美空ひばり、晩年は病魔との闘いでした。
美空ひばりの体調が悪化していったのは80年代半ばのこと。ゴルフのプレー中に腰をひねって以来、原因不明の腰痛に悩まされるようになり、この腰痛は徐々に悪化。1987年の全国ツアー巡業中に、ついに痛みに耐えきれない状態になってしまいます。
美空ひばり--夢ひとり 1985映画《女コロンボ危機一髪》
腰痛に悩まされるようになった1985年頃の美空ひばり。
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そして同年4月に福岡県の病院に緊急入院。重度の慢性肝炎、そして両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され、治療に専念せざるを得なくなります。しかし懸命な治療の結果3か月半で退院し、同年10月には新曲「みだれ髪」のレコーディングに参加。同レコードは12月に発売され、芸能活動への復帰を果たしました。
伝説の復帰ステージ、東京ドームでの「不死鳥コンサート」。
芸能活動への復帰を果たした美空ひばりですが、病気は完治したわけではありませんでした。上述の両方の病気について完治は難しいと診断されており、1988年4月に行われる予定の「東京ドーム復帰公演」の直前になっても、足腰の痛みは完治には程遠い状態でした。
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そんな中、1988年4月11日に伝説の復帰ステージ「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!!新しき空に向かって」が開催されます。このステージには森光子、中村メイコといった美空ひばりと交流のある芸能人が多数駆けつけており、復帰の様子を見守りました。一方の美空ひばりは、激痛に耐えながら計39曲を熱唱。普通であれば立つことすら難しい状況の中で、気力だけで歌いきったのです。
生涯最後のシングル「川の流れのように」
そんな美空ひばりの気力とは裏腹に、この東京ドームでの公演を境に病状は日に日に悪化していきます。段差を上ることすら困難な状況となり、舞台に上がるためにリフトを使わなければいけないほどに体調は悪化。仕事の合間に極秘で入院するほどでした。
そんな中、レコーディングされたのが「川の流れのように」です。この楽曲は秋元康の企画によるオリジナルアルバム「不死鳥パートII」の表題曲であり、生前最後のシングル曲となりました。当初、「川の流れのように」はシングルカットされる予定はなかったものの、美空ひばり当人がシングル化を希望し、実現したという経緯があります。そして、シングルの発売日は1989年1月11日と決まりました。
元号は昭和から平成へ。
「川の流れのように」が発売される直前の1989年1月8日、元号が昭和から平成へと変わりました。その当日、美空ひばりは「平成の我 新海に流れつき 命の歌よ 穏やかに…」という短歌を詠んでいます。その思いとは裏腹に、彼女の病魔は肺をも蝕んでいました。そして1月15日には「ミュージックフェア」で「美空ひばり特集」が組まれたのですが、この放送が彼女の生前最後のテレビ出演となりました。
さよならの向うに(Live ver. in 1989)/美空ひばり
こちらは1989年のコンサートでの貴重な歌声。
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そして1989年2月7日、九州厚生年金会館で行われた公演が美空ひばりの生涯最後のステージとなりました。ヘリコプターを使用しての往復移動や、楽屋には酸素吸入器と共に医師が控えるなど物々しい雰囲気の中でのステージで、1000人を超える聴衆の中全20曲を無事に歌い終えたのです。
最期まで歌手であり続けた美空ひばり、52歳で死去。
病気を押してのステージの影響か、美空ひばりは1989年3月21日に順天堂大学医学部附属順天堂医院へ再入院を余儀なくされ、そして3月23日に「療養専念による全国ツアーの中止、さらに歌手業を含めた芸能活動の年内休止」が息子である和也から発表されました。
川の流れのように(Live ver. in 1989)/美空ひばり
貴重な1989年のコンサートにおける「川の流れのように」。
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