「ゲームボーイ版」テトリス発売の裏で起きていたライセンス問題。日本初のRPGザ・ブラックオニキス開発者が単身ソ連に乗り込み解決のきっかけを作った。
2018年6月14日 更新

「ゲームボーイ版」テトリス発売の裏で起きていたライセンス問題。日本初のRPGザ・ブラックオニキス開発者が単身ソ連に乗り込み解決のきっかけを作った。

1989年6月14日に任天堂から発売された「ゲームボーイ(GB)版テトリス」。書籍『テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム』(白揚社)には、日本初のRPGザ・ブラックオニキス開発者ヘンク・ロジャースが、ゲームボーイ版発売に尽力した様子がスリリングに描かれています。

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【ゲームボーイ版テトリス発売を助けたザ・ブラックオニキス開発者。その知られざるドラマがアツい!】

6月14日は、ゲームボーイ(GB)版テトリスの発売日です。もちろん、2018年の話ではなく、29年前の1989年6月14日のこと。GB版テトリスは、国内出荷本数424万本、世界ではおよそ3500万本が売れた、だれもが認めるメガヒット作。そんなテトリスが世界中に広まるまでには、冷戦に翻弄された男たちの物語とスパイ小説を地で行く冒険譚がありました。

【テトリスから漂うソ連のかおり】

 (2020283)

GB版のパッケージに描かれていた建物は、モスクワにある聖ワシリイ大聖堂。そして疑似3Dのブロックは赤。そこからうっすら伝わってくるように、ぼくらが熱中したテトリスは旧ソビエト連邦からやってきました。

1984年にロシア科学アカデミーに所属するコンピューター科学者、アレクセイ・パジトノフが時代遅れのマシンを使ってつくったのが、テトリスです。スマホもインターネットもない時代。それでもテトリスは、プレイした人を虜にしてしまう強力な中毒性のために、フロッピーディスクを介して人から人へ、今でいう「クチコミ」で広まり、じわじわとモスクワ中のコンピューターを席巻していきます。

当時は、冷戦末期とはいえまだ東西対立構造が根づよく残る時代。人とモノの行き来を厳しく制限する「鉄のカーテン」のために、テトリスはなかなか国外に出ていけませんでした。ところが、1枚のフロッピーディスクがハンガリーへと抜け出し、事態は急変します。

ハンガリー製のソフトウェアを安く買いつけ、イギリスで販売していたビジネスマン、ロバート・スタインがハンガリーでテトリスを偶然、発見します。その後、スタインはテトリスのライセンス(発売権)を英米企業へと売り渡し、1987年にはPC版がイギリスとアメリカで発売され、大ヒットを記録。アーケード、家庭用ゲーム機でも展開が始まり、ついに任天堂の目に留まることに。そして任天堂は、当時まだ開発中だったゲームボーイのソフトとして発売しようと画策するのですが……。

ソ連の官僚たちが知的財産やライセンスの概念を理解していないのをいいことに、英米企業が野放図なライセンスの転売を繰り返していた実態が明るみに出て、日米英の大手エンターテインメント企業を巻き込む大騒動へと発展することになります。

【GB版テトリス発売の裏で実際にあった小説真っ青のドラマ】

誕生からGB版発売までの約5年間に、1本のビデオゲームをめぐって世界を舞台に繰り広げられた大騒動の内幕が、『テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム』という本にくわしく描かれています。本書は事実をもとにしたノンフィクションですが、ぐいぐい引き込まれるドラマチックな展開はミステリー小説さながら。テトリスだけでなく80年代のビデオゲーム業界の熱気がこれでもかと伝わってくるところは、ミドルエッジの読者のストライクゾーン間違いなし。GB版テトリスの発売日である今日、ぜひおすすめしたい本です。

【ザ・ブラックオニキスのプログラマーが陰の立役者】

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テトリスの開発秘話や、ソ連の政府組織との手に汗握る交渉、日米英のソフトウェア会社による熾烈なライセンス争奪戦については、本に譲るとして、ここではミドルエッジ世代に特に伝えたい、ザ・ブラックオニキスとテトリスの間の意外なつながりにフォーカスしたいと思います。

ザ・ブラックオニキスとは、1984年に発売された日本初のファンタジーRPG。パソコンゲームだったため、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーほど有名ではありませんが、RPGなどほとんどの日本人が知らなかった時代に、たった1人のプログラマーが独力で作り上げ、大ヒットさせた奇跡のゲームです。ドラクエやファイナルファンタジーもこのゲームを手本にしていたと思われます。ミドルエッジの読者には、このゲームのファンだった人も多いはず。

ザ・ブラックオニキスをつくったのは、当時日本で小さな(実質1人でやっていた)ゲーム会社を営んでいたアメリカ人、ヘンク・ロジャース。上の写真中央、アルファベットが並んでいる箇所の2行目に「BULLET-PROOF SOFTWARE」(バレット・プルーフ・ソフトウェア[BPS])とあります。これがロジャースのつくったゲーム会社です。GB版テトリスに夢中になった人でも、当時この部分にまったく注目していなかったのではないでしょうか? でも、あれから30年近くたったいま注目したいのは、この若干長めのクレジットラインの裏にあったドラマ。Nintendoよりも前にBULLET-PROOF SOFTWAREの名前があるのには、本が1冊書けるほどの深いわけがあったのです。

【ロジャースの体当たり精神】

ヘンク・ロジャース(2010年)

ヘンク・ロジャース(2010年)

※By Al Pavangkanan [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
ロジャースがなぜ日本でゲーム会社を経営していたかというと、ハワイ大学在学中につきあっていた日本女性を追いかけて、大学を中退し日本にやってきたから。この身の軽さがのちに彼の身を助け、GB版テトリスを発売へと導き、さらにはテトリスとその作者を複雑怪奇なライセンスの迷宮から救い出します。

来日した当初は、日本で宝石商を営んでいた継父の事業を手伝いますが、継父とはそりが合わず、家を飛び出して、もともと興味のあったコンピューター関係の事業を始めることを決心します。家業を捨てたロジャースは、市場調査と称し、秋葉原をぶらついていたときにビデオゲームと出会い、そして、大学在学中に夢中になって遊んだテーブルトークRPGの「ダンジョンズ&ドラゴンズ」とビデオゲームを融合させて、ファンタジーRPGをつくることを思いついたのです。そのアイデアがみごと結実するのは、先に述べたとおり。(ちなみにザ・ブラックオニキスの名は、継父の宝石商を手伝っていたころの経験に由来すると言われています)

その後、彼は、当時一世を風靡していたファミコンへ進出するため、任天堂の社長山内溥(ひろし)が囲碁好きだと知ると、すぐに山内宛にFAXを送り、ファミコン用囲碁ゲームを開発することを提案。なんとそのまま任天堂社長との面談にまでこぎつけ、開発費として3000万円の融資を取り付けるのでした。

【単身ソ連へ】

ザ・ブラックオニキスの成功に意気揚々としたのも束の間、続編の制作が難航を極めたことをきっかけに、ロジャースは一からゲームを開発する事業から、海外のゲームのライセンスを取得し、日本版として発売するビジネスへとシフトしていきます。

そして、1988年のラスベガスで開催されたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)でテトリスと衝撃の出会いを果たし、そのライセンス取得を模索し始めます。すると、当時いろいろな地域で発売されていたさまざまなバージョンのテトリスのライセンスが、ハンガリーで偶然テトリスを発見した、あのロバート・スタインを経由していることが判明します。

この間、ロジャースは任天堂にもアプローチをしています。当時まだ開発中だったゲームボーイのキラーソフトとしてテトリスを発売するように提案していたのです。ロジャースは部外者ながら、その非凡なキャラクターのおかげで、日米2つの任天堂のトップと親しく、このときも彼の提案が任天堂を動かします。ただちに任天堂は、テトリスのライセンス状況について調査を始めるのですが、最大手ゲーム会社の弁護士団をもってしても、調査は暗礁に乗り上げます。そこで、GB版テトリスのライセンス取得は、ヘンク・ロジャースに託されることになります。

ロジャースは、当然、ロバート・スタインに連絡をとります。しかし、任天堂が高額の前払い金を提示したにもかかわらず、スタインはその提案を留保したいと返してきたのです。その反応を不審に思ったロジャースは、単身ソ連へと乗り込むことに。

【鉄のカーテンの向こう】

アレクセイ・パジトノフ(2008年)

アレクセイ・パジトノフ(2008年)

※By Jordi Sabaté [CC BY 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)], via Wikimedia Commons
冷戦終結間際の1989年2月21日、GB版テトリス発売のたった4か月前、ヘンク・ロジャースはモスクワに降り立ちます。どこにだれを訪ねていけばいいのか、何の情報も持たないまま……。モスクワと言えばソビエト帝国の心臓部。街のあちこちにスパイが潜み、ホテルの部屋が盗聴されていてもまったくおかしくない状況。いまで言えば、何のつても、何の後ろ盾もないまま、平壌に単身乗り込むようなものです。

目的地はGB版テトリスのパッケージ裏のクレジットライン1行目に名前があるソ連の秘密組織ELORG。テトリスは科学者が仕事の合間に作ったゲームとはいえ、ソ連は共産主義体制。テトリスの権利は政府組織によって管理されていました。外国人にとって、ELORGの場所を見つけ出すというのはほぼ不可能に近いミッション。しかしロジャースは、モスクワの街で動きがとれなくなりながらも、スパイ小説の主人公のように勇気と機転をもって見事、ELORGの建物へとたどり着きます。

そこでロジャースを待っていたのは、仏頂面したソ連の官僚たちとテトリスの生みの親アレクセイ・パジトノフでした。ロジャースとパジトノフは同じプログラマーということから、意気投合し、その日の夜にはパジトノフのアパートでウォッカを酌み交わすほどの仲に。

官僚たちやパジトノフと話をするなかでわかってきたのは、テトリスがどんなに売れてもパジトノフには一銭も入らないこと、そして、ELORGはPC版しか認めておらず、アーケード版や家庭用ゲーム機版などの存在を一切知らず、ロバート・スタインかその後ろにいる西側企業のだれかが勝手にテトリスのライセンスを切り売りしていたという事実でした。

【絡まったライセンスを解きほぐせ】

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