筆者の拙文「貴方も知っているはず!作詞家・放送作家の保富康午」でちょっと触れた「アニメ・ソング・大全集」ですが、初期のころは作詞家・作曲家の紹介が載っていました。その中で「橋本淳」さんの本名が「与田準介」と知り…調べると「与田準一」さんの息子さんということがわかったのでびっくりです。
「与田準一」さんは、詩人・児童文学者で童謡「ことりのうた」の詩を書かれた、といえばおわかりになるでしょうか。
「与田準一」さんは、詩人・児童文学者で童謡「ことりのうた」の詩を書かれた、といえばおわかりになるでしょうか。
童謡「ことりのうた」歌・山野さと子 - YouTube
作詞・与田準一 作曲・芥川也寸志
via www.youtube.com
「メイプルタウン物語」や「ドラえもん」の主題歌を歌っている山野さと子さんの動画で聴いていただきました!
このさと子さんが語るエピソードの中に「息子さんがおやつがほしい~といってるのを…」というところ、この「息子さん」が橋本淳先生なのかな?なんて想像しちゃいました♪
このさと子さんが語るエピソードの中に「息子さんがおやつがほしい~といってるのを…」というところ、この「息子さん」が橋本淳先生なのかな?なんて想像しちゃいました♪
橋本淳とは?
橋本 淳(はしもと じゅん、1939年7月8日 - )は、日本の作詞家である。本名は与田 凖介(よだ じゅんすけ)、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年[3])は実父である。すでに2,000曲を超える楽曲を発表し、『ブルー・シャトウ』、『ブルー・ライト・ヨコハマ』、『亜麻色の髪の乙女』のほかグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、オリコンチャート解析において「GS関連で最も売れた作詞家」としても知られる。日本音楽著作権協会全信託作家]。
小説家になるべく、10代のころから、父によって一流作家のもとに預けられていたという]。
筒美京平とは、青山学院高等部時代からの先輩後輩の間柄で、青山学院大学時代には、同じジャズバンドで筒美はピアノ、橋本はウッドベースを弾いていた。同学在学中から作詞を独学で学び、当時フジテレビジョン社員で作曲家のすぎやまこういちに見いだされる。(wikipediaより)
小説家になるべく、10代のころから、父によって一流作家のもとに預けられていたという]。
筒美京平とは、青山学院高等部時代からの先輩後輩の間柄で、青山学院大学時代には、同じジャズバンドで筒美はピアノ、橋本はウッドベースを弾いていた。同学在学中から作詞を独学で学び、当時フジテレビジョン社員で作曲家のすぎやまこういちに見いだされる。(wikipediaより)
このサイトでの拙文「作曲家・筒美京平の作品で一番のお気に入りは?」でも筒美京平さんを取り上げましたが、橋本先生は筒美先生とすぎやま先生とのコンビが本当に多いんです。
そしてやはり筆者が個人的に橋本先生の作品で一番好きなのは「真夏の出来事」です。
この動画はジャケットはリリース当時のものですが音源は後にソニーから出たセルフカバーです。
そしてやはり筆者が個人的に橋本先生の作品で一番好きなのは「真夏の出来事」です。
この動画はジャケットはリリース当時のものですが音源は後にソニーから出たセルフカバーです。
平山三紀「真夏の出来事」 - Dailymotion動画
作詞・橋本淳 作曲・筒美京平
「真夏の出来事」(まなつのできごと)は、平山三紀通算2枚目のシングル。1971年5月25日発売。発売元は日本コロムビア。
「真夏の出来事」(まなつのできごと)は、平山三紀通算2枚目のシングル。1971年5月25日発売。発売元は日本コロムビア。
平山みきさんにはこの「橋本・筒美」コンビでたくさん曲を提供しています。
名曲はたくさんあるんですが、「ビューティフル・ヨコハマ」なんか聞くとなんというか…
今から45年前の曲なんですが、歌詞を聴いてると今の若者となんら変わらない青春の1ページがそこにありますよね。
この歌の中に歌われてる若者も今では還暦をすぎている年代なんです。
身の回りにいる60代の方々もこんな若いときがあったんだなあ…って思います。
名曲はたくさんあるんですが、「ビューティフル・ヨコハマ」なんか聞くとなんというか…
今から45年前の曲なんですが、歌詞を聴いてると今の若者となんら変わらない青春の1ページがそこにありますよね。
この歌の中に歌われてる若者も今では還暦をすぎている年代なんです。
身の回りにいる60代の方々もこんな若いときがあったんだなあ…って思います。
ビューティフル・ ヨコハマ / 平山みき - YouTube
「ビューティフル・ヨコハマ」は、1970年11月10日に発売された平山三紀のデビューシングル。
デビュー前の平山は、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡される。筒美は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていたが、話し合った結果、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識し作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定。『さよならのブルース』はB面曲として発売される。
二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美の息子の名前である。(wikipediaより)
デビュー前の平山は、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡される。筒美は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていたが、話し合った結果、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識し作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定。『さよならのブルース』はB面曲として発売される。
二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美の息子の名前である。(wikipediaより)
via www.youtube.com
そしてこの記事を書くにあたって知ったことですが、「踊り上手なハルオにゼンタ」が両先生の息子さんのお名前だとは!じゃあ「トモコの彼」の「トモコ」って…そしてその「彼」って…(笑)
さらにwikipediaによると「ビューティフル・ヨコハマ」は「ブルー・ライト・ヨコハマ」の続編的路線とは…
こちらも「橋本・筒美」コンビですよね。
それでは「ブルー・ライト・ヨコハマ」もお聴きください。
さらにwikipediaによると「ビューティフル・ヨコハマ」は「ブルー・ライト・ヨコハマ」の続編的路線とは…
こちらも「橋本・筒美」コンビですよね。
それでは「ブルー・ライト・ヨコハマ」もお聴きください。
いしだあゆみ ブルー・ライト・ヨコハマ 1969 - YouTube
作詞:橋本淳、作曲:筒美京平
第11回日本レコード大賞・作曲賞受賞、第20回NHK紅白歌合戦初出場曲 横浜市が開港150周年を記念して「ご当地ソング」のアンケートを取ったところ、2位を大きく引き離し1位になった 京急の横浜駅で接近メロディーとして使用されている(wikipediaより)
これはレコード大賞のときの映像ですね。
第11回日本レコード大賞・作曲賞受賞、第20回NHK紅白歌合戦初出場曲 横浜市が開港150周年を記念して「ご当地ソング」のアンケートを取ったところ、2位を大きく引き離し1位になった 京急の横浜駅で接近メロディーとして使用されている(wikipediaより)
これはレコード大賞のときの映像ですね。
via www.youtube.com
橋本淳といえば「ザ・タイガース」!
一方、橋本先生はすぎやまこういち先生とのコンビでグループサウンズのザ・タイガースにも楽曲を沢山提供しています。
このミドルエッジの読者の皆様にはタイガースの説明は不要でしょう。
全部ご紹介したいところですが、筆者のお気に入りを2曲。
このミドルエッジの読者の皆様にはタイガースの説明は不要でしょう。
全部ご紹介したいところですが、筆者のお気に入りを2曲。
僕のマリー・・ザ・タイガース - Dailymotion動画
「僕のマリー」(ぼくのマリー)は、ザ・タイガースの楽曲で、デビューシングル。1967年2月5日発売。
作詞:橋本淳 作曲・編曲:すぎやまこういち(wikipediaより)
タイガースのデビュー曲ですが、このころからすぎやま先生が活躍されていることもまた歴史を感じますね。
作詞:橋本淳 作曲・編曲:すぎやまこういち(wikipediaより)
タイガースのデビュー曲ですが、このころからすぎやま先生が活躍されていることもまた歴史を感じますね。
モナリザの微笑・・ザ・タイガース - Dailymotion動画
「モナリザの微笑」(モナリザのほほえみ)は、ザ・タイガースの楽曲で、3枚目のシングル。1967年8月20日に発売。前作に続いて橋本淳が作詞、すぎやまこういちが作曲を担当。(wikipediaより)
歌い継がれる「亜麻色の髪の乙女」
近年、島谷ひとみ版でカバーされましたが1968年にリリースされたヴィレッジ・シンガーズ版をお聴きください。
ヴィレッジ・シンガーズ/亜麻色の髪の乙女 - Dailymotion動画
「亜麻色の髪の乙女」(あまいろのかみのおとめ)は、ヴィレッジ・シンガーズの歌、また1968年2月25日に発売された5枚目のシングルである。
原曲は1966年に青山ミチが「風吹く丘で」という題名で初録音した曲であるが、お蔵入りとなった。(wikipediaより)
原曲は1966年に青山ミチが「風吹く丘で」という題名で初録音した曲であるが、お蔵入りとなった。(wikipediaより)
「ビューティフル・ヨコハマ」の都会的な女性の歌、「亜麻色の髪の乙女」の清純な少女の歌…橋本先生はまさしく「詩人」と言ってもいいのではないでしょうか。