日本での競泳の歴史
オリンピックでの競泳平泳ぎ2大会連覇は、鶴田義行選手と北島康介選手だけだそうである。 #nhk #いだてん pic.twitter.com/qQXU8x3aHX
— Saitoh Masaya (@MS3110) August 18, 2019
最初はクロールではなく、平泳ぎが主流だったんですよ。その後、背泳ぎが登場。そしてクロールと平泳ぎが分離し、1956年にバタフライが登場しました。
日本は島国なので昔から様々な泳ぎ方がされていました。ですが水泳は元々軍事技術として発達していたのでスピードを競う競泳とは全く違う物でした。明治時代頃からスポーツとしての水泳が徐々に浸透してきます。
1914年には初めて国内で大会が行われました。1920年の第7回アントワープ大会には初めて日本人選手が参加。2名が参加しましたが残念ながら予選落ちでした。そして現在の日本水泳連盟の前身となる組織は1924年に発足しています。
初めての参加では予選落ちでしたが、8年後の1928年の第9回アムステルダム大会では、男子平泳ぎ200mで鶴田義行選手が金メダルを獲得します。次の1932年に行われた第10回ロサンゼルス大会では連覇を達成しています。平泳ぎで二連覇を達成したのは鶴田選手と北島康介選手だけだそうです。すごいですね。
ロサンゼルス大会では鶴田選手の他にも4つの金メダルを獲得しています。自由形でも3つの金メダルを獲得しているんですよ。今となっては考えられないですね。
第11回ベルリン大会でも4つの金メダルを獲得。女子200m平泳ぎで前畑秀子選手が女子初の金メダルを獲得しています。
この2大会では大量の金メダルを獲得していますがその後は1956年のメルボルン大会で古川勝選手。1972年のミュンヘン大会で田口信教選手、青木まゆみ選手が金メダルを獲得しています。
鈴木大地
ソウル五輪で金メダルを取った鈴木大地さんが、マスコミが何度も「今のお気持ちは?」と聞くので、「嬉しいに決まっているでしょ!」と切れ気味で言ったことがあった。選手は日々努力をして結果を出すが、マスコミは五輪の度に何を学んでいるのか。#鈴木大地 pic.twitter.com/uFoj7OYm28
— 渡辺なおみ (@aoigogatu) July 29, 2021
鈴木選手は小学2年生で水泳を始め、中学時代にスポーツクラブでのちに北京オリンピックのヘッドコーチとなる鈴木陽二さんに出会い、才能を認められ引退まで指導を受けていました。
高校3年生だった1984年にロサンゼルスオリンピックに出場。ですがこの時は11位で終わりました。高校卒業後は順天堂大学体育学部に進学し、1986年、ソウル・アジア大会では100m背泳ぎ、400mメドレーリレーで金メダルを獲得。1987年にはメドレーリレーで1987年の世界最高記録を達成しました。そして1988年のソウルオリンピックで金メダルを獲得する訳ですね。バサロ泳法を得意としています。
現役引退後は指導者となり、初代スポーツ庁長官としても活躍されました。
岩崎恭子
岩崎選手は3歳上の姉の影響で5歳から水泳を始めます。1990年の小学校6年生の時に100m平泳ぎで短水路学童日本記録を達成します。翌年の1991年に中学1年で全国中学校水泳競技大会女子100m・200mを制覇。1年生で優勝というのはすごいですよね。
そして1992年の日本選手権女子100m・200m平泳ぎで2位に入ります。この時お姉さんも出場していてお姉さんを破って2位になったんです。そしてバルセロナオリンピックの出場権を獲得します。
ですが当時は日本選手権で1位だった粕谷恭子選手注目されていて岩崎選手は最年少ということくらいしか注目されていませんでした。
そして200m平泳ぎの予選で自己記録と日本新記録を更新して全体の2位で決勝へ。決勝では世界記録保持者のアニタ・ノール選手をゴール直前で追い抜き、自己記録とオリンピック記録を更新して金メダルを獲得します。
世間もびっくりでしたがノール選手との自己記録には5秒以上の差があったのでまさか金メダルが取れるとは本人も思っていなかったそうです。
レース後の「今まで生きてた中で、一番幸せです。」というセリフが有名になりましたね。その後1996年アトランタオリンピックに出場しますが予選落ち。1998年に現役を引退しました。引退後は競泳のコメンテーターとして活躍されています。
シドニーオリンピックでは女子選手が大活躍!
女子100m背泳ぎで中村真衣選手が銀メダル、女子200m背泳ぎで中尾美樹選手が銅メダル、女子400m個人メドレーで田島寧子選手が銀メダルを獲得。田島選手の「めっちゃ悔しい」は流行しましたよね。
そして中村真衣選手・田中雅美選手・大西順子選手・源純夏選手の出場した女子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得しました。
4個以上のメダルを獲得したのは1960年のローマ大会以来だったんですよ。そして女子がリレーでメダルを獲得したのは日本競泳史上初でした。競泳は個人競技ですが、リレーはチームワークが感じられてまたいいですよね。
北島康介
北島選手は5歳で水泳を始め、中学2年の時に東京スイミングセンターの平井伯昌コーチに才能を見出されます。2000年のシドニーオリンピックに高校3年生の時に出場。上記の女子選手の活躍で目立ってはいませんでしたが、100m平泳ぎで日本新記録を出して4位入賞しているんです。
そして2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得。「チョー気持ちいい」は流行語にもなりましたね。2005年から日本コカ・コーラと所属契約をし、日本人初のプロスイマーとして活躍しました。日本体育大学卒業後、日体大大学院に進みますが水泳に専念するために2006年に中退しています。
スランプなどもあった中、2008年にふたたび北京オリンピックで金メダルを獲得。「何も言えねえ」ということばも流行語になりました。
2012年のロンドンオリンピックでは個人でのメダルを逃したものの男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得しました。この時の松田丈志選手の「康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない」という言葉も流行語になっています。
北島選手は記録だけでなく、記憶に残る選手でしたよね。
2016年に現役を引退。平井コーチは「日本のトップで世界のトップで、誰もが憧れる選手になってくれた」とねぎらいの言葉をかけています。その後は東京都水泳協会の副会長を経て、会長に就任しています。
今後も競泳界にはスター選手が現れることでしょう。その活躍を見る日が楽しみですね。