【大型トレード】どっちがトクした!?江夏を獲得した南海?江本を獲得した阪神?
2023年1月8日 更新

【大型トレード】どっちがトクした!?江夏を獲得した南海?江本を獲得した阪神?

1975年のプロ野球オフシーズンには、二つの大型トレードが話題になりました。一つが、巨人(高橋一三、富田勝)と日本ハム(張本勲)のトレード、そしてもう一つが今回ご紹介する、阪神(江夏豊、望月充)と南海(江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野育夫)のトレードです。チームの大黒柱が動いた大型トレード。阪神と南海、果たしてどちらのチームがトクしたのでしょうか?

1,359 view

阪神と南海の大型トレード

1975年オフの阪神と南海の大型トレードは、阪神2名、南海4名の交換トレードでした。対象者は次の通りです。
阪神タイガース(2名) 南海ホークス(4名)
江夏豊(投手) 江本孟紀(投手)
望月充(外野手) 長谷川勉(投手)
池内豊(投手)
島野育夫(外野手)

阪神→南海(2名)

江夏豊

江夏豊は、球界を代表するエースで、捕手・田淵幸一とのコンビは、黄金バッテリーと呼ばれました。オールスター9連続三振、史上初の延長ノーヒットノーラン、現在もプロ野球記録のシーズン401奪三振、ONとの名勝負など、阪神時代だけでも数々の伝説を残しています。1975年オフ、吉田義男監督との確執や持病の悪化などあり、南海とのトレード話が浮上。最初は受け入れられなかったものの、野村克也監督との会談で感銘を受け、移籍を決断します。

南海での一年目は、6勝12敗と大きく負け越し。初めて二桁勝利を逃すなど散々な一年でしたが、防御率は2.98と好成績を残します。長いイニングを投げられなくなった二年目は、野村監督から「球界に革命を起こそう!」と説得され、リリーフに転向。その結果、初めて最優秀救援投手のタイトルを獲得しました。通算5度のタイトル獲得は、プロ野球タイ記録です。

その年のオフ、野村監督が解任されると、自らもトレードを志願。金銭トレードで広島に移籍しています。
黄金バッテリー(田淵幸一と江夏豊)

黄金バッテリー(田淵幸一と江夏豊)

望月充

望月充は、1971年ドラフト3位で阪神に入団。一年目の1972年は、オープン戦で早々に活躍し、開幕戦に3番左翼手スタメンで起用されます。初ヒットも開幕戦で記録し、初ホームランも4月に記録。その年のオールスターには、ファン投票で選出されます。しかし、これが最初で最後のオールスターでした。その後は成績が伸びず、1975年オフ、トレード要員として江夏とともに南海に移籍しました。

南海に移籍後は、故障などあり出場試合数が激減。打率も低下し、結局わずか2年の在籍で1977年に引退しています。

南海→阪神(4名)

江本孟紀

江本孟紀は、元々は東映の選手でしたが、在籍わずか一年で南海に移籍。江本の潜在能力を見出していた野村克也監督は、エース番号16番を用意して彼を迎えます。すると、江本は覚醒。前年0勝にも関わらず、移籍初年の1972年には、いきなり16勝を挙げます。その後は、毎年二桁勝利を記録し、1973年のリーグ優勝にも貢献。しかし1975年オフ、阪神・江夏とのトレード要員で移籍を余儀なくされます。

阪神に移籍後はさらに活躍。一年目の1976年は15勝を挙げ、チームの勝率6割超えに貢献します。1977年にはリーグ最多の3完封を記録。移籍前後ともに安定して勝ち続け、1972〜1979年8年連続で二桁勝利を記録しました。しかし、1981年、ベンチ裏での "あの発言" によりマスコミに騒がれ、責任を感じた江本は、まだ34歳にも関わらず現役を引退しています。
南海時代の江本孟紀

南海時代の江本孟紀

長谷川勉

長谷川勉は、1974年ドラフト1位で南海に入団。一年目から即戦力として起用され、開幕3試合目には初登板・初先発を果たします。しかし、この年は5試合に先発しますが、味方打線が打てない不運もあり、結局一勝も挙げられず0勝3敗。そして、すぐに阪神へのトレード要員となります。

阪神に移籍後は、一年目に初勝利を挙げると、1978〜1979年には先発・中継ぎとして活躍。勝敗こそ大きく負け越したものの、いずれも30試合以上登板し、チームを支えました。1980年に初セーブを挙げますが、その年に引退しています。

池内豊

池内豊は、1970年ドラフト4位で南海に入団。しかし、登板機会はほとんどなく、1971〜1973年に計7試合17イニング登板したのみ、1974〜1975年は一軍登板すらありませんでした。他球団への移籍を模索していた頃、阪神への移籍が決まります。

阪神に移籍後は、吉田義男監督が中継ぎ投手として抜擢。移籍一年目の1976年は21試合に登板し、初勝利も挙げ、チームの好成績に貢献します。オフには、投球フォームをスリークォーターに変更。1978年には先発としても14試合に登板し、規定投球回数もクリアして9勝6敗の好成績を残しています。1980年と1982年には、リーグ最多の登板数を記録するなど、貴重な中継ぎとして活躍しました。1984年オフに大洋に移籍したため、優勝は経験できずに現役を終えています。
阪神時代の池内豊

阪神時代の池内豊

25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【江本孟紀】ベンチがアホやから!本人出演のYouTubeで振り返る退団の真相

【江本孟紀】ベンチがアホやから!本人出演のYouTubeで振り返る退団の真相

「ベンチがアホやから野球がでけへん!」この暴言の責任を取って、阪神タイガースを電撃引退したと言われている江本孟紀。近年は、元プロ野球選手のYouTubeチャンネルに江本本人が出没し、その事件の詳細について語っています。当時は報道されなかった "江本本人の言葉から知る" 事の真相を振り返ります。
izaiza347 | 171 view
【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!

【南海ホークス】野村監督が名付けた「南海の三悪人」門田博光!江本孟紀!江夏豊!

「南海の三悪人」とは、門田博光、江本孟紀、江夏豊の三選手のこと。野村克也氏が、南海ホークスの選手兼任監督時代に "最も言うことを聞かなかった選手" として三人を総称した呼び名です。これは、彼らの実力を認めていたことの裏返しでもあり、親しみも込めた呼称だったのでしょう。"三悪人" の当時の様子を振り返ります。
izaiza347 | 444 view
【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

【全球団から敗北】交流戦以前に達成した投手はたった1人!その誰もが知る大投手とは!?

セ・パ交流戦が始まる以前、公式戦でセ・パ全12球団から勝利を挙げた投手は3人。しかし、セ・パ全12球団から "敗北を喫した投手" はたった1人しかいません。それは、誰もが知るあの投手。所属した先々で、数々の伝説を残した大投手です。そんな大投手の "全球団初敗北" の軌跡を振り返ります。
izaiza347 | 2,566 view
男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

剛速球と芸術的コントロール、王貞治との力と力の真っ向勝負、奪三振記録を王貞治からとるためにほかのバッターはわざと打たせる、3回しか投げられないオールスターゲームでの9連続三振、自らのサヨナラホームランでノーヒットノーラン、日本初のリリーフエース、江夏の21球、優勝請負人、大リーグ挑戦などなど記録と武勇伝のオンパレード
RAOH | 26,834 view
【大型トレード】どっちがトクした!?田淵を獲得した西武?真弓・若菜を獲得した阪神?

【大型トレード】どっちがトクした!?田淵を獲得した西武?真弓・若菜を獲得した阪神?

1978年のプロ野球オフシーズンには、"世紀のトレード" が話題になりました。阪神(田淵幸一、古沢憲司)と西武(真弓明信、竹之内雅史、若菜嘉晴、竹田和史)のトレードです。ミスタータイガースと西武の有力選手が動いた大型トレード。阪神と西武、果たしてどちらのチームがトクしたのでしょうか?
izaiza347 | 4,053 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト