古賀稔彦 必殺の背負い投げ、絶対に勝つという決意、そして挑戦者として自分と相手に挑み攻め続けた
2016年11月25日 更新

古賀稔彦 必殺の背負い投げ、絶対に勝つという決意、そして挑戦者として自分と相手に挑み攻め続けた

小が大を制することができるのが柔道。しかしそこには小さな人間が大きな人間に挑んでいく勇気が求められる。古賀稔彦は「絶対に勝つ」と決意しつつも、安全な試合をするのではなく、挑戦者として相手に、そして自分に挑み攻め続けた。

9,230 view
https://www.youtube.com/watch?v=hnHhx4oEi30 (1672546)

バルセロナから帰国後、至福の時を過ごした
祝福と称賛の声
全国から届くファンレター
目標を達成した充実感
ケガで練習はできない
休養中は
好きな時に起きてブラブラと時を過ごした
減量に気を遣う必要もないので
毎日食べたいものを食べ飲みたいものを飲んだ
楽で贅沢な日々だった
しかしそんな生活が半年も続いた頃、違和感を感じ始めた
なにか楽しくない
なにか物足りない
なにか違う
目標を持った自分
緊張感を持った自分
一生懸命な自分
いつもなにか考えていた自分がいなかった
生きるためには夢が必要だった
夢とは柔道だった
幼いころから柔道が夢であり目標だった
夢や目標に向かって身体を動かしエネルギーを発散しているとき人は充実感を得ることができる
「もう1度、柔道をやろう」
バルセロナから1年後、古賀稔彦は選手生活に復帰した
久しぶりの畳は新鮮だったが
すぐに息が上がり疲れてしまう
自分を体力に愕然とした
しかし試合への復帰を目指して過酷な練習を課していった
復帰戦はバルセロナから2年5か月後の12月の講道館杯だった
古賀はこのタイトルを5連覇したがバルセロナ以降、遠ざかっていた
また以前は-71kg級だったが、復帰後は-78㎏級に出場した
結果は準決勝敗退
「古賀は落ちた」
「古賀はもう終わった」
といわれた
via https://www.youtube.com/watch?v=hnHhx4oEi30

復帰戦は準決勝で堀越英範に敗れる

新風

 (1672539)

復帰戦を敗退しても
「もう1度夢や目標をもってやっていこう」
という決意は変わらなかった
ただトレーニング法を変えた
「前の自分に戻らないと」
と頑なに同じトレーニングを繰り返していたが
「いまできないことはできないと認めよう
そこを出発点としよう
新しい自分をつくっていこう」
と考え方を切り替えた
プロ野球の2軍の球場でノックを受け
フリーバッティングでは腰のキレとバランスを養うために左右のバッターボックスに入った
またテニスやエアロビクスもやった
1995年4月、
世界選手権の最終予選となる全日本体重別選手権の-78kgで優勝
同年、9月
千葉幕張で開かれた世界選手権でALL1本勝ちで優勝した

悔し涙のアトランタオリンピック

 (1672543)

世界選手権で全試合1本勝ちし復活を果たした古賀稔彦は
翌年に行われるアトランタオリンピックでの2大会連続金メダルが期待された
果たして決勝まで順調に勝ち進んだ
決勝の相手はブーラ選手(フランス)
1年前の勝った選手だった
ブーラ選手が攻めないために審判は反則ポイントを与えた
それでもブーラ選手は攻めず反則ポイントを重ねた
あと1回反則すれば「反則負け」になってしまう
思いもかけず優勢となった古賀は思った
「楽勝だな」
一方、ブーラ選手は後がなくなり
今までが嘘のように攻め始めた
緊張の糸を切ってしまった古賀は守勢に立ってしまい
今度は自分が反則ポイントを与えられていった
そして試合は終わり
判定で負けた
古賀は泣いた
試合に負けたことではなくし
甘い考えに陥ってしまい
気が緩み緊張感を切らしてしまった自分が悔しかった

挑戦する意志を持ち続け2年5か月ぶりの復帰戦

 (1672534)

「挑戦する意志を持ち続ける限り人は挑戦者であり続けることができる」
古賀稔彦はそういって
アトランタ後も
試合を目標に練習を重ねた
アトランタに残した弱い自分に勝ちたかった
もう1度オリンピックを目指し
その過程で弱い自分に負けたことを克服して行こうと思った
そして1998年、
2年5か月ぶりに講道館杯-81kg級に出場し3位となった
そして翌年も3位だった
情熱が衰えることはなかった
シドニーオリンピックが目標だった

アトランタ後、2年5か月ぶりの復帰戦、1998年の講道館杯

シドニーオリンピックへの挑戦

 (1672548)

1999年12月、
古賀稔彦は
シドニーオリンピック代表第1次選考会で3位に入り代表候補に残った
そして2000年4月、
最終選考会である全日本柔道体重別選手権に出場したが
シドニーへの切符をつかむことはできなかった

三四郎の雪辱

指導者に

現役を引退し指導者となり
人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾

また岡山県岡山市にある環太平洋大学柔道部の総監督となる
57 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

 バリ強! 田村(谷)亮子

バリ強! 田村(谷)亮子

柔道を始めて4ヵ月で男子相手に5人抜き(5連勝) うち2人は病院送り。中3で世界選手権4度優勝のカレン・ブリッグスを28秒で1本勝ち。国際大会初出場初優勝を果たす。
RAOH | 1,485 view
吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家

吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家

柔道では全日本体重別、世界選手権、オリンピックを制覇。全日本無差別でも2位。総合格闘技ではホイス・グレイシー、ドン・フライ、佐竹雅昭、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、マーク・ハント、石井慧、菊田早苗、ジョシュ・バーネット、田村潔司、中村和裕らと対戦。そして43歳で柔道の現役に復帰!!!
RAOH | 33,622 view
【柔道】階級差を超えた伝説の戦い。古賀稔彦vs小川直也、吉田秀彦vs小川直也

【柔道】階級差を超えた伝説の戦い。古賀稔彦vs小川直也、吉田秀彦vs小川直也

古賀稔彦と吉田秀彦。二人のオリンピック金メダリストが重量級の世界チャンピオン小川直也と対戦した1990年・1994年全日本柔道選手権大会での活躍を振り返る。 世界を取った柔道家三人の関係値・因縁についても紹介。
きちんとチキン | 46,393 view
石井慧  運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧 運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧の幼少児から国士舘大学に入るまで。地球上で60億分の1の存在になる、人類で1番強い男になるための序章。
RAOH | 688 view
懐かしのスター選手を振り返ろう!日本での競泳の歴史

懐かしのスター選手を振り返ろう!日本での競泳の歴史

オリンピックの競技の中でもメダルが期待されることの多い種目、競泳。日本での競泳の歴史と歴代のスターを振り返ってみました。
saiko | 368 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト