらず、バッテリーを組むのは、田淵が法政大学からドラフト1位で入団する1969年からです。
田淵幸一と江夏豊

田淵幸一と江夏豊

1976年4月13日 阪急ブレーブス

長年チームのエースとして多大なる貢献をしてきた江夏ですが、入団10年目を迎える1976年、なんと阪神球団は江夏をトレードに出します。トレードの相手球団は、南海ホークス。当初、江夏は失意のどん底にありましたが、野村克也監督の話に感銘を受け、南海への移籍を承諾します。

移籍初年の江夏は、投球内容はさほど悪くなかったものの、味方の援護がない試合が多く、防御率は2.98ながら、6勝12敗9セーブと大きく負け越してしまいます。パ・リーグの敵チーム敗北も、この年にすべて記録しました。

4月9日の近鉄戦では、8回無失点初勝利と幸先の良いスタートを切りますが、4月13日阪急戦は、当時最強の阪急打線に捕まり、5回途中4失点で降板。パ・リーグ初敗北を喫しました。

1976年4月17日 近鉄バファローズ

ここから江夏は、なかなか勝てなくなります。4月17日近鉄戦。7回2失点(自責点1)の好投を見せますが、味方の援護がなく敗北。以後は、シーズン終了まで常に黒星が上回ります。

1976年4月29日 ロッテオリオンズ

33 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

剛速球と芸術的コントロール、王貞治との力と力の真っ向勝負、奪三振記録を王貞治からとるためにほかのバッターはわざと打たせる、3回しか投げられないオールスターゲームでの9連続三振、自らのサヨナラホームランでノーヒットノーラン、日本初のリリーフエース、江夏の21球、優勝請負人、大リーグ挑戦などなど記録と武勇伝のオンパレード
RAOH | 26,818 view
伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

オールスター9者連続三振や、江夏の21球など、数々の伝説を作ってきた男、江夏豊。プロ野球の5球団を渡り歩き、獲った三振の数は2987奪三振と三振の山を築きました。先発でも活躍し、抑えても大活躍の投手はなかなかいないでしょう。人間としても魅力的な江夏豊の今と昔を振り返ります。
takaboo | 48,786 view
【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!

【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!

「南海の三悪人」とは、門田博光、江本孟紀、江夏豊の三選手のこと。野村克也氏が、南海ホークスの選手兼任監督時代に "最も言うことを聞かなかった選手" として三人を総称した呼び名です。これは、彼らの実力を認めていたことの裏返しでもあり、親しみも込めた呼称だったのでしょう。"三悪人" の当時の様子を振り返ります。
izaiza347 | 436 view
【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

【間柴茂有】戦後初の勝率10割!日本ハム19年ぶりの優勝に貢献した投手!

投手のシーズン勝率10割といえば、記憶に新しいところでは、2013年の楽天・田中将大投手の24連勝を思い浮かべる人が多いかもしれません。実は、戦後に限ると、過去にもう一人いました。それが、1981年の日本ハム・間柴茂有投手。今回は、間柴投手の勝率10割と日本シリーズの成績を振り返ります。
izaiza347 | 319 view
【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選

【プロ野球】最多負け越し記録!チームの暗黒期を支えた名投手たち6選

今回注目するのは、投手の「最多負け越し記録」。この記録を作るには、チームの主力投手として登板数が多く、なおかつチームが低迷して敗北数も多い必要があります。実際に名を連ねるのは、タイトルを獲得するほどの名投手ばかり。今回は、1970年以後、年間11敗以上負け越している6投手を見てみます。
izaiza347 | 663 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト