昔の週刊誌の粗い紙に緻密とはいえない印刷、、そういった印刷技術では決して再現判別不可能であることを知りながら、あすな氏が手を抜かず(いや抜けなかったのでしょう)詰め込んだ精緻な原稿が、上質の紙と2000年代の印刷で再現されたのです。
画像を上げたところで詮無いことなので、機会がありましたらぜひじっくり読んで下さいませ。
彷徨のひと
友人の漫画家バロン吉元氏は彼を「豪傑」と評しています。(「あすなひろし選集3」収録「ある豪傑の思い出」バロン吉元)
時間の流れも、場所も断ちきられたまま、あすなひろしは、ある時間、ある場所に突如として現れ、そして去ってゆくというのを繰り返してきた作家でもあるのだ。メディアの盛衰、作家意識の変化など作家の変遷にはそれなりの理由があるのだが、あすなの場合それは見えづらく、しかも外的要因ではなかったのではないかという気もする。
広島に帰り、そこから日本じゅうの飯場を回る日々を、デビュー当時の担当編集者に宛てた手紙でこうも語っています。
二つのコンプレックスから土方になった。一つは自分が「箸より重いものを持ったことがない」というコンプレックス。もう一つは、マンガはなくても人々は生きていけるのに、それを己の生業としているコンプレックス。
そして一葉の写真が同封されていたそうです。
写真が同封されていて、東京にいた頃はこんなに穏やかな表情をしていなかった、この穏やかさが自分は好きだと言っている。
「自分の場合、これまでやって来たこと、しでかしてしまったことのひとつひとつが寄り集まり、縒り合って、自分の内で全てよい方向へとすくすく伸びています。こういう場合すくすくという言葉は使わないかもしれませんが…。年ごとによい年になります。」
あすな氏の新作は88年を最後に、亡くなられた2001年以来、もう見ることはできませんが、氏の最期の日々がよきものであったとすれば、ファンとしては救われる思いがします。
、、ここで、冒頭の“著者近影”の続きを紹介させていただきますね。
(ご安心を。第2巻はあすな氏の写真で正真正銘「著者近影」が載ってます。第3巻は愛犬の写真に変わってますが、、^^;)
ああエイトビートの除夜の鐘—
「あしたになれば」
もうすぐお正月—。ヨシベエのうちの犬のツトムがいなくなった。すぐに帰ってきたけれども、ツトムのうちのタマも最近出かけがち、夏子先生のヒロシ—イヌ?ネコ?ハムスター?、腹立つなーボーイフレンドよっ!あなたのヒロシは逃げ出したというべきです!!
みんなやっぱり恋人がほしかったんじゃないの?お正月用の!
、、あいかわらずつれないツトムにやきもきするヨシベエ。
夏子先生は一人で迎えるお正月の準備。さびしくないの?先生、とヨシベエ。
「そりゃあさびしいわよ でもね/人間のさびしさなんてそばにダレかがいてくれたって消えるものじゃないのよね/キザないいかたしかできないけど 人間って生きてることそれ自体が/…寂しいのよね/生きてる以上消すことのできない寂しさってものが/…あるのよ…」
雪の宵、それぞれの窓の明かりのなかの大晦日。窓の外を眺めるヨシベエ、鐘の音、
〈ああエイトビートの除夜の鐘—〉
「青い空を、白い雲がかけてった」の3つの回をまとめている。
うち1エピソードは単行本未収録の「源平じいさん」。
画像の出典先「あすなひろし公式サイト」、そのリンク先の「あすなひろし追悼サイト」ではより詳しい氏の作品リストなどがご覧になれます。