最初はグダグダだった…オールブラックス「ハカ」の歴史
2017年10月30日 更新

最初はグダグダだった…オールブラックス「ハカ」の歴史

ニュージーランドの先住民族・マオリの舞であり、同国ラグビーナショナルチームが披露することで知られるハカ。今でこそ、国際大会の場で洗練されたパフォーマンスを披露していますが、黎明期から数十年間は、ずっとグダグダな踊りをしていたことはあまり知られていません。

4,339 view

ラグビーファンを魅了してやまないオールブラックスのハカ

ニュージーランドの先住民族・マオリ族が、戦いの前に踊っていた民族舞踊“ハカ”。現在では同国のラグビーナショナルチーム「オールブラックス」が試合前に行う舞として知られており、黒ずくめの大男たちが一糸乱れぬ統率のもと、力強く大声をあげながら踊るその光景は、迫力満点です。

さて、今でこそ、スポーツニュースでオールブラックスの試合におけるハイライトシーンに必ず挿入され、「これを見るだけでも入場料を払う価値がある」とまで評されるハカですが、やり始めた当初は、まったく洗練されていなかったといいます。
オールブラックス 対フランス戦のハカ(2006年)

オールブラックス 対フランス戦のハカ(2006年)

1905年から始まった

ラグビーでハカが初披露されたのは、1888年のこと。ニュージーランドのマオリ族で構成されたチームにより国際大会で行われたのが最初だと言われています。

ちなみに、ハカには2つのバリエーションが存在し、この時に実施されていた「カ・マテ」は、今もなお踊りつがれている有名な舞。Ka mate, ka mate! ka ora! ka ora!(カマテ カマテ カオラ カオラ)という掛け声で始まるこのマオリ語の歌を簡単に訳すと…
私は死ぬかもしれないし、生きるかもしれない!見よ!この勇気ある者を!ここにいる毛深い男が!再び太陽を輝かせる!一歩梯子を上へ!そして最後の一歩!太陽の光の中へ昇れ!
ざっくりとこんな感じだそうです。なんとも勇ましい歌ではありませんか。
マオリ族のハカ

マオリ族のハカ

ニュージーランド政府観光局公式サイト より

グズグズだった黎明期のハカ

オールブラックスの試合に取り入れられ始めたのは、今から100年以上前となる、1905年のこと。イギリス遠征の際に同チームが行って以降、脈々と現在に至るまで受け継がれていくこととなります。しかし、昔はチームの中でちゃんとやる人とやらない人の温度差があったようです。

現に、この1922年・1925年版ハカを見れば分かる通り、振り付けはバラバラだし、ダイナミックさも皆無。チラチラと横の人の動きを見て踊りを真似するという、練習していない人特有の仕草も何人かに見受けられます。およそ、人前でやるクオリティには到達していません。

1922年・1925年版ハカ

まったく改善されていない、1967年版と1973年版

オールブラックスの一員としてハカを踊ることは、女王陛下から勲章を賜る以上の栄誉…。

現在ではそんなふうに言われているからこそ、試合前にしっかりと練習時間を取り、本番でも気合十分の踊りを披露しているオールブラックスの面々ですが、今から40~50年前まではまだその「権威化」が確立されていなかったようで、まだ、グダグダのままです。しかし、低クオリティでも披露した際の観客からの歓声はすさまじく、当時から人気が高かったことをうかがい知ることができます。

1967年版ハカ

1973年版ハカ

80年代には、現在のカタチに近くなる

1987年、ラグビー界にとって、一つのエポックメイキングな出来事が起こります。ラグビーワールドカップの初開催です。当時から強豪として名を馳せていたオールブラックス擁するニュージーランドとワラビーズ擁するオーストラリアの共催によってスタートした同大会が現在に至るまで、ラグビーの人気獲得に大きく寄与しているのはご存じの通りです。

ワールドカップで世界中が注目する中、無様な舞は披露できないと考えたのでしょうか。80年代以降、ハカの質は一気に向上。同大会でもパワフルなパフォーマンスで観衆を大いに沸かせています。

1987年ワールドカップでのハカ

90年代ではカッコいいハカが完成!日本ではテレビCMにもなる

90年代に入るともう、今とそん色ない洗練されたハカが披露されています。激しいアクションと険しい表情、競技場に響き渡るような怒号は、私たちがよく知るハカそのものです。

1993年版ハカ

25 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

2002年度の全国大学選手権で、13年ぶりに優勝した早稲田大学ラグビー部は、新スローガン「RAISE UP(レイズアップ)」を掲げ、オールブラックス(ニュージーランド学生代表)に勝った。 しかしシーズン途中、イラク日本人外交官射殺事件が起こり、よき先輩であり、最強のスローガン「ULTIMATE CRASH」の生みの親でもある奥克彦が殉職され、「やはり俺たちには、アルティメットクラッシュしかない」と気づく。 そして社会人チームに勝利するという16年ぶりの快挙を成し遂げた。
RAOH | 833 view
大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

「どんな人でも夢を持たない人間はいない。 夢は人間を前進させ、幸福にする。 唯、夢がその人を幸福にするかしないかは、その人の夢の実現に対する永続的な努力と情熱にかかっている。」
RAOH | 8,640 view
【ラグビー】記憶に残る伝説のトライ5選【2019ラグビーワールドカップ開催に向けて】

【ラグビー】記憶に残る伝説のトライ5選【2019ラグビーワールドカップ開催に向けて】

2019年に日本でワールドカップが開催されるラグビー。スポーツとしての人気は、以前のようなものではありません。80年~90年代にかけては、大学ラグビーのブームもあり国立競技場が満員になっていた時代。その熱い時代を思い起こし、さらなるラグビーブームを起こすべく伝説のトライを5つ選んでみました。五郎丸にも負けない、往年の名選手たちを振り返ってみましょう。
【ゾーンプレス】周りに翻弄された悲劇の日本代表監督「加茂周」監督の功績

【ゾーンプレス】周りに翻弄された悲劇の日本代表監督「加茂周」監督の功績

日本人初のプロ契約監督として日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)の監督に就任し、日産を強豪チームにまで押し上げた手腕。「ゾーンプレス」を用いて、横浜フリューゲルスで天皇杯を制覇。満を持しての日本代表監督就任から悲劇が始まった。名将「加茂周」の足跡をたどる。
ラグビー選手から第2の人生をタレントに転向した有名人!!

ラグビー選手から第2の人生をタレントに転向した有名人!!

主に2000年までにラグビーなどで活躍した選手などをまとめてみました。またタレントといってもの解説者やキャスター・コメンテーターなども含みます。
ギャング | 1,863 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト